第5話 ラブレス・エコー

恋は今は あらじと我は思へるを いづくの恋そつかみかかれる。




 横山はやはり耳も尻尾も隠すことなく、人の行き交う只中に身を置いていた。




 今日は双縁そうえん大学の学園祭だ。会場は学内の芝生の広場で、そこかしこに点々と屋根が張られている。丁度昼頃、広場の外縁にたどり着いた横山は緑に溢れた土地を一望して、目一杯息を吸い込んだ。




 ざっと見たところ、学生の数を合わせても人の数は700人近くを認められた。大学自体は都市部のうちに位置するが、そのさなかのオアシスとでも言うべきか、開放的な空間ゆえに心なし空気が美味に感じた。




 とは言えイベントと聞きつけて、丁度会社の休みにつけてこれ見よがしに特有のグルメを求めて足を運んだものの、思った以上の人の多さと店を囲む行列に舌を巻いてしまった。




 しかし、大学の敷地内というのは横山にとって気楽なものだった。キャップで獣の耳を押さえつける必要も、しっぽを足に巻きつけてズボンに無理に通す必要もない。こういう催しの席において、横山の格好はありのままの姿だが仮装のようなものだ。視線をくぐらせてみればちらほら派手な衣装に身を包んだものや、学園マスコットらしき狐のきぐるみが見て取れる。今日の横山は、それの同類だ。足取り軽く、普段は好まぬ人の群れの中に、横山は進んで紛れていった。




(天気、晴れてよかったなー)




 先日よりは日差しは落ち着き、カラッと乾いた風が涼しい。本州で言うなら5月半ばのような気候の一日で、野外食を済ますにも絶好の日和だった。6月といえば梅雨のシーズンでもあるが、北国は例外であることも助けて、初夏は比較的良天候であることが多い。窓を開ければ電気屋泣かせの天然のクーラーが凪ぐ。その分、冬期の猛威とはご愛嬌であるが。




 さて、がやがやと盛り上がる一帯の、人の隙間から漂う香ばしい匂いに誘われてみると、まず最初に目についたのは牛串だった。炭でじっくり焼かれるブロック状の肉に垂涎を拭う。屋台で焼いているバンダナの学生の男の子が横山の凝視に気づくと、ウチで飼育してる肉牛ですよ、美味しいですよと客引きしてきた。あっさりと誘惑に陥落した横山は列に並び、お祭り価格の牛串を3本買った。牛串は紙コップに入れて渡された。




うむ、うまそうだ。紙コップから一本取り出して、無造作にそれを頬張ると、思わず顔がほころんだ。




(ああ・・・・コレは酒が欲しくなるなぁ)




 絶妙な噛みごたえと、塩だけで味付けされてるおかげで肉そのものの旨味を感じる。焼き加減もちょうどよく、祭りの醍醐味というのを早くも噛み締めている気分になった。あわよくば酒でもあればと淡い期待をふくらませるも、やはり大学敷地内での飲酒喫煙はご法度だろう。販売されている飲み物は市販のソフトドリンク類しか目に映らなかった。こればかりは仕様がないので、横山は気持ちを切り替えて再び会場周辺を物色し始めた。




 あれこれ見ていると、やはりそういう大学らしい売り物がたくさんあると気がついた。野菜類の直売、牛乳に、チーズやヨーグルト等乳製品。そのあたりに多くの客が寄っているようだが、商品を見たところラッピングが非常にシンプルだ。ケースもただ透明なものであったり、予算を切り詰められているように見受けられるあたりすべて手作りなのだろう。


 横山は事前にホームページのトピックスで確認した程度の知識だが、ここには食肉や乳製品を加工する小工場のような設備があるということを思い出した。目に映るもののうち、空いているところから順にならんで、手元にいろいろと抱えてから芝生の中心の一本白樺の木陰のもとへ行って腰を下ろした。




(んん~~・・・・どれもこれも絶品だ・・・・。良いもの食ってんなぁ、ここの子たち・・・。私もここに入学すればよかったなー)




 一方で、売られているものは食品ばかりにとどまらなかった。文化系サークルの出し物だろうか、漫画研究会と書かれた看板を掲げて、一般向け同人誌のようなものや塗り絵のようなイラストが頒布されていたり、よさこい関連だろうか鳴子を売っているところもある。また誘導看板の先に視線を向けると、この先馬術サークル・ふれあい広場と案内があり、乗馬体験ができるらしい。この場からその様子が見えないかと首を伸ばして見ようとした。かなり離れたところに、子連れの大人が集っているのが小さく見えた。興味はあるが・・・・一人はちょっと恥ずかしい。レーコも誘ってみればよかったかなと今更そんなことを思った。




 ひとまず買ったものをあらかた食べ終えて、ふうと横山は一息ついた。ここは平和だし、学生たちは活気があって微笑ましい。


 ふと視線をずらせば、あれに見えるは男気ジャンケン。勝者は涙をのんで、喜んでジャンケン参加者に物品を奢るというまさに男気に溢れた熱いドラマ。異性から見れば何をくだらないことをやってるんだろうと、冷ややかに肩をすくめる事だろう。けれどこの歳になると、横山はそういう無邪気さが可愛らしくてたまらなかった。


 あんな学生時代もあったなあとひとりごちると、横山はゴミをまとめて立ち上がり、物色を再開した。




 食べ歩きを続けていると、やけに人だかりができている場所にたどり着いた。密集している人の様子を伺うと、どうもその目の前の出来事に熱狂的になってみな井に坐して天を観ているようだ。人の壁の向こう側はどうやら焼きそば屋のようだった。




「すげえ!職人かよ!」




「かっこいい!」




「お前そんな事できたのか!」




 反応がいちいち物見甲斐の有りそうなことを言うので、横山は野次馬精神を顕にしてふらふらと近くへ行き、背伸びして上の方から覗き込んだ。


 中を見ると複数人の男の子がチームプレイで焼きそばを焼いていた。うち、鉄板に向かうガタイの良い青年一人が、パフォーマンスをしているらしかった。コテをシャーペンを回すように振り回したり、キャベツや人参をコテでガツガツと強引にカットしながら同時に焼きそばを作っていくさまは鬼気迫るものがあった。




「くそ!昨日のうちに野菜全部カットしとけって言ったのに!」




「いいからそのどこで覚えてきたか知れねえ無駄なパフォーマンスで誤魔化せ!口より手だ!手!こっちでもカットやっとくから!」




「逆に客が増えて回んなくなってきたんだが!?」




 パフォーマンスは苦肉の策か、サービス目的ではなく修羅場の産物であるようだ。しかし、だからといって具材の大きさがまちまちになるなんてことはなくきっちり一定を保っているように見える辺り、確かに職人技の気質を感じる。




(あるある・・・ああいうトラブル)




 この様子だとここの屋台は後回しにしたほうが良さそうだ。踵を返そうとした瞬間、あたりがどよめいた。そして横山はそのどよめきの原因が起こる瞬間を、はっきりと目の辺りにしてしまった。


 それは不慮の事故だった。屋台の奥の方で野菜のカットを手伝っていた、ひょろ長い背格好の青年が、左手を抑えて硬直した。臨時で組み上げた不安定な土台の上で切りものをしていたせいだろう、まな板や足元には、紅い雫が滴り、雫は次第に池を広めていく。どう考えても、トマトジュースやイチゴジャムの産物ではない。




 客の一人が短い悲鳴を上げ、肩を跳ねさせた数人が後ずさる。屋台の中の全員がそれにつられて動きを止めた。


事態が起きてから、横山の動きは脱兎のごとく俊敏だった。ただし逃げるのではなく、屋台の裏側に回り込み、ブルーシートの仕切りの壁をまくりあげてその内側へ飛び込んだ。




「大丈夫!?おいで!」




 背中を丸めて固まる青年を優しく引っぱり出し、すかさずポケットからティッシュを取り出した横山は出血の箇所へそれをあてがった。




「落ち着いて。ぎゅって止血して。手は心臓より高い位置。・・・・いい?ちょっと傷口見せてね。・・・・・ちょっと深いね。病院行って縫ってもらったほうが良いかも。」




 状況を確認していると、慌てた様子で青年の友人らしき眼鏡の青年が現れた。




「やっちゃったのか?大丈夫か?」




 その問いに怪我をした青年は俯いたまま、肩を震わせながら小刻みに頭を縦に振った。横山は後から現れたその眼鏡の青年に説明した。




「傷を見たけど、病院に連れてったほうが良い。先生呼んで、連れてってもらって。」




 眼鏡の青年は一瞬横山に差出人不明の手紙を見るような訝しみの視線を向けたが、「すみません」と言ってうなずくと怪我した彼を引率して白くて横に大きな、いかにも高等学校といった建物の奥に去っていった。大きな騒動もなく、その場は無事に収まったかのように思われた。




 途中、今まで腰を曲げていた彼は顔お上げ、冷や汗をびっしょりかいた顔で「ありがとうございます」と礼を述べると、また祈るような格好で手を引かれて行った。その時、横山は初めて彼の顔をまっすぐ拝んではっきりと確認したが血の気を失って青白い顔をしている彼を、きっと血色が良くても白い肌をしているのだろうと勝手に思い込んだ。前髪が目にかかるくらいの髪の長さではあるが、どこか清潔感があり、いかにも真面目そうな雰囲気をしているとなんとなく直感した。




 不意に、この間の会社での話を思い出した。結婚しろだの彼氏だのといった話だ。もしももうあと20歳若ければ、たぶんきっと、ああいう感じの子を好ましく思っていたんだろうなぁとか、そういう事を考えた。もちろん、「普通の人間であれば」という前提ありきの話だ。




 けれど、女として、いや、何かの生き物として、ウシガエルのように無愛想を極めたつらの自分の、身体以外に興味を持たれることなんて無かろうという自虐心が芽生えて、先程までに出したゴミと一緒にゴミ箱にまるごとほのかな淡い気持ちも合わせて吐き捨てたくなった。彼の姿を見届けた頃には、自分の今までにしてきた行いの一つ一つがすべて妙に卑しく思えていた。今の行いにしたってそうだ。




 周りには彼の友人と思しき人物が何人もいたというのに、部外者が脊髄反射で無闇に無鉄砲に余計なことをしてしまった。自分がしなくとも誰かがやったであろうことを、どこの誰とも知らぬおばさんが口出しなど、老害と呼ばれても言い訳の口も開かない。




 しかももっと大きな事故ならともかく、たかだか手を軽く切った程度である。でしゃばったことを今頃陰口言われてるんじゃないかと、いい年して根拠もない妄想してしまって、茹で上がったタコよりは薄い程度には赤くなった。身体は徐々に燃えるように熱くなった。汗は不思議とかかなかった。呼吸は傾斜25度の坂を登って降りてきた後のように緩やかに乱れていた。




 せめてもの慰めもとい罪滅ぼしの意味づけに固執して、チーズ焼きそばを並んで買った。すると、鉄板に向かっていたガタイの良い彼がほんのちょっとだけトッピングの目玉焼きをサービスしてくれた。なんだか、逆に申し訳ない気持ちになってしまった。




 先程の一本白樺のもとに戻り、腰を下ろしてパックを開いた。濃厚なチーズの香りに包まれると心が落ち着いた。我ながら食い物で懐柔されるゲンキンさに辟易としたが、2つの黄色い目玉と熱い視線を交わすうちに気がついた。




 この玉子一つとっても余計なお世話にほかならないのだ。自己満足とはすべからく人間性でありの性格であり損得勘定の枠外の出来事だ。必ずしも必要ではないことをするのが人間であることの証明要素でもあるのではないだろうか。そう考えると、自分の行いも決して害悪ばかりでなく巡り巡って人の印象に良影響をきたすことだってあったかも知れない。




 焼きそばの味はとてもまろやかで、やさしい母の味を感じた。そしてやっぱり、酒が恋しくなる味でもあった。なんにせよ、うまいと独り言を呟くほどには美味であったのだ。




 その日は満足感と満腹感で膨れた腹と偉大で小規模な発見を抱えて帰路についた。


ただし、自宅で吸ったタバコは普段の二倍の本数となった。

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