第13話
『あなたの名前はウィチア。ウィチア・バルファムートよ』
暗闇の中で、ウィチアは帽子を被った女性の姿を見た。
『あなたは偉大な魔女の娘。偉大な血族』
「……待って」
ウィチアは暗闇の中で手を伸ばす。
背中を向けて去って行く彼女に手を伸ばして掴もうとするが、届かない。
『じゃあね』
「待ってよ。……ママ」
出会ったこともない女性を、自身の母だと信じて追いかける。
どんなに会いたいか。
劣等生である自分に偉大な魔法を教えてほしいと……追い続ける。
「待ってよ……置いてかないでよ……」
ウィチアは手を天井に伸ばす。
右手にはこれでもかと包帯が巻かれている。
ぐるぐる巻きにされている薬指は不自然な弓なりに反り返っていた。
「っ!? 指が……!」
何度か指を曲げようとするが、曲げようとすると痛みが走る。
そうだ。右手はミルトに踏みつけられたのだ。
「……!? あの後どうなった!? 私は死んだのか!?」
慌てて辺りを見回せば、ベッドが並んでおり、部屋は精錬とした純白だった。
様々な薬品がガラスケースの中に並べられており、室内には空調の魔導器が備え付けられている。
「そうか。ギルドの医務室か」
ウィチアはあまり利用したことのない部屋なので、思い出すのに時間がかかったが、ウィチア所属のギルドの医務室で寝ていたのだ。
ウィチアは上半身を起こしてシーツをどかして身体を見る。
元々貧相な身体だったが、さらに痩せ細り、心なしか肌も不健康な白い色をしていた。
髪もかなり伸びていて、前髪がウィチアの視界を邪魔するには十分なほどの長さになっている。
着ているものも、大きな成人男性用のシャツだけで、スカート一つ穿いていなかった。
「どれぐらい寝ていたんだ……私は」
ウィチアは辺りにメガネや着替え、帽子を探してみるが、どこにも置かれていなかった。
「どーせ治療してくれるなら、それぐらい配慮しろ。クソ」
治療を受けてもらいながらも、感謝の気持ち一つ言葉にせず、ウィチアは医務室を出て行こうとするが……部屋の扉を開けた瞬間、緑髪の女性が立っていた。
「ウィチアはいません。さようなら」
ウィチアはすぐに扉を閉めたが、隙間から手を伸ばされ、無理矢理こじ開けられた。
「ウィチア。病人は大人しくしてなさい。それから言うことがあるでしょ?」
「看病、ありやとやしたー」
「違うでしょう! 心配かけてごめんなさいでしょ!?」
セレスに怒鳴られ、ウィチアはすぐさま自身が寝ていたベッドの中に潜り込んだ。
「わー。セレスがいじめるー」
「あんた、どれだけわたしが心配したか知ってるの!?」
「悪かったよ。死んでたかもしれないもんな……」
諦め、ウィチアは謝った。
素直に言うのは少し難しく、どこか茶化さないと正直な気持ちは言葉にしにくかった。
元から口が悪い性格が災いしてだろうか。
「全く。治療費もわたし持ち、今日のついさっきまで水や薬を飲ませて挙げたり、身体を拭いて挙げたりしたのはわたしなのよ。もう少し感謝してよ」
「身体を拭いたぁ!? 変なことしてないだろーな!?」
シーツで身体を隠すとセレスは憤慨したように床をドンっと鳴らす。
「してないわよ! そんな冗談ばっか言ってると怒るよ!?」
「私、病人。暴力、怖い」
ウィチアが手を上げて降参すると、セレスはゆっくりとベッドに近づいてきた。
彼女は、そのままベッドに腰掛けるとウィチアの瞳を見つめてくる。
「まさか、エルフェンド元公爵子息があなたにこんなことをするなんてね」
「……まあ、あまり都合の良い話なんてねーか」
「あなたと一緒にギルドに来た時、何か変だなって。ウィチアって、こんな人と交流していたのって。もっと詳しく聞いておけば良かった」
でも仕事だからと呟いた。
セレスと言えども、ウィチア個人と特別親しいわけではない。
単にギルドの受付と登録者――正式な登録をしっかり行えていなかったが――程度の関係でしかない。
だから、ウィチアの親交なんて知らないので口出ししようがないし、なによりもウィチア自身が連れてきたというのが致命的だった。
「つーか一日前に出会ったばっかだからな」
「もう! どうして男の人を警戒しないの!?」
「欲望ばかりに目が走っちまったもんでね」
「あんたって子は!? ウィチアだって女の子でしょ!?」
「女の子だからどうした。私はウィチア・バルファムート様だ。偉大なる魔女は認められるためならなんだってする。目的も手段も選ばない」
「認められる……って何よ?」
「私が偉大なる魔女であることだ。認められるためなら何だってする。私の願いだ」
「暴力を受けても、命の危険に侵されても?」
「ああ。死んでも、認められるためなら構わない」
ウィチアは……そのまま平手打ちを受けた。
視界が揺れる。頬が痛む。
「おい! ふざけるな! 私は病人だぞ!?」
「ふざけてるのはあなたよ!? 何が死んでもよ!? 何が認められるよ!? 死んでしまっても、右手がそんなことになっても、認められるためなら仕方がないってわけ!?」
セレスは掴みかかる勢いで声を荒らげる。
ウィチアは自身の右手を改めて確認しながら、頷いた。
「ああ。死んでも、右手を失ってもだ。私は認められるためなら何だってする」
「そんなにしてまでどうして認められたいの!? あなたはどうして……!?」
「両親の血を除けば、特別な理由はない」
「ないなら、どうしてそこまで」
「認めて欲しい。私の力を。私の魔法を。そして、私が認められるためなら、死んでも構わないし、なんだってする。あの公爵子息のようにな」
「……意味分からないよ」
セレスは俯きながら首を振った。
理解なんてしてくれなくても構わなかった。
死ぬなんて、バカなことだとは分かっている。
それでもウィチアにとって、認められることは命と等しいくらいに重大なことだった。
ウィチアにとって認められる――偉大な魔女、ウィチア・バルファムートとして、名を世界に轟かせることこそ、ウィチアにとっての生きた証し。
「それで。私はさっき起きたばかりだけど。どれくらい寝坊した?」
「一ヶ月よ」
「はぁ!? 一ヶ月だと!?」
慌てたウィチアだったが、そういえば下宿先の宿泊費は必要ないし、特別急ぐ用事などはなく、頭を掻いた。
「それから一ヶ月の食費と治療費は免除してあげるわ。特別サービスよ」
「……ついでに下宿先の宿泊費も払ってくれ」
「何か言ったかしら?」
「何も言ってないです。すんませんした」
「全く。それからローブと帽子の修繕しといたわよ。メガネは割れちゃったから、新しく買い直しといたわ」
ほら、とセレスはウィチアの身体情報が書かれたギルドのメモをベッドの上に投げる。
ギルドが毎年、定期的に行っている身体測定の結果が書かれたシートだ。
そこにはウィチアの身体情報が全て書かれている。視力も含めてだ。
「至れり尽くせりだな」
「ええ。あなたの身体の傷も含めて全部修繕よ。……何よ、その嫌そうな顔は」
「変なことは――」
「してません。恩を仇で返すのだけはやめてよ」
ウィチアは肩を触るが、気を失うまであった痛みもない。
殴られた傷跡も、蹴られた打撲の痕も綺麗に消えていた。
彼女の回復魔法に一ヶ月もの間、助けられていたようだ。
「この一ヶ月間、生死の境を彷徨ってたのよ」
「ってか、んな奴の顔を殴ったのか」
「バカなことばかり言うからよ」
「私が悪いのか? それから、私の右手だが」
「それは……」
言いにくそうに顔を伏せるセレス。
ウィチアは言われなくても察していた。これほどヒドく曲がっているのだ。
「もう動かせないんだろ。骨ごといかれちまってる」
「ごめんなさい。わたしの治癒魔法では、バラバラになった骨を完璧には戻せなかった」
「気にしてない。左手があるからな」
「でも鍵開けや日常生活ができないわ!?」
「鍵開けはアンロックがあるからおまけみたいなものだ。生活では不便だが、左手がある。元から両方の手で鍵開けの練習してたから、すぐに左利きに矯正できる」
ウィチアは左手をわきわきと動かすとセレスはひたすら謝り続けた。
何度も何度も。ウィチアが意識を失う寸前まで、うわごとのように偉大なる魔女を反芻していたように、いつまでも。
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