第10話

 小さな洞穴を潜れば未知のダンジョンが冒険者たちを歓迎するかのように階段が待ち構える。

 ダンジョン内部をミルトの従者たちが魔導器を使って明るく照らす。

 冷たく、湿った風が内部から外へと向けて吹き抜ける。

 カビ臭さなどとは違った、独特のニオイがダンジョンの神秘性と謎を彩る。


「な、んだ、これ?」


 ウィチアは不思議な感情に支配された。

 期待や、未知への探究心、緊張感とは違う。

 懐かしい感じがウィチアの中で膨れ上がり、なぜだか涙が溢れて止まらなくなった。


「ウィチアさん?」


 立ち止まったウィチアに気づいたミルトが振り向き、ウィチアに驚いた顔を見せる。


「どうしたんだい? ゴミでも目に入ったのかい?」

「分か、らん。なんだ、これ」


 ウィチアはダンジョンに入った経験はおろか、近づいた経験すらなかった。

 そんな彼女がなぜ、涙で止まらなくなったのか。

 理由はさっぱり分からなかった。


「大丈夫だ。ちょっと目が痛くなっただけだって」


 全く理由が分からなかったが、ウィチアは涙を拭う。

 どうしてウィチアをこんな気持ちにさせるのか。

 どこか懐かしさを感じさせるニオイ。

 それが、ウィチアに突然の涙をもたらすのか。


「一度、医者に診てもらった方がいいかもしれないね。とりあえずダンジョンを歩こうか」


 ミルトは引き戻す選択肢を除外したが、ウィチアにはありがたかった。

 この程度で初めてのダンジョンを帰るなどあり得ない。命に繋がるリスクとも思えない。

 先頭を歩いていたミルトは、再び階段を下り始めた。

 ゆっくりと石でできた階段を下りると、狭い道が入り組んだフロアへと到着する。


「ミルト……公爵子息様。戦えるのか?」


 もうすっかり敬語を使えば良いのか、いつものように雑な口の利き方をすればいいのか分からなくなったウィチア。

 彼は呼び捨てで構わないと言っていただけに、笑顔で答えた。


「あはは。武器の腕前もからっきしだし、魔法も大して使えない。お金はあるけどね」


 皮肉のつもりでミルトは言っているようだったが、ウィチアからすれば、金持ちとして産まれただけでも十分な才能に思えた。

 それに、魔法の才能がからっきしなのはウィチアも同じで、両親に恵まれているというのも同じ。

 もっとも、犯罪者と公爵の血では間違いなく後者の方が恵まれているという事実をウィチアは頭の中では理解している。


「シャドーが出たら、僕の従者たちを頼ればいい。そこらの冒険者や傭兵よりも腕利きだから、頼りにできるよ」


 従者はたちは各々の武器を構えて、アピールした。

 彼らを信頼しているのか、ミルトは先頭を歩き続ける。

 ウィチアは黙って先頭を歩く彼の背中について行った。


「……なんだか肌寒くなってきたな」


 ダンジョンを歩き続けば、指先が冷えてくる。

 痩せ型であるウィチアにとって、寒さは天敵で、寒い季節は好きではない。


「シッ! 奴らがいるかもしれないよ」

「……シャドーか!」


 ウィチアは慎重に歩く。

 黒き影の魔物、シャドー。

 それはダンジョンの闇に生息し、人の形をした影。

 光届かぬダンジョンでは、どこから奇襲をかけられるか分からない。


「足下だ! 奴ら、僕たちの足下にいるぞ!」


 ミルトの声がダンジョン内部で響き渡る。

 するとすぐに、ウィチアとミルトの間に黒い影が浮かび上がり、血肉を与えられたかのように平面から立体へと姿を変える。

 話を聞いていた言葉そのままのとおり、それは人の形をした影、影でできた魔物だった。


「しゃがめ!」

「きゃっ!?」


 ミルトの言葉に反応して、ウィチアはとんがり帽を押さえながら、その場でしゃがみ込む。

 しばらく帽子で頭を隠していると、


「もう大丈夫だよ」


 ミルトの言葉と同時に帽子を上に上げると、影の魔物は首を剣で貫かれていた。

 さながらそれは、人の影を殺人している異様な現場のようだった。

 ゆっくりと剣は魔物から離れていき、従者は剣を鞘に戻す。


「危ないところだったね。武器を持たぬシャドーで良かったよ」

「あ、ああ。そうだな」


 ウィチアは、今度は恥ずかしくなって、帽子を目深に被った。


「おや? さっきのかわいらしい悲鳴を上げたのが、そんなに恥ずかしかったのかな?」

「う、うるさい。いいだろ。一応、私だって女だ」


 だが、慣れぬ悲鳴を聞かせるのはなおさら恥ずかしく、ウィチアはしばらく帽子を上げられず、下を向き続けていた。


(ん? 封印?)


 ウィチアは床が他の床とは違うことに気づく。

 術の封印を探るため、ウィチアはその場でしゃがみ込んだ。


「ウィチアさん? どうしたんだい?」

「封印だ。地下一階と地下二階の間に隠し部屋があるぞ」

「あ、そうなのか」


 ミルトはどこか興味なさげだった。

 ダンジョンは未知の宝が眠っているからこそ、探究心を燻られるのではなかったのか。


「ふふん。このウィチア様にかかれば、この程度の封印、一瞬で解いてやる」


 ミルトの興味がなかろうが、ウィチアは封印そのものの解除が楽しくなってきた。

 これが偉大なる魔女、初のダンジョン内部での魔法である。

 心が躍らずにはいられるものか。


「さあーお立ち会い! 者共、見よ、そして崇めよ! 我が究極にして至高なる魔法は、いかな封印であろうが容易く解除して進ぜよう!」


 テンションが上がってきたウィチアは、無駄に杖を振り回しながらミルトとミルトの従者たちから注目を集める。杖を振りすぎてミルトに当たりそうになったが、テンションの上がった彼女には些細なトラブルだった。


「さあ開け! そして、我を崇めよ! 神へと登り征く我を! そんで見下すな! ボケェ!」


 上り詰めれば上り詰めるほど、口汚くなってくるウィチア。

 そして、大層に左手を地面にくっつけた。ちなみに散々振り回した杖は使っていない。


「アンロック!」


 封印が解除され、封印の核部分を壊す。

 変化はすぐに訪れた。

 辺の長さが人の身長くらいの正方形に、床の石が沈み込み、ゆっくりと隙間が生まれてくる。


「はっはっはっ! 見ろ! そして、跪けよ人類!」


 沈んでいく地面から少し離れ、腰に手を当てながらウィチアは響き渡るような笑い声で笑い続ける。

 そんな中、ミルトは、従者たちにアイコンタクトのようなものを送ると、ゆっくりと沈んでいく床に足を乗せた。


「さすがウィチアさん。これほどの魔法は全冒険者に通用するね」

「ははは! そうだろう! この私が、アンロックこそが、世界を制する魔法なんだ! わははは!」

「ウィチア。手を」

「え?」

「そう呼んでもいいかな? もし良ければ僕と共にいてくれないか?」


 突然の告白まがいの言葉と同時に、手を差し伸べるミルト。

 ウィチアは歓喜した。

 これほどの金持ちに告白されるとは。


「ええ、このウィチア・バルファムート。喜んで!」


 お金お金お金。ウィチアの頭の中を支配したのは、あの贅沢な暮らしの一時。

 それが手に入るのであれば、安い告白でも受け取った。

 彼を愛しているからだ。

 正確には、彼のお金と贅沢な暮らしを。

 ウィチアは彼の胸に飛びついた。


「なら、ついてきてくれ」


 彼はそう言って、冷たくウィチアを離すと一階と二階の狭間のフロアを一人、先行し始めた。

 当然、誰も気づかなかったエリアになるので、未踏の地になるだろうが、彼は躊躇することなく歩いて行く。

 彼の冒険心が勇敢にも危険に臆することなく進むことができるのだろう。

 ウィチアは、従者の持つ灯りを灯す魔導器を指さす。


「おい。それ貸せ」


 従者は、魔導器をウィチアに投げると、躊躇せずに受け取り、暗い新エリアを灯す。

 地下一階と地下二階の隙間は、どんなに身長が高い大男でも頭をぶつける心配がないくらいには天井が高かった。


「このウィチア、お金のため……じゃなくて愛のためならどこまでもついて行くぞー! ひゃっほい!」


 スキップしながらミルトの後を追った。

 なぜか従者たちが付いてこなかったことに……気づいていたが、有頂天な彼女は気にしなかった。

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