カリギュラ
【カリギュラ効果】
その行為を禁止されるほどやってみたくなる現象のこと。
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俺が通う公立大学は、周辺の県や地域からそこそこ勉強できるやつが集まるくらいで、特にこれといった特徴はない。そんなしがない田舎の大学にしょうもない、けれども絶対的な掟、あるいは禁則事項のような、奇妙な暗黙の了解があった。
反町ひかりさん、看護学部の3年生らしい。それ以外の情報はほとんどない。聞き出そうと思えば情報はいくらでも出てきそうだが、悲しいかな学力と家計の都合上遠方からやってきた俺は、微妙に周囲の雰囲気に馴染めていない。結果、友達は少なく情報源が乏しい。おっと、あくまでも少ない、だぞ。ゼロじゃない。それはいいとして。
俺が反町さんのことを知ったのは1ヶ月前に遡る。
*
「おっ、反町さんだ」
「誰、知り合い?」
図書館のラウンジにて、翌日提出のレポートをだらだらと進めていた時だった。一緒にいた唯一親しいと言える友人
「いや、お前知らないの? 反町さん」
「シラネ。学校のマドンナ的な?」
「看護学部3年生の反町ひかりさん。絶対に声かけちゃいけないって言われてるんだぜ」
逆井はなにやら神妙な面持ちで、そしてなぜか声のトーンを落として説明しだした。
「いつも独りで、同じ学部同じ学年の人ですら反町さんと話したことがないらしい。声をかけようとすると不幸がふりかかるとかなんとか…。冗談半分で声かけようとした先輩が、実際事故やらなんやらで病院送りになってるからな」
「それ偶然だろ…」
「バッカ、6人も続けば偶然でも声かけるの止めたほうがいいよ」
「………アホか」
ちょっとびびったけど、俺はすぐに馬鹿馬鹿しいと思い直す。
「じゃ俺が今声かけてきてやるよ。図書館なら事故も起きないだろうし」
椅子から立ち上がろうとすると、すごい力で引き戻される。勢い余って腰骨を机の角にぶつけた。地味に痛い。
「うぉお…お前なぁ……!」
「やめとけよ、別にわざわざ確認する必要もないだろ」
「だからってそんな引っ張んなくてもいいだろ! あー痛いまだ痛い」
とまあそんな言い合いをしているうちに、いつの間にか彼女の姿は消えていた。以来、俺は反町さんを見かけるたびに声をかけてみようと思っていたのだが、上述の通り逆井は必死に邪魔するし、その後も見失ったりタイミングが悪かったりと、声をかけるには至っていないのだ。
正直言って、ちょっと悔しい。
こうなったら意地でも反町さんに声をかけてやる。
そして仲良くなってやる。大学で唯一彼女と中の良い人間になって、逆井、そして病院に送られた名も知らない先輩たちに自慢してやる。
*
というわけで俺は今、大学最寄り駅の改札前にいる。スマホをいじりながら人を待つ…ふりをして、ちらっと視線を上げた。
その先、10メートルくらいのところに例の彼女がいる。
反町さんはひとりスタバのカウンター席でPCと向き合っている。顔見知りじゃないし当然だが、こちらには気づいていない。
ひとつ注釈を加えておくと、俺はストーカーではない。誤解しないでほしい。あれから一ヶ月、声がかけられないからずっとつきまとっているとか、そういうのではない。こんな風に、がっつりこっそり人の様子を伺うのは今日が初めてだ。もう一度言う、これはストーカーじゃない。
反町さんがスタバに入って 10分経とうとしていた。そろそろいいかな、と思い俺も店に入ってドリンクを注文する。
背後のカウンターには反町さん。右端に座る彼女の隣は空席だ。よし行くぞ。
「あのー、そり」
「やっほー!」
「熱っ!」
後ろから思い切り背を叩かれ、手の甲にコーヒーの雫がかかる。地味に痛い。
振り返ると、見たことがあるようなないような女の子が立っていた。
「あの、誰…てかなに…」
「あ、やっぱり。君いつもぼっちで授業受けてる子だよね」
「えっ!? ア、ウン。…ていうかあなた」
手の甲も痛いし精神的にも痛いとこ突かれたが、女の子はそんな俺を気にしている様子はなく、とても真面目な様子である。
「反町さんに声かけちゃダメだよ。知らないの?」
「え…それは…」
「あたしが止めなかったらどうするつもりだったの?」
いや知ってるけど。どういうことだ。なんで大して知りもしない人間まで声をかけるのを止めてくるのだ。
「まったく…あたしもう行くけど、無茶したらダメだよ。友達なら他に作りなね」
呆然とする俺をおいて、その女の子は店を出てしまった。その背をただ見送るしかなかった俺はすぐ我に帰ると、気をとりなおして反町さんに声をかけるべくカウンターへ…あっいない。
見ると反町さんは店の外、改札の方へと歩いている。
くそ、逃がしてたまるか!
ホームに降りても、反町さんの姿は見えなかった。ちょうど電車がやってきてしまい、慌ててあたりを見回すと、電車に乗ろうとする彼女の姿を発見した。
「そりま…」
「ちょっと君!」
「ぐえっ」
急いで彼女の乗る車両に駆け込もうとすると、駅員に首根っこをつかまれた。無情にも電車が出てしまう。
「げほ、すみません。急いでたんで…」
むせる喉をさすりつつ平謝りをすると、駅員は呆れ顔で言った。
「まあ駆け込むくらいならよくあることなんだけど…反町さんに声かけたらダメだよ」
「そっち!?」
どういうこと!?
同じ大学のやつならまだしも、お前も止めるの!?
状況が飲み込めず何も言えないでいると、駅員は「次は気をつけてね」と忠告して去ってしまった。
*
「ちょっと、反町さんに声かけようとしたでしょ」
「びっくりしたなぁ! 反町さんに声かけようとするんだもん」
「ちょっとあんた、今あの子に話しかけようとしたでしょ!」
「やめておきたまえ、君」
「あのひとに、こえかけちゃだめなんだよー」
「ニャァアアア!」
学生から教授陣、果ては購買のレジのおばちゃんから帰宅途中の小学生に通りすがりの猫まで。しかも止め方が結構乱暴である。
最初のうちは、誰も彼も反町さんを知ってて、必ず俺を止めに来ることに気味悪さを感じた。理由も分からず、みな口を揃えて「やめた方がいい」。理由を聞いても、「そういうルール」としか言わない。
だが、今はもうそんなことはどうだっていい。
ことごとく邪魔され続けた俺は、もはや躍起になっていた。
絶対、絶対絶対あの
幸いまだ病院送りにはなっていない。そして俺はまだひとつ、試していないことがある。
ここは大学の中央広場。反町さんは少し遠くのベンチで本を読んでいる。俺はあたりを見回した。今の所、誰も俺を止めようとしてはこない。この距離なら当然か。
俺は大きく息を吸った。
止めに来る奴らは、俺が反町さんに話しかける、すなわち「近づいて声をかける」といつも止めに来るのだ。
「そおおおおりまちさあああああん!」
全力で叫ぶと、周囲の視線が一斉にこっちに集まった。みんな凍りついた表情をしている。良い気味だ。
「そりまちさん! そりまちさあああん!! そりまちひかりさああああん!」
楽しくなってきて、おれはひたすら彼女の名前を呼んだ。
遠くの反町さんが俺に気づいた。硬直している周囲を尻目に、俺は彼女の方へと駆け付ける。
「そ、反町ひかりさん、ですよね!?」
「えっ? ああ、ハイ…」
全力でガッツポーズ。やっと…やっと声をかけられた。
誰も声をかけたことのない、遠い存在。町でうわさの反町さん。
ついに、俺だけが彼女に話しかけられたんだ!
「間違いないんですよね!? 反町ひかりさん!」
「えあ、あの」
「いや間違えるはずない! 俺ずっとあなたに声をかけたかったんです、ずっと見てたんです。でもみんな俺たちの間に入って邪魔しようとしてきて…まあいいや。ああ本当に、ようやく! 泣きそうです! 反町さんの声も俺が初めて聞いたのかな」
「ちょっと君…」
「あっでもさすがに親とは話しますよね笑 いやでも反町さんの生声をこんな近くで聞ける日がくるなんて…諦めないでよかった……!」
「ひっ! 誰か…!」
「おっとちょい待ってください。あいつらはあなたに声すらかけられないビビリなんですから気にしないでいいんです。それよりも、よかったら今からどこか行きません? そうだな時間も中途半端だし駅のスタバにでも。実はあそこでもあなたを見てたんですよ、声かけたくて。でもよくわかんない女子に……」
「ちょっといいかな、君」
ぽん、と肩に手を置かれ、振り返った。
大学の警備員が二人、すごい形相で睨んでいる。
「今の話、ちょっと危ないね。一緒に事務室に来てもらおうか」
「えっいや俺はただ…!」
「彼女もおびえてるし、ストーカーだよね? 一応警察呼んだから、大人しくついてきなさい」
あれよあれよと両脇を固められ、俺は反町さんから離された。
なんでだ。なんでこうなったんだ。
周囲の視線が痛い。どこかから笑い声やら呆れたため息が聞こえる。
何が間違っていた。どこから間違っていた。必死に今日までの記憶をさかのぼっていると、警備員のひとりがぼそりと呟いた。
「反町さんに話しかけるからこうなるんだよ、全く」
反町さんは何者なんだ、とか。
どうしてみんな彼女を知っているのか、とか。
そんなことを考える気力はもう残っていない。俺は警備室に連れられながら、ただひとつの掟に囚われ始めていた。
反町ひかりを見かけても、絶対に声をかけるな。
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