第7話 もしも夢以外で会えるなら
一晩中、とは誇大表現だが、気持ち的にはそれくらいの感覚だった。彼らの質問攻めには容赦がなく、絶え間がなかった。ケイジの想い人の見た目から、どこの誰か、いつ出会ったのか、なぜ好ましく思うようになったのか。それらをことごとく津波のように叩きつけてきたのだからたまらない。
ケイジとて、気持ちをどこかに少しずつ消化せねばキャパシティを超えた感情の行き場をどう拡散させればよいか心得がなかった。だからこの場を借りて勢い任せに吐き出してしまったのだが、まさかこの男たちがこれほど食いつきが良いとは思いもよらなかった。
ケイジは自室のベッドに横たわり今朝のニュースをスマホで眺めながら、昨日の会話の内容をぼんやりと思い出していた。好きになった理由はわからない。優しくされたから?顔が好みだったから?そういう明瞭な理由ではない気がする。どこの誰かなんて知る由もなく、出会ったのだって昨日が初めてだ。あのようにキツネのような耳と尻尾を携えたひとを見かけたら一生忘れるはずがない。
大学のひとだろうか、しかし大学生にしては妙に大人びて見えた。けど、ああ言う仮装をするからには再入学等でやってきた学生かもしれない。そう思うと、大学でまた会えるかもしれないという一抹の希望が生じる。
大学生ではなかった場合は・・・探し方が全くわからない。あまり執着してストーカーみたくなるよりは、諦めたほうが良いかもしれない。その場合はただちょっと、そう。雨の日に枕を干すようなお茶目をやってしまっただけだ。
とは言っても、探そうにも『あのひと』の手がかりが欠片もないのは事実だった。特徴を思い出すのは容易だが、それが果たして手がかりになりえるかは甚だ疑問である。
難儀を極めるのは、惚れた相手を間違えたせいか。内にもゆる叙情性は確信的なものであるのに、もしかしてあれが一生に一度の邂逅だったとすれば、一期一会とは瞬きするほどの一瞬の出来事である。
はあ、と一つため息をつくと、手に持っていたスマートフォンが6時半を知らせるアラームを鳴らした。結局のところ一睡もしていない。元来何かに熱中するような性分ではないが、睡魔に振られるような不届きはひょっとするとこれが初めてかもしれない。
時間が判然とすると途端に欠伸が出るようになった。眠気という眠気もあまり感じないが、欠伸だけはさも古くからの友人のように、呼びもしないのにゆらりと影をのぞかせる。目をこすりながら今日の日程を脳裏に浮かべると、まず今日が燃えるゴミの日だということを思い出した。
ケイジは糸で吊られたようにして起き上がると、キッチンスペースへと赴いて、菓子やカップ麺のゴミの割合が多めの大口を開けた袋の口を縛って、寝間着がわりのスウェットの姿のまま、それをぶら下げて部屋を出た。
カーテンで閉じられた部屋からは拝めなかった陽光が目ざとくケイジを照らした。物陰や雲の隙間を縫ってはスポットライトのようにこれでもかと降り注ぐ陽光は、今日のケイジにはややあたりが強かった。
ケイジが住むのはマンションの4階だ。なので、エレベーターを使って降りる。8階から徐々に降りてくるエレベーターを待つ間に一回、乗っている間に一回、欠伸をした。
その間も、考えるのはあの人のことだった。ともかく、もう一度会いたいという感情ばかりが先行していた。会って話がしたかった。
「足引きの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかもねむ。だっけ、夏だし寝てないけど…」
睡眠不足が祟ったか、ケイジはおもむろに柿本人麻呂を詠み始める。人恋しくなるとは初めての経験ゆえ、ペーソスを混同しているのかもしれない。
自分らしくないと頭を振ると、ゴミ捨て場に直行する。何をするにしても、まず大学に行ってみなければ話にならない。と、それこそ自分らしくない『考えるより行動』を決行しようと思い至ったときだった。
一瞬、ふらつくほどのめまいを覚えた。いよいよ、次は眼科に行くべきかと自己分析した。
*
今日も今日とて、腹の立つほど清々しい朝だ。ヤニのにおいの染み付いた、粘りつく唾液の味に吐き気を覚える。誰が望んだか、24時間周期で必ずやってくるこの億劫な時間を、横山はやはり細目で瞳に写していた。
しかし、体には活力がみなぎっていた。昨日の学園祭で得た血と肉が、またこの先の一週間を旺然たる両足で立つことを約束させたようだ。驚くほど体が軽く、あれほど歩き回ったというのに疲労感は殆ど無い。多少、筋肉痛で腿が痛いが、気にするほどのものではない。
プラシーボ効果というものかも知れないが、健康とは良い食生活と切っても切れない位置にあるもので、普段の怠惰な、ただ空腹を紛らわすためだけのものとは一線を画した昨日の美食のひとときは、まさに心の食事でもあったようである。快眠を挟んで迎えた6時30分。元来何かにつけ込んで憮然とする生き物ではあるが必ずしも、不快ではなかった。
横山は日課通り鏡へ向かった。ぼさぼさでつややかな髪と、血色の良い冷たそうな肌と、生を忘れかけた動物の姿が、そこに写る。いつもの姿。いつもの部屋。いつもの世の中。すべてがそこに真実をうつす。
そうしていると、ふと気まぐれが横山の背中を押した。せっかく調子のいい体を持て余しているのだから、たまにはぶらりと早朝の空気を吸いに外を歩くのも悪くない。
街の散歩は森の中を歩くのと変わらない。ただ、木が生えているのか、ビルが生えているのかそれだけの違いである。鳥の代わりにドローンが飛び、リスの代わりに空き缶が転がる。落ち葉の代わりに吸い殻が積もる。この森は臭いがきつく、それでいて息苦しい。夜中も明るい。ただちょっと、山火事のように電気が燃えているだけだ。
燃えているといえば、今日は燃えるゴミの日だ。キッチン脇に雑に投げられた、ほぼ食べ物関連の袋ばかりが敷き詰まった大袋の口を縛って右手にぶら下げる。そして寝間着がわりのシャカシャカジャージのまま外へ出た。
横山の住むところは団地で見晴らしはいまいちだが、住みやすいところではあった。マンションにはエレベーターがあるが横山は階段を使って下りた。たかが3階に住んでいると、滅多に使わないものだ。サンダルをぺたぺた言わせて歩く様子は、晴れにもかかわらず雨の日の歩調を想起させるものがあった。
すでにいくらかゴミの溜まったゴミ捨て場の前に行き着くと、手に持ったそれを振り子のようにして軽く勢いをつけて、ポイと捨てやる。手持ち無沙汰になった手を見て、横山はすぐにまた指の間にタバコを挟みたくなるが、ぐっと堪えながら、煙の代わりに薄汚れた街の空気を肺に取り込む。中途半端な眠気は晴れないものの、そのかわり諦念がこみ上げた。
(そういえば、昨日の彼はもう大丈夫だったろうか)
ふと、孤独を覚えると直近の出来事を思い出す。昨日の大学ではほど可愛らしくエネルギッシュな少年少女に揉まれるような体験をした。この頃異性との関わりなんて言うものとは袖振り合うほどの縁もなく、かと言ってこれ見よがしに秋波を送るような節操なしでもないのだが、これも先日の同僚の忠告に基づく焦燥だろう。それもこれもジャネーの法則というやつのせいだと勝手に謂れのない因縁をつけて、もうこれ以上は深く考えないよう意識した。年若すぎる少年青年に、など身の程をわきまえろと言うものだ。
さて、ぐるりとこのあたりを猫のように徘徊して、それから着替えて出社しようとか、そんなことを考えたときだ。どさりと、何かなにか重くも軽くもないものが落ちる音が直近5m以内ほどの距離から聞こえた。反射的にそちらを向く。
ん?と首をかしげるその先にあるものは別段何の変哲もない少年の姿だった。
その時は、頭が初期微動状態で理解をするのに数秒を要した。が、理解すると「あ…」と目を見開いた。
手の包帯と、薄らと見覚えのある顔。昨日大学でいらぬ世話を焼いた彼が、そこに立っていた。
「やあ」
と声をかけられるほど、横山の肝は図太くは据わっていなかった。何故か逃げ出したい衝動に駆られるも、しかし一方で彼の健康そうな肌の色を見て一安心していた。今度は正面から彼の顔をはっきりと見つめた。整っているとは一口に言い難いものの、年相応の艶を見て取れる輪郭、光の通る瞳、高くも低くもない鼻、薄くも厚くもない唇。にきびもそばかすもない比較的フラットな顔立ちであると認識した。
横山は冷静に分析している自分を自覚した瞬間はっと顔が熱くなって更に逃げ出したくなるも、しかし帰り道には少年が立ちふさがるので身動きが取れずにいた。
たちどころに、少年が口を開いた。
「あ、あの、昨日お世話になった方・・・ですよね?あの、ありがとうございました。俺、
早朝、人通りのない団地の一箇所にて、上ずった声がこだまする。
どこからどういう話の流れになったか、横山は告白されたということを理解できず、ただ、
「え?あ・・・どうも」
などという、格好のつかない返事をしてしまった。
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