コールラウシュの屈曲点

【コールラウシュの屈曲点くっきょくてん

明るいところから突然暗いところに入るとき、徐々に暗闇になれることを暗順応という。この暗順応を測定する際、明るいところで主に働く視細胞から、暗いところで優位に働く視細胞に切り替わるときにグラフに現れる折れ曲がりのこと。


__________

 昔々のあるところに、小さな王国がありました。


 国の真ん中、小高い丘にそびえるお城の高い城壁に囲まれた、小さな世界の中で、そのお姫様は暮らしています。


 可愛らしいお姫様は、聡明な国王と優しい王妃、そして仲の良い兄弟姉妹に囲まれて、何一つ不自由のない生活をしていました。


 ある日、お姫様は思いました。「お城の外で、遊んでみたい」

 国王と王妃はにっこりと笑いました。「なんて好奇心の旺盛な良い子だろう。よし、城の外を巡ってきなさい」


 こうして、お姫様は生まれて初めてお城の外へと出ました。


 お姫様のために華やかに装飾された馬車に乗り、お外へ行くためにあつらえたお召し物を着て、心踊る音楽を奏でる音楽隊たちに囲まれて、お姫さまは丘を下りました。 


「お姫様だ! かわいいなあ」

「あっ、こっちを向いたよ!」

「お姫様、万歳!」


 城下の人々は口々に、喜びと祝福を述べてお姫様を歓迎してくれました。

 初めてのお城の外は、お姫様の目にとても楽しそうに映りました。


 初めての外出からしばらくたって、またお姫様は外へ出たくなりました。今度は、城下の人々を驚かせたい。ひとりでこっそり出かけたい。、そう思ったお姫様は、城から出て行く荷馬車にこっそり乗り込みました。


 がたごと、と音を立て、硬い荷馬車に乗りながらお姫様は思いました。「音楽もない、お尻も痛い、なんだかつまらないわ」


 しばらくして城下の街に着くと、お姫様は荷馬車を下りました。そして不思議に思います。「前に来た時よりも、暗くて静かな場所ね」


 てくてく歩いていると、ひとりの男が声をかけてきたので、お姫様はにっこりと挨拶をしました。「ごきげんよう!」

 男もまた、にんまりと笑って言いました。「ご機嫌なのも、今のうちさ」


 聞いたことのない挨拶の返し方だなあ。そんなことを考えてキョトンとしていると、突然後ろから手を引かれました。

「走って!」

 わけもわからず手を引かれ、走り続けるお姫様。ようやく止まったと思ったら、かくっと建物の角を曲がり、暗がりに放られてしまいました。壁に強くぶつけた背中が痛み、涙が出てきます。


 真っ暗な路地に引き込まれたお姫様は、初めて恐ろしいと思い、叫ぼうとしましたが小さな手が口を塞いできました。近くを、誰か大人が駆けていく足音が聞こえ、遠ざかっていきます。


「叫ぶともっと怖い。静かに、静かに……」

 ひそひそ越えで囁くその子の顔は、真っ暗でよくわかりません。お姫様はさっきの笑顔の男に助けを求めたい気持ちでいっぱいでした。


 ぽろぽろと溢れる涙が、お姫様の口を塞ぐ手を濡らします。その細い手が汚れて傷だらけであることに気づき、お姫様はますます恐ろしくなりました。「なんて野蛮な手だろう!」


 風が路地を通り抜けるかすかな音しか聞こえなくなった頃、その手はようやくお姫様の口元から離れました。「もう大丈夫、危なかったね」


「真っ暗で何も見えない、怖いわ、明るいところに私を返して!」

 お姫様は膝に顔を埋めてすすり泣きました。するとその子は、またささやきます。「顔をあげてごらんよ、だんだん見えてくるから」


 そっと顔を上げ、お姫様はきょろきょろと辺りを見回します。こころなしか、路地はさっきよりも暗いと感じなくなりました。ふと視線を落とすと、お姫様の隣には、とても小さな白い花が壁際に咲いていました。


「ね。暗くても、案外悪くないよ」

 そう言うその子の顔もぼんやりと見えます。手と同じように、ほっぺたも、髪の毛も、鼻の頭も汚れています。

 しかしその子は小さく、けれどもとびきり綺麗に微笑んでいました。


 お姫様もつられて笑顔になり、そして思いました。

「角を曲がって、この暗い場所に来れてよかったわ。この子の素敵な笑顔に会えたんだもの」

 

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