18

 俺は腕に力を入れ、必死に上体を起こした。傷口が半分以上塞がっていることを確認すると、ユウキに視線を戻す。


「このままイオリを、このゲームに縛り付けておきたくないんだ」

「…………」

「解放させたいんだ。僕のせいで、イオリは………」


 イオリは、ユウキの言葉を全く理解出来ずに混乱していた。ユウキはふっと顔を上げ、俺を見下ろす。赤い瞳には涙が溢れていた。


「なあ………僕達と交代してよ。イオリのこと守るのがプレイヤーの役目でしょ」


 俺は立ち上がった。ユウキも立ち上がり、俺と向き合う。ちらりと横目を向けてから、俺はユウキに問いかけた。


「……今までも、こうして裏切ってきたのか?」

「ああ、そうだよ。帰りたいと思った時から、ずっと。でも、みんなゲームクリアしていった。まるで魔王がザコキャラみたいに思えたよ」


 ユウキの背後では、魔王とカンセが戦っていた。やはり『勇者の剣』でないと駄目なのか、カンセが圧されている。俺はユウキに視線を戻した。


「いくら僕が訴えても、誰も交代してくれる奴はいなかった。そりゃあ、帰っても僕は地獄に戻るだけだけど……」

「地獄?」


 ユウキはハッとした表情になったが、鋭く俺を睨んで小さく吐き捨てた。


「………僕が、虐待されてたんだよ。イオリのされていたことは、僕が現実でされていたことなんだよ」


 ユウキが袖をまくると、細く白い腕には痛々しいアザが多く点在していた。イオリも初めて見たのか、驚いて言葉を詰まらせる。

 ユウキはフッと笑い、ちらりと背後を見た。カンセに加え、ファイリアとラキアナも魔王に襲いかかっていた。


「イオリと出会って、普通に話しかけてくれて、楽しかった。僕が虐待されてるんだと知ったイオリは、僕を連れて一緒に逃げてくれた。そしてたどり着いたのが、あの館だったんだ」

「………そうか」

「たしかにここなら絶対親に捕まらない。けど、それじゃあイオリも同じように縛られたままなんだ。ただ僕に付き合ってくれただけのイオリが、僕の虐待を背負ったまま……」

「でも、ユウキはそれでいいのか? 親から逃げ切れるとも限らないだろ?」


 俺の問いに、ユウキは光を無くした赤い瞳で答えた。


「逃げ切るよ。何としても。伊達にここで暮らしてきたわけじゃない」



 いざとなったら、殺してでも逃げてやるから。

 ―――今度は、一人で。



「……………そうか」


 ―――ユウキは、強いんだな。自ら地獄に落ちることになっても、イオリのためにその身を捧げる強い意思を持っている。

 だからきっと、現実へ帰っても乗り越えられるだろう。


 ――――――それならば、俺のやることは一つ。


「ねえ……」


 ユウキが何かを言おうとした瞬間、俺はユウキを押しのけた。驚いたユウキが視界の端に、その反対の端には俺に手のひらを向ける魔王が映っている。

 そして、ほぼ同時に胸を何かが貫いた。

 吐血し、全身から力が抜けていく。冷たい地面に倒れると、振動で激痛が走った。


「ナギサさん! しっかりしてください!」

「ナギサくんッ!」


 イオリが泣き叫び、ファイリアが駆け寄ってくる。俺を揺すって何度も呼びかけてくれた。そのエメラルド色の瞳は潤んでいる。


「俺さ……」

「ナギサくん! 喋らないで!」

「俺はさ………親を追いかけて………あの館に……着いたんだ………」

「は………?」


 ユウキが目を見開いて俺を見た。その反応をするのも当然か。


「死にたかったんだよ………俺は……嫌われてたから………」


 魔物がホクピ達に襲いかかった。しかし彼女達だけでは捌ききれず、ファイリアとイオリも応戦する。ユウキはじっと俺を見下ろし、耳を傾けていた。


「……なんで、死にたかったわけ?」


 弱々しく動く心臓が、どくんと大きく鼓動した。そりゃあ気になるよなあ、なんてぼんやりと思いながら、俺は淀んだ空を見上げた。


「――――――犯罪者……だったんだ」





 母さんが犯罪者だった。

 ただそれだけのことだったのに、俺には友達が一人も出来なかった。いや、正確には、出来たとしても、母さんのことがバレると友達じゃなくなった。

 あることないこと、色々噂された。よからぬことを企んでいると言われ、警察が来たこともあった。日常は、過去と嘘で圧迫され続けていた。


 俺は、罪を犯そうと思ったことなんて一度もない。それでも誰も、俺と母さんは違うと言ってくれなかった。母さんの血を受け継いでいるんだから、俺だっていずれきっと罪を犯すだろう―――そんな馬鹿みたいな結論に、みんなは洗脳され続けた。





 ――――――ほら、あの目、あの女とそっくりね。



 何だよそれ。親子なんだから当たり前だろう。



 ――――――あいつの母さん、人を殺したんだって。



 違う。人は殺してない。勝手に過去を変えるな。



 ――――――子供には何の罪もないのにね。可哀想。



 そう思うなら助けてよ。言うだけなら誰だって出来るだろ。





 許せなかったけど、現状を変える力は持っていなかった。それ故に父さんと母さんは自殺し、俺は二人を追って死に場を選んでいた。その時に、偶然にもあの館を見つけたんだ。

 最後にゲームをするのもいい……本当に軽い気持ちでプレイした。イオリを守るというシナリオだが、シナリオ通りでも、誰かの役に立つようなことがしたかった。

 生まれてきてよかったんだと、生きていてよかったんだと、そう思いながら死にたかった。


 しかしこのゲームは、それ以上の喜びを俺に与えてくれた。


 一番はやはりファイリア。彼女は俺のことを手伝い、助け、傍にいてくれた。それがプログラミングされたものだと分かっていても、嬉しかった。

 彼女だけじゃない。イオリやホクピ、ラキアナ達も、俺のことを煙たがらずに接してくれた。それが嬉しくてしょうがなかった。


 この世界は俺を認めてくれている。

 俺という存在を肯定してくれている。


 ―――このゲームでなら、死んでもいいと思った。



「ユウキからこのゲームのシステムを聞いた時……思ったよ………ここなら……誰かの役に立ちながら死ねる……って……」

「死ぬなんて言わないでよッ! ナギサくんッ!」


 ファイリアの怒号に、思わず笑みがこぼれた。


「こんなに誰かから好かれたの……初めてだ………」



 ―――はじめまして。ボク、ファイリアっていうの。よろしくね。

 ―――ボクはね、昔の記憶が無いんだ。

 ―――お疲れ様、ナギサくん。



 これが走馬灯か、今までの出来事が頭の中でよみがえる。ファイリアのことばかり思い出すのは、やはり彼女が俺の中で大きな存在だからか。

 ――――――こんなに誰かを思ったのは、生まれて初めてだ。


「俺……本当に……このゲームをやって……よかったよ………」

「………僕も、そう思うよ」


 こんなシステム、普通の人間にとっては迷惑なシステムでしかないだろう。

 しかし、俺やユウキにとっては、唯一の救済システムだった。このゲームがなかったら、俺は普通に死んでいたし、ユウキは一生親に縛られたままだっただろう。

 掠れた笑い声と同時に、一粒の涙が流れた。


「あっちに帰ったら………イオリと幸せに暮らせよ……ユウキ……」

「イオリが……許してくれればだけど……」

「許してくれるよ………イオリなら……きっと……」


 ユウキはこくりと頷いた。それを見て、俺はファイリアへ視線を向ける。


「ファイリア………」

「ナギサくん⁉」


 何かを悟ったのか、ファイリアが慌てて駆けつけてくる。その反応が嬉しかった。

 ―――言うならば、今しかない。


「俺さ………お前のこと………好きなんだ……」


 突然の告白に、ファイリアは硬直してしまった。咳をすると血が飛び出した。身体が妙に震えている。

 もうすぐ死ぬんだろう―――しかし、恐怖は一切なかった。


「俺が死んだら……何もかもリセットされるけど………でも………言いたいんだ………」


 ファイリアは膝をつき、冷たい俺の手を取った。俺は必死に笑顔を作る。

 ―――死にそうな顔で言ったって、絶対に上手くいかない。


「俺と………付き合って………くれないか……?」


 ファイリアはぽろぽろと涙をこぼした。ぎゅっと俺の手を握ると、彼女の背中からエメラルドの大きな二枚羽が現れた。キラキラと輝くそれは本物の宝石のように美しく、その場にいた全員の視線を奪った。妖精は羽で俺を包み込み、笑顔を見せて答える。


「――――――いいよ。付き合ってあげる。ナギサくん、一人だとどこかへ消えてしまいそうだからさ」

「なんだそれ………意味分かんないから………」


 小さく笑い、俺は瞼を閉じた。もう俺には、瞼を開ける力が残っていなかった。

 自分を呼び続ける彼女の声に包まれながら、俺は深い闇の中へと落ちていく。それも怖くない。新たな自分への期待を持ちながら、徐々に意識は失われていく。


 ―――次に目を覚ました時には、一体どんな自分になっているのだろう。次のプレイヤーは一体どんな人になるのだろう。

 ああ……でも、ファイリアがプレイヤーと仲良くしているのは、ちょっと嫉妬するなあ。出来れば、ファイリアとは恋人関係のままでいたい。ヒロインは他の奴を仕立て上げて、ファイリアは俺だけの彼女にしてほしい。


「おっさん………俺、ファイリアと一緒にいたいよ」


 せっかく勇気を出して、みんなの前で告白したんだ。その努力を買ってくれよ。そうしてくれれば、他に何も望まないから。


「我儘ですね、あなたは」


 呆れた声。しばらくして、分かりましたとため息混じりに返答がきた。


「あなたの要望、叶えましょう」



 ――――――ありがとう。



 声は出なかった。安堵しきった俺は、ついに意識を手放した。

 最後に残ったのは―――闇。





 ――――――有地渚という人物は、既にそこにはいなかった。









 ――――――――――――ゲームオーバー。

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