第4話 草原の坂
今日もいい天気ですね、とは話の皮切りに頻出の序の句だ。特に脳が怠けると、口をつく割合は近年の温暖化ガスの増加傾向のように騰貴する。その肌にイマイチ実感の触れない緩やかな公害のような、発展性の低い話題を、今日も『
「今日はいい天気だなぁ」
そのように気だるそうに呟いたのは、彼の友人である『
いい天気なんてものではない、空には雲ひとつなく太陽は地上の人間を干からびさせんと容赦なく照りつけており、道行く中イヤでも視界に映る数ヘクタールはあろうかというトウモロコシ畑が青々と茂っている。手に持っている二人で分け合えるタイプのアイスはみるみるうちに溶け落ちて、喉を過ぎた量は雀の涙ほどとも錯覚する猛暑である。何がいい天気なものか、海水浴日和の極致だと、ケイジは気温にまさるとも劣らぬ熱気を吐き出して言った。
「海かぁ・・・海行きてぇなァ」
イッセイはアイスの棒を、シガレットのように口に加えてぷらぷら揺らしながら遠い幻想に思いを馳せた。まだ6月下旬なのでこの地域での海岸利用者は少ないことだろうが、つられてケイジも、青い空に一体化する壮観な一風景を瞼の裏に見た。
「水着のねーちゃんたち眺めるだけで、暑さを忘れれる自信ある」
「バカヤロー、逆に滾って熱くなるだろ。想像させるな」
イッセイはガタイの良いほうだ。背は180近くあるし、筋骨隆々として顔がでかくて一言でいえばむさ苦しい男である。そんな見た目の割にというとある種差別的だが、うぶな心の持ち主である。女っ気のないのは言うに及ばずであるが、興味が無いわけではないのだろうが、性的な方向に思考が直結しない誠実な部分が大半を占める。対するケイジはと言えば、ひょろくて肌は真っ白で、髪は少し長いくらいだが清潔感があり、一見真面目そうな印象だ。
「それよりなんだって俺ら、こんなとこに来なきゃならねえんだ」
「そりゃお前、深緑祭の準備じゃん。」
言葉と汗を垂らすイッセイに、ケイジは応えた。
深緑祭とは、二人が通う大学のイベントだ。開催期間は1日だけだが、やることはと言えば高校の文化祭の延長のようなもので、参加者各位も高校生気分が抜けきらないまま行うのだ。ただ、どうも教授に張り切る人が多いようで、学生諸兄はそれに巻き込まれ引きずりまわされるかたちで盛り上げ役を担う。
今年で2度めの参加となる二人は、教授ではないが所属しているサークルのため、出店の手伝いを引き受けたところであった。ミッション内容は野菜サークルから材料を譲り受けること。商談は既に成立しているようなので、運送業が彼らの仕事である。因みに、ありきたりだが焼きそばの屋台の予定である。額の汗を拭いながらイッセイは言った。
「どうしてまあ、お前はそんなに張りきれるかね」
「そう見える?」
「でなきゃ自分からキャンパスの一番隅っこまで野菜取りに行くなんて言わねえだろ。この大学の敷地どのくらいあると思ってる?」
「東京ドーム30個分くらいだろ。」
ケイジが雑にそう答えると、ふたりとも口を開くのを止めた。自分たちの今いる場所が、まだ丁度敷地の真ん中くらいであることを思い出してしまったのだ。
この大学の敷地は冗談でなく、ケイジが言ったとおりの敷地面積を誇る。とは言ってもそのすべてが教育施設として利用されているわけではなく、うち半分は天然の原生林が締めていたりするわけだが、それを踏まえても十分うだつの上がらない。いつから東京ドームがものを測る単位になったかしれないが、ともかく人の手の及んだものもそうでないものも、この学校では活かされている。
目的地に至る最後の坂道を登り始めて、ついにイッセイは「ああ、くそ。車借りとくんだった」と弱音を吐いた。
かれこれ1km弱を歩いたところでようやく足を止めると、誰もいないプレハブ小屋の前についた。
ところどころ錆びついており、電気のケーブルが数本通っているのが脇に見える。ドアノブをひねる前に鍵穴に鍵を挿しこむ。とにかく早く運ぶのを終えたい一心で扉を開けると中から篭りに篭った熱気が津波のように溢れ出た。二人は土臭いそこに踏み込むと、農具や肥料の袋をかき分けて、野菜の入っているらしいダンボールを探した。
「サウナかよ」
「あっつぅ・・・・・・・お、あったあった。ダンボールにダンス宛って書いてある」
探すまでもなく、ダンボールは手前の引き戸の付近に置かれていた。足元に注意していなければ、危うく蹴り飛ばすところであった。
「ええと、ふた箱あるはずだったな。中身は?」
「キャベツに人参、タマネギ。すげえ、こんなくれるんだ。」
「なんでキャベツ?時期じゃねえのに」
「北国だから、ひと月ずれてるんだろ」
「なるほどな。じゃあさっさと運んじまおう。他はともかくこんなとこにキャベツを長く置いてたら駄目になる」
「そうだな。ここより、うちの部室のほうがマシだろ」
そうして、一人一つダンボールを担ぎ上げると、のそのそとおのが部室へと帰還した。やはり帰路の途中、会話など弾むはずもなく、時折道をすれ違うリヤカーでミルクタンクを運ぶ作業着の学生を尻目に、ケイジは深緑祭当日の雰囲気を妄想していた。
そもそも、深緑祭というのはいわゆる、収穫感謝祭である。そういう大学ゆえ、またプロテスタント系であるため、毎年この時期に行われている。農作物に限らず、サークルによっては山で狩猟してきたイノシシやエゾシカを調理して販売するところもある。衛生面は運営側や保健所などが目を光らせており、例年食中毒も起こしていないので信頼は高い。去年はそれを目当てにそこそこの一般客が大学を訪れた。殆ど、それに客を取られてケイジらのサークルの店に足を運ぶものはなかったが。
今年も暇なんだろうな、と、ケイジは目を細めて澄んだ青を仰いだ。忙しいのは当日よりも前日だ。下ごしらえやテントの設営を役割分担して進めなくてはならない。特に目立った活動をしていない弱小サークルの人手は期待されたものではないから、円滑に進めるためには積極性が要求されるのだ。
ロッカー置き場の部室にたどり着き、二人は荷物を隅に押し込むと、会話もかわさず縄が解けたとばかりに、勝手に別れてその場を離れた。スマホを開き、次の授業の時間割を確認する。振り返って、部室の入り口の静けさを確認してまた歩き出す。
張り切ろうにも、これでいいのだろうか。ケイジは小さくぼやいた。
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