第3話 魔王の娘は嗤う

 ノエルはその見た目からは想像も付かないような優れた戦闘技能の持ち主だった。

 何もないところから武器を生み出し、様々な魔法を駆使し、見通しの悪い森の中を驚異的なスピードで駆け巡って相対する魔物を一瞬で屠っていった。武器を作り出す技など見たこともないとカムイが問うと、ノエルは「これは武装練成術といってかつて魔王の側近だった魔物が得意としていた技だ」と教えてくれた。

 ノエルの強さは、単純に戦いに生かすための能力だけには留まらなかった。

 彼は、自然の状態を的確に判断する『旅人としての強さ』も兼ね備えていた。何もないと思える場所から飲み水を確保し、食べられる野草や木の実などを見分け、仕留めた獲物を手早く解体して肉を確保する技術を持っていた。どんな悪路であろうと、彼の手にかかればそこは一瞬で平坦な道となった。

 罠を作ることも、僅かな種類の食糧で美味しいと思える食事を作ることも、ただの草にしか見えない植物から傷薬を作ることも、彼はできた。豊富な道具の知識を持ち、それを駆使して彼は森での探索作業を快適なものへと変えた。彼にとって森はこれ以上にない生きやすい恵み溢れる世界なのだと言っていた。

 そういう能力も冒険者にとっては必要になるものなんだと思い、カムイはノエルが為すこと全てを真剣に見て、学び、やり方が分からないと素直に教えを乞うた。

 これは経験がものを言うからすぐに満足にできるようにはならないとノエルは苦笑していたが、それでもカムイが知りたいと言ったことはひとつずつ丁寧に教えてくれた。

 カムイにとって、ノエルが与えてくれる『教え』はどれもきらきらとした魅力のある輝きを持った宝石のようなものだった。

 一日も早く学んだことを身に付けて、ノエルの力となれるようになろう。そう思っていた。


 緑一色の世界の中に開けた場所を見つけて、ノエルは足を止めた。

 警戒心を抱きながらそこに近付いていき、木が折られてできた空間の中心に落ちている肉の塊を見つけて、眉を顰めた。


「これは……ラージトード……かな」


 ラージトードとは、その名の通り巨大なヒキガエルの姿をした魔物だ。その大きさは時に二メートルを超えることもあり、口に入る大きさの生き物なら何でも食べてしまうという悪食で有名な存在である。

 基本的に沼地や川などの水辺を中心に生息している魔物だが、餌を求めてこうして水辺から離れた場所に移動してくることも珍しくない。

 多分これもそのくちだろうとノエルは思った。

 しかし、この死骸の有様は……

 ラージトードの死骸には、あちこちに肉を食いちぎられたような痕跡があった。人間がこの魔物を食用にすることは皆無だが、野生の肉食獣や他の魔物にとっては結構食いでのある生き物らしく、襲われて食べられてしまう事例も少なくはないという。

 肉を食いちぎった跡から判断するに、この魔物を襲った生き物はかなりの大きさと強靭な顎の力を持っていることが分かる。もしもそんな存在に襲われて咬みつかれでもしたら、腕や足など簡単に持っていかれてしまうに違いない。


「死んでるってことは、この森にこいつを襲った奴がいるってことですよね」


 気持ち悪そうに死骸を見つめるカムイに、ノエルは頷いた。


「そうだね。しかも、この食いちぎられたところ……まだ、血が乾いてない。ということは、この魔物が此処で襲われてからそんなに時間が経っていないってことになる。案外、すぐ近くにいるかもしれないよ」


 ひょっとしたら、物陰からこちらのことを伺っているのでは。そんな懸念をしながら、彼はゆっくりと周囲の様子を伺う。

 その瞬間。


 ざざざざざざざざざっ!


 木々の僅かな隙間を縫うように、何かが高速でノエルの背後を狙って接近してきた!

 異変の音を聞き取ったノエルが反射的に振り返る。咄嗟に傍にいるカムイの体を左手で抱き寄せると、音の迫ってくる方へと右の掌を突き出して、叫んだ。


「壁よ!」


 ヴン、と低い虫の羽音のような音を立てて、淡い水色に輝いた光のドームが二人の体を包み込むように展開する。

 迫ってきたものは光のドームに阻まれて、じゅわぁっと熱した鉄を水に突っ込んだ時のような音を立てて形もなく消滅した。

 何が起こったのか理解しきれていないカムイが、目を見開いて自分たちを取り巻く光のドームを見つめている。


「な、何……今の」

「おそらく……魔法だね。それもかなり高位のものだ。それこそ、かつて魔王が操っていたような……」


 その言葉を、涼やかな少女の声で笑った者がいた。


「今のを、防ぐのね……流石は英雄と呼ばれるだけの力を持った人間ということかしら」


 二人の立っている位置から十メートルほど離れた場所。そこに生えている大きな木の傍らに、片手を添えて佇んでいる小柄な少女の姿があった。

 見た目は十歳ほど。金と銀の中間のような不思議な色合いをした髪をくるくると巻き毛にしている。長くすっと尖った耳の上には羊のもののように丸まった太くて黒い角が生えており、額の中心に真紅の水晶のような光沢のある丸い宝石が貼り付いている。着ているものは複雑な赤い模様が入った司祭の服とよく似た形の漆黒のローブで、胸元には金細工のゴルゲットが輝いていた。

 明らかに、人間とは異なる特徴的な容姿。それにある既視感を抱いたノエルは、少女を見据えながら呟いた。


「その角……魔王のものとよく似ているね。君は──」

「私はグローリア。魔王の娘であり、彼の遺志を継ぐものよ」


 少女は名乗りながら、静かにノエルたちへと近付いてきた。


「貴方たち人間は魔王ちちを倒して全てが終わったと思い込んでいるようだけれど、まだ私がいるわ。魔法の力だけなら彼をも超える私の力を持って、今度こそ我が一族が世界の全てを掌握してみせる」


 三メートルほどの距離にまで近付いて、グローリアはすっと右手を二人に向けて翳した。

 口元に少女のものとは思えないほどの冷たい微笑を浮かべて、告げる。


「とりあえず……英雄さん、貴方は私にとって邪魔者以外の何でもない。此処で、死んでちょうだい」

「ノエルさん! 早く逃げないと……!」

「大丈夫、この結界はありとあらゆる魔法を無効化できる。今此処で結界を解く方が逆に危ない」


 逃げよう、と懸命に腕を引っ張るカムイに、あくまで落ち着いた様子でノエルは言う。

 彼が張っているこの結界は、かつて魔王と戦った時に幾度となく相手が繰り出す魔法攻撃から仲間たちを守ってきた対魔法用の防御手段としては最強の力を持つものだ。魔王ですら破ることができなかったものが、その娘の魔法如きに破られるはずがない──彼は、そう思っていた。

 くすり、と笑い声を漏らすグローリア。


「そうね、確かにその結界を破る手段は私にはないわ。……でも、それが貴方を殺せないことにはならない。その気になれば、貴方に魔法を当てることなんて容易いのよ。……こんな、風に」


 ノエルの足下にうっすらと形を作っていた影が、色濃くなって不自然に歪み、膨張する。

 それは一瞬にして巨大なトラバサミのような形となり、ノエルの体に足下から食らい付いた!

 影の存在に気付いたノエルが咄嗟にカムイを突き飛ばす。その腕もろとも、影の牙はノエルの全身を食いちぎる。

 腹から真っ二つになったノエルは、別々に草むらの上に落ちた。

 突き飛ばされて尻餅をついたカムイが顔を顰めながら身を起こし、目にしたのは──一瞬のうちに無残な姿と化した師の姿だった。


「ひっ……あぁぁぁぁぁぁ!?」


 カムイたちの周囲に展開していた結界が消失する。

 無防備に悲鳴を上げるカムイを見つめながら、グローリアは翳していた手を下ろした。


「ほらね……結界の内側で魔法を発動させれば、防御されることはないの。魔法は常に掌から生まれるものだと思ったら大きな間違いよ。ひとつお勉強になったわね」

「ノエルさん……ノエルさんっ!」


 半狂乱した様子でノエルの名を繰り返し呼び続けるカムイ。それからふっと視線を外して背を向けて、彼女は歩き始めた。


「そっちの子供は……殺したところで何の足しにもならないわね。だから見逃してあげる。私にとって邪魔なのは、魔王を倒した英雄だけだもの」


 離れていくグローリアの足下に、赤黒い靄のようなものが生まれ出る。

 それは彼女の全身を這い登るように包み込み、霧散した時には、彼女の姿はこの場から消失していた。


「それじゃあ、さようなら。英雄さん」


 素っ気ない彼女の別れの言葉だけが、何処からともなく聞こえてきた。

 それすら耳にも入っていない様子で、カムイは必死にノエルの上半身を抱き起こした。

 腹から真っ二つになったノエルは、肉の断面からだらりと内臓を零していた。複雑に捻れた形をした腸が、丸々とした胃が、血と謎の透明な液体を纏って生肉の臭いを辺りに放っている。触れると何処か生温かく、小さく脈打っているようにも感じられた──こんな有様になっても彼はまだ生きているのだと訴えているように、カムイには感じられた。


「ノエルさん……ごめんなさい、ごめんなさいっ! オレなんかが傍にいたから、こんなことにっ……」

「……カムイ、君」


 大粒の涙を零して喚くカムイに、ノエルは静かな声を掛ける。

 力を失って虚ろになった視線が、カムイの涙と涎でぐしゃぐしゃになった顔を捉えた。


「……君は、何も悪くはないよ。僕が、迂闊、だったんだ……あの女の子を、甘く、見ていたから……だから、これは……僕の、落ち度だ」


 開いた唇から、ごぼっと大量の血が溢れて落ちる。


「もう、僕は……先生として君を教えてあげることは、できない……できないけれど、これから君が、冒険者として生きていくための役に立つ力を授けてあげることは、できる。でも、その力は……僕を『孤高の死神』にした、人に忌み嫌われる力だ……だから、無理矢理力を授けることは、しない。力を受け取るか、どうか……君に、選んでほしい」


 血で真っ赤に染まった歯を見せて、笑って。

 ノエルは、告げた。


「僕が持つ能力は……人が持つ知識や技能を食らって自分のものにする力……究極の悪食とも言える、希望にも絶望にもなりうる異能の力だ」

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