第2話 金魚のような彼女
僕は彼女と同じゼミに所属していた。
彼女は金魚のような人だった。金魚と言っても、優雅な
だからこそ、男が雨宮の彼氏だと知って僕の胸はちくりと痛んだ。だが、複雑な気持ちは講義中にしぼんでいった。シラバス通りの進行は僕の期待を裏切ることがなく、エンドロールを見届けて心地よく余韻に浸っていた。
四時か。案外、時間の経つのは早いな。
感想を書き終わると、目の前に和田先生が立っていた。
「新山くん。元気そうですね」
「はい。和田先生も久しぶりです」
気付けば講義室にいる学生は僕一人になっていた。和田先生に紙を渡すと、思いがけない一言を掛けられた。
「きみの短歌が新聞に載っていましたね」
「見てくださったんですか!」
和田先生の目に留まっていたことが嬉しく、自然と笑みがこぼれる。僕は二年後期に取った授業で、新聞の俳壇・歌壇に応募していた。
「確か、恋の歌を多く作っていましたね。きみは、若い人にはないものを持っている」
「短歌は『みだれ髪』が好きなんです。あの情熱的な歌風に憧れて、古風なものを作りました」
購いし紅のつけたる君の
僕の脳裏に自信作が浮かび上がる。添削された作品も良いものになり、あの授業を受けて満足している。
「好き」とだけ伝えたいのに言えなくて二音の重み心の重み
僕がストレートな恋の苦しみに思いをはせていると、和田先生は意味深な言葉を口にした。
「新山くん。流されることも、ときには必要ですよ」
「え?」
しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。
あの一文の持つ響きと似ているように思え、しばらく固まってしまう。そんな僕に、和田先生は掴みどころのない笑みを見せたのだった。
「流されすぎてはいけませんがね」
バイト後の帰路が遠く感じる。
書店から出て商店街をとぼとぼと歩いていると、左肩が何かに当たった。おもむろに振り返ると、そこには雨宮がいた。泣きはらしたような目元に、僕は彼氏と何かあったのだろうかと推測していた。
「ごめんなさい……」
ぶつかったことを謝る雨宮の姿に、僕は見とれていた。見慣れたカジュアルな服装ではなく、ノースリーブのワンピースだった。紺色が肌の白さを際立たせる。
「気にしないで」
僕の声に雨宮は驚いたようだった。と同時に、涙腺が緩んでいく。
「め、珍しいね。雨宮さんがこんな時間帯に出歩いているの」
しどろもどろになりながらも雨宮を気遣う言葉を掛ける。その顔反則と悶えたい気持ちが収まるまで、右手を強く握っていた。
居酒屋から出てくる若者の姿がちらほら見える。雨宮を放っておくことができず、僕は駅まで一緒に歩くことにした。
僕の眉間にしわが寄るまで長くは掛からなかった。聞かされたデートの内容は幸せな思い出ではなく、珈琲のような苦い時間だった。
食事に行った場所に偶然知り合いがいたため、彼氏は何の気なしに席を移ったという。それから一時間以上も放置され、耐えきれなくなった雨宮が帰ることを決めたようだ。
「怒ってよくない?」
デート中に他の女の子のところに行くものだろうか。同窓生なら許せるものの、サークル仲間であれば学内で話すべきだと思えてしまう。
心の声を凝縮した僕の言葉に、雨宮は複雑そうな表情を浮かべた。本音をそのまま言えるのなら困っていないと言いたげな様子に、僕は疑問を投げ掛ける。
「高校からの知り合いとか?」
「うん。四月に横澤くんと久しぶりに会って、そこから」
茶髪に見とれていた雨宮に、横澤は「チャラそうに見える?」と見つめたようだ。 雨宮が言いそうな選択肢は一つしかない。それでも僕は言葉を紡いだ。
「それで、雨宮さんは何て答えたの?」
「『そんなことない。横澤くんはいい人だと思う』と返事をしたの」
高校のときは気付けなかったな。……今からじゃ遅いか?
「……ベタだな」
僕の予想は当たっていたらしく、雨宮は俯いていた。
彼氏に気を付けて。今の話だけを聞くと、もてあそばれている気がする。
そんな本音を口にするほどの勇気はなく、困ったら相談していいよとだけ告げた。
「ん」
頷く雨宮が輝いて見えたのは、酔った彼女が頬を赤く染めていたからだと思う。
僕が目を背けると、視線の先には駅があった。
「じゃあ、僕はこの道まっすぐだから」
僕が足早に去ろうとすると、雨宮は服の袖をそっと掴んだ。
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