臓器くじ(下)
【
結局、誰が救われるのか。
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勝手に出てはいけない、とチーフから聞かされていたものの、出てみればなんということはない。誰にも見られないし、特に騒ぎが起こる気配もなかった。
1439番は、謎の子どもと一緒に、白い廊下を早足で進んだ。
「ねえ」
「うん?」
「さっきの、どういう意味?」
自分の存在は、一部の人間を地獄に落とす。
今まで疑いもせず、ましてどうでも良いことだとすら思っていた自身の存在意義が、突然ぐらぐらと不安定なものになった気がする。表情こそ変化しないものの、1439の心臓はいやに暴れた。
「ははん。動揺すると、ちょっとは人らしく見えるじゃないの」
子供は意味深に、にやりと口角を釣り上げた。柔らかな裸足が、冷たい床をぺたぺたと歩く音が、ねちっこく1439の鼓膜を刺激する。
「答えてくれ」
眉根を寄せて先を促すと、子供は肩をすくめた。
「へいへい。まず君は、実験のくわしい内容を知りたいんだっけ。簡単に言えば、君は臓器提供のドナーみたいなもんなのさ。ドナーって知ってる?」
「うん」
「話が早い、つまりはそういうことだ。まあ君の場合、臓器じゃなくてDNAなんだけど」
ぺらぺら口を動かしていた子供は、ひとつの扉の前でぴたりと足を止めた。気がつけば、自分が今、施設のどのあたりにいるかもわからない場所に来ていた。子供は検査服の端っこにある、切り込みのようなポケットをまさぐると、一欠片の粘土みたいなものを取り出した。
「…それ誰の」
粘土に見えたのは、人の親指だった。1439の質問には答えず、子供ににっこり笑うと、その親指を指紋認証装置ににかざした。扉の上にあるランプが、認証を示して青く点滅する。
「さ、これが君の使い道さ」
音もなく開いた扉の中は、薄暗かった。ひたひたと足を踏み入れた1439は、室内の光景をまじまじと観察する。
中には、白く点灯されたポッドが数十機ほど、静かに整列していた。そのどれもが液体で満たされ、中にはしわくちゃの風船みたいな、生き物みたいなものが浮かんでいる。
「何これ」
「あ、これは知らないの? 脳みそだよ。人間の脳みそ。外部から"集めた"実験参加者から預かって保管してあるんだってさ」
子供はさらりととんでもないことを言ったが、普段から脳やらなんやら研究員達の好き勝手にいじられている1439にとっては、外の人間も似たようなことをするのか、自分からなんて、物好きだな。そう思う程度の真実であった。
「これと、実験になんの関係があるの」
気になるのはそこである。子供は脳みそ入りのポッドたちの間を、しばらくの間ゆっくり鑑賞するように歩いていたが、やがてひとつのポッドの前で立ち止まった。
「これは、僕の姉だ」
アネ、ってなんだったか。そんな疑問が顔に出ていたのか、1439を見遣った子供は「僕が一番焦がれる、僕の半分みたいな人さ」と付け加えた。
「君はね、年齢が15から20あたりになると、急激に老化が減速する遺伝子を持っているんだ。君、自分の体の発達が遅いと思ったことはないかい?」
「ない、けど」
1439は自身を見下ろす。そこにはチーフや研究員たちと異なり、雌雄を判別しづらい外観の華奢な身体が、首から生えていた。もしかして、17年生きたにしては、発育が遅いのだろうか。考え込んでいると、子供はなおも説明を続けた。
「気づいたみたいだね。…そういうことだから、死を恐れて先延ばしにしたがる輩にとっちゃあ君の遺伝子は垂涎ものってわけ。でもまあ、生命の情報ってやつは、そう簡単に組み替えられるほど簡単にできていない」
語りを聞きながら、1439はようやく疑問を感じ始めた。
この子供は、いったいいくつだろうか。
なぜ、検査服を着て、施設を自由にうろうろしているのだろうか。
自分を連れ出した目的は?
実験に詳しいわけは?
「君の命の鎖はとっても脆くて、他人にすげ替えることは限りなく不可能だ。でも、一部にはそれができる適性を持った人間がいることがわかった。間接的だし、まだまだ組み替えの技術は不安定だ。延ばせると想定されていた寿命もだいぶ低くなったけれど、金持ちたちは手放しで実験を支援した。支援したってのは、つまりさ」
恍惚と脳みそを見つめていた子供が、1439の方を向いた。作り物のような完璧な微笑。その無機質さに、1439は体が拘束されたように動かなくなった。
瞬きすら忘れる1439に、子供はそっと近づいた。
「適性のある人間を買い占めて、移植の試行を繰り返しているのさ。ドナーである君のクローンを生産して、遺伝子改良を繰り返しながら、適性を持った人間に移植して、そいつが死んだらサンプルとして体を部位別に保管する。それがこの白い施設で行われていることさ。僕と姉は、適性者として20年前からここで飼われている人間だ…長々と話してしまったけど、言いたいのは」
君は、金持ちのために一人で犠牲になっているようだけど。
1439の視界は、ノイズが走ったように不鮮明だ。それなのに、子供の姿をした、目の前の誰かのささやき声は、鮮明に鼓膜に届く。
「1438人の先代クローンと、僕らみたいな適性者が、君ひとりのために犠牲になっているんだ。君の存在が、僕らの人生をめちゃくちゃにしてるんだ」
ぶつっ、と耳鳴りがした途端、1439は糸の切れた操り人形のように床に倒れた。
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「うーん、こいつらやっぱり、心因性のストレスに弱いみたいだね」
「もう少し脳をいじってみますか」
「そうするしかないな」
「というか統括、自分が適性者で飼われてるっていうシナリオ、趣味悪すぎるんでやめません?」
「なんでさ、実験内容自体は間違ってないし、自分で志願したとはいえ、僕が適性者なのはほんとだ。これが一番手っ取り早いストレッサーになるだろう。…ほら、まだ1440の試行が残ってるだろ、今日中に済ませるぞ」
「はーい」
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