第4話 その名と力を受け継ぐ時

 魂喰いの能力。

 ノエルは、その能力を母から受け継いだ。

 母の心臓を食べたことにより、母が持っていたその能力を身に宿したのだ。

 その能力と共に母から得たのは、料理の才能。一流の料理屋を開けるほどの腕前だと村中で評判になっていた一流の料理の技術を携えて、彼は行き着いた街で住処を点々としながら料理に関わる仕事を探し、それによって得られる僅かな収入で必死に食い繋いで生活した。

 時が経ち、どうにか体が出来上がってきて力仕事もそれなりにできるようになったノエルは、街の冒険者ギルドに足を運んで仕事を探した。簡単な薬草採集の仕事や誰でも狩れるような小さな魔物を駆除する仕事などを請け負って、収入を得た。その際に偶然知り合った冒険者のパーティと仲良くなり、次第に彼らと共に遠方へと旅に出るようにもなった。

 しかし、ある時。その冒険者パーティは、旅先で偶然遭遇した魔物の群れに襲われて、全滅した。当時まともに凶悪な魔物と戦う術を持っていなかったノエルは安全な場所に身を隠していたため助かったが、残された仲間たちの死体は見るも無残な状態になっていた。

 ノエルはその仲間たちの肉を食べ、彼らが持つ冒険者としての技能を手に入れた。剣術、魔法を操る力、周囲の危険を感知する索敵能力、宝箱に仕掛けられた罠を解除する技術……多くの才能を身に宿した彼は、一人前以上の冒険者となって街に帰り着いた。それから彼は当たり前のように冒険者ギルドが斡旋する高難易度の仕事をこなすようになっていき、いつしか、彼の周囲には彼の冒険者としての活躍ぶりを耳にした冒険者たちが集うようになっていった。

 ノエルは色々な冒険者たちとパーティを組み、様々な場所に足を運んだ。彼を仲間に引き込んだ冒険者たちも、ノエルが持つ冒険者としての腕前に期待して、凶悪な魔物狩りや遺跡の探索など、まさに死地と呼ぶに相応しい場所にばかり赴くようになった。そしてことごとく、罠に填まったり魔物に殺されたりして、死んでいった。

 ノエルは仲間たちが死ぬ度に、その死体を食べた。肉を食い、血を飲んで、脳味噌を啜って。そうして、次々と知識や技能を手に入れていった。

 ノエルは旅に出る度に強くなって帰ってきたが、その頃から、ノエルの身の上に奇妙な噂が立つようになった。あいつに関わると死神にとり憑かれるらしいとか、ろくな死に方をしないとか、陰で散々なことを言われるようになった。

 そして、次第に彼に近付く冒険者の数は減っていくようになった。

 ノエルは自分が仲間を殺しているわけじゃない……と思いながらも、弁明することはとっくに諦めていた。自分に関わった人間がことごとく死んでいることは紛れもない事実だったから、他人からしてみたら誰に死因があろうがもはや関係ないと考えるようになっていたのだ。

 このまま、一人で生きていこう。そう心に決めた、その時。彼の目の前に、彼の力を借りたいという者たちが現れた。

 それが、後に魔王を倒して英雄となる運命を背負った、ノエルにとって最後の仲間となる冒険者たちだった。

 ノエルは彼らの必死の説得に押され、これが最後だと自分に言い聞かせて皆と共に魔王討伐の旅に出た。今までに仲間だった者たちを食らうことによって手に入れてきた全ての能力を駆使して、数多の魔物や魔王の側近たちを屠り、遂に魔王と相対した。

 魔王との戦いは熾烈を極めた。仲間たちと力を合わせて戦い抜き、遂に彼らは魔王を討ち果たすことに成功した。

 しかし、彼らもまた瀕死の重傷を負っていた。このままでは誰一人として故郷に帰ることは叶わない、魔王を討ったことを知らせる者がいなくなってしまうと危惧していた。

 そんな時、仲間の一人がノエルに言ったのだった。


「お前は何としても皆のところに帰ってくれ。お前が持っている能力で、俺たちを生きるための力にして……生き延びてくれ」


 仲間たちは、ノエルがひた隠しにしていた『能力』のことを何故か知っていた。それを使って、生き延びて故郷に帰れと願ったのだ。

 生きてこの死地から帰るのに必要な力を得るために、自分たちを食って、力と体力を持って行けと。

 それがお前に残された最後の役割だ、と言い残し、仲間たちは死んでいった。

 ノエルは、もう仲間を食べるのは嫌だと思っていた。またそんなことをして生き延びるくらいなら、此処で人間らしく皆と共に死にたいと思った。

 しかし、仲間に託された最後の願いを無碍にすることは──結局、できなかった。

 ノエルは泣きながら必死に仲間の肉を食べた。死闘を繰り広げた直後ということもあって、どうしようもないくらいの飢餓感を訴えていたノエルの体は、今までにないくらいに食べることを求め、得られる力の存在をこの上なく喜んだ。

 喉に噛み付き、肉を食いちぎり、骨を噛み砕いて。

 そして──気付いた時には、仲間たちが身に着けていた衣服以外のものは何ひとつそこには残っていなかった。

 あれだけ食べたのなら、腹が破れて嘔吐しても何ら不思議ではないと思っていたのに。

 体に残ったのは、充実感。力が全身を巡る感覚。満足感。

 美味しかった、と彼は思ったのだった。

 そうして仲間たちの思いを胸に凱旋したノエルは、人々に魔王を討ち果たした英雄としてその名を語り継がれることになった。

 それと同時に、同行した仲間を見殺しにして生き延びた悪魔のような男として指を指されることにもなった。

 ノエルは魔王を倒した褒賞として国から一生を遊んで暮らせるほどの金と住むための家を与えられた。士官として取り立ててやろう、という名誉ある話まで貰った。

 しかし彼は国からの誘いを断り、家は丁寧に謝礼を述べた上で受け取りを拒否した。金だけは生きる上で必要不可欠なものなので貰うことにしたものの、贅沢な暮らしには決して手を出すことはしなかった。今まで通りに質素な冒険者生活を送りながら、各地を点々と放浪して生活してきた。

 そして、今、彼は──

 散々目の前で仲間が死ぬところを見てきて、その存在を食らってきた自分が遂に死ぬ順番がやって来たのだと、何処か嬉しくもある不思議な気持ちでこの状況と向き合っている。

 これで、自分も皆のところに行けるのだと、ようやく人間らしい最期を迎えることができるのだと、実感しているのだった。

 ただ、唯一の懸念は。自分がこうして自分でも忌まわしい能力だと思っている力を、何の特別な存在でもない普通の少年に与えたことによって、彼のこれからの人生が自分のそれと同じように狂っていってしまうのではないかということだった。

 本当は、こんな能力などこの世に存在させるべきではないのかもしれない。このまま、自分の死と共にあの世に持っていってしまうべきなのかもしれない。

 そうするべきなのかもしれないが──自分のことを先生と呼んで慕ってくれたこの少年に、何かひとつでも、力を形にして残してあげたいと思ったのだ。

 無理矢理押し付けることはしないが、選択肢は持たせてやりたい。

 どちらを選んでも、そこに後悔の念だけは生じないように。

 これが、今の自分が与えられる精一杯の師としての愛情なのだと、彼は信じていた。


「僕がかつて母にそうしたように……君が、僕の心臓を食べるんだ。そうすれば、僕の中にある『能力』は君のものになって……僕が今までに培ってきた、冒険者として生き抜くための力を引き継ぐことができる。その力があれば……君は、一人前の冒険者として、これからを生きていくことができるようになる……無理にとは言わないけれど……どうか、受け取ってほしい。僕の……先生としての、最後の贈り物を……」


 生きているうちに食べろとは言わない。無理強いて食べさせることも、しないから。

 どうか、君だけは生きて此処から帰ってほしい。これからの人生を、前を向いて強く生きていってほしい。

 今にも消え入りそうな声で紡がれるノエルの言葉を、カムイは目を見開いて聞いていた。

 孤高の死神は……皆が言うような、仲間を見殺しにするような冷酷な人間じゃなかった。皆が死んだ後も、皆の心を手元に抱えて歩き続ける強い意志を持った心優しい独りぼっちの旅人だったんだ。

 自分がこの人の力を受け継いで、冒険者として生きていくと決意したら。

 そうすれば、この人も孤独じゃなくなる。今までに出会ってきた人たちと同じように、この人も自分の中で生き続けていくことができる。

 そう考えたら──

 自分は彼の弟子として、彼が与えようとしてくれているものを受け取るべきなのだと、そう思えた。


「……分かりました、ノエルさん……先生」


 カムイは深く頷いた。

 ノエルの体を抱く腕に力を込めて、彼の目をまっすぐに見つめて。


「オレ……貴方の全てを受け継ぐよ。力も、心も、孤高の死神という二つ名も……全部を受け入れて、生きていく。約束する。だから、貴方も、オレと一緒に行こう。オレの隣で……オレと一緒に色々なものを見て、笑っていてほしい。もう二度と、貴方を独りぼっちになんてさせないから」


 自分自身にも言い聞かせるように、力強くそう言うと。

 ノエルは、静かに微笑んだ。血に染まった唇を動かして、懸命に、声のない声で何かを呟いて。

 そのまま、音もなく瞼を閉ざし──それから彼が動くことは、二度と、なかった。


 能力を受け継ぐためには、心臓を食べろとノエルは言っていた。

 人の心臓を食べるなんて、正気の沙汰ではない。人に知られれば間違いなく狂っていると言われるだろうという自覚はあった。

 しかし、それでも。この行為は間違いなくノエルの願いであり、こうすることこそが彼のためになると信じていたカムイは。

 一切の躊躇は、しなかった。

 未だに温もりの残るノエルの体を地面に横たえたカムイは、ノエルが着ている服の襟元を緩めて胸元をはだけさせた。

 引き締められたノエルの体には、適度な筋肉が付いている。触ってみると固く、僅かながらに弾力があった。

 その胸の中心に、鞘から引き抜いた自分の短剣の刃を向ける。

 そして、そのまま刃の先端を、そこへと突き立てた。

 白い肌の上を溢れた血が伝って、流れていく。それをまっすぐに見据えたまま、彼は懸命に短剣を握る手を動かして、ノエルの胸を切り開いていく。

 やがて、両手が入るくらいの切れ込みができる。彼は短剣を地面に置いて、両手をその中にまっすぐに差し込み、その中にあるものをゆっくりと取り出した。

 動かなくなったばかりのノエルの心臓は、綺麗な赤味掛かった桃色をしていた。

 温かい。今にも動き出しそうだ。そのようなことを考えつつ、彼はごくりと喉を鳴らして、深呼吸をひとつして。

 ゆっくりと口を近付けて、それに、噛み付いた。

 歯を立てると、中から大量の血が溢れ出た。まるで熟れた桃を齧っているような瑞々しさだった。

 口の中一杯に広がる、鉄錆にも似た味と生肉の味。何とも形容し難い不思議な味。

 胃が悲鳴を上げた。こんなものは人間の食べるものじゃない、今すぐ吐き出せと不快感を訴えてきた。

 目に涙が滲む。心が受け入れていても、体が拒否しているのだということを嫌というほどに自覚する。

 それでも、彼は懸命に顎に力を入れて、肉を食いちぎった。体の中で渦巻いている嘔吐感に必死に耐えながら、何度も咀嚼して、飲み込んだ。

 すると、体の中心に雫が落ちたような感覚が湧き起こった。

 あれだけ酷かった不快感は嘘のようにぴたりと静まり、血の臭いも肉の味も気にならなくなったのだ。

 それどころか──食べかけの心臓を見ていると、口の中に唾が沸いてくるではないか。

 体が、欲しているのだ。もっと食べたいと。

 自然と手が動き、心臓を口へと運ぶ。

 二回目は、まるで抵抗なく肉を口の中に迎え入れた。

 当たり前のように噛み千切って、何度も噛んで味わって、飲み下す。それは普段何気なく普通の食べ物を食べている時の感覚と全く同じだった。

 美味しいと、思った。ありえないとも思ったが、今感じているこの感覚が紛れもない事実であることを実感していた。

 それから彼は、夢中で心臓を食べた。腹を限界まで空かせた幼い子供のように。自分の心が求めるままに食べ続け、そして遂に、完食した。

 そして……思う。もっと食べたいと。これっぽっちでは足りないと。

 彼は地面に置いていた短剣を片手に、ノエルの体に近付いた。

 そして、腹からはみ出ていた臓腑を引き摺り出し、食べやすい大きさにちぎって、迷うことなく口へと運んだ。

 一口食べる度に、自分の中に何かが蓄積されていくのが感覚で分かる。そしてその感覚を喜んでいる自分がいることも、分かる。

 ノエルが持っていた『孤高の死神』としての能力は、紛れもなく自分のものとなったのだ。


 これからは自分が『孤高の死神』となる。そして師すら為しえなかったことをやり遂げてみせる。

 どうか、オレの傍で、見守っていて下さい……先生。


 カムイは口の周りをノエルの血でべたべたにしながら、遂に、髪一本すら残さずに彼の体を食べきった。

 後に残ったノエルの服と靴を、遺品となったノエルの鞄に詰め込んで、カムイは街を目指して元来た道を引き返していく。

 大量の肉で満たされ膨れた腹の重さは、今の彼にとっては全く苦にも感じないのだった。

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