16

「僕も過去この世界にやって来て、次代勇者を守っていた。最も、それは失敗に終わったけどね」


 ――――――過去この世界にやって来た? 次代勇者を守った? 失敗した?


 何を言っているのか全く分からず、俺はさらに混乱した。ユウキは淡々と言葉を綴る。


「ああ、イオリも一緒だったよ。でも、二人がかりでも魔王は倒せなかった。あれはそんな簡単に倒せる奴じゃない。あのおじさん、難易度設定間違えたんじゃないの?」


 ゲームの作り手であるおっさんのことも知っているようだ。本当にユウキがプレイヤーだったと理解しようとする一方、信じられるわけがないと叫ぶ俺もいる。

 ―――当たり前だろう。疑問が多すぎる。


「プレイヤーだったって言うなら……なんでお前はこの世界に居続けてるんだよ」


 俺の問いに、ユウキは口角を少しだけ上げた。



「これが、罰ゲームだからだよ」



 ――――――ゲームオーバーとなった場合、罰ゲームがありますので、ご了承下さい。



 おっさんの言葉を思い出した。あの時、罰ゲームの詳しい内容までは教えてもらえなかった。

 罰ゲームの内容を聞いたら、参加を辞退するとでも思ったのだろうか? プレイしたくなくなるような罰ゲームって………もし、ユウキの言っていることが本当だとしたら―――。


「………ユウキとイオリは、ゲームオーバーになって、罰ゲームとして二人は……」



 ――――――次の、『次代勇者』になったのか?



「そう。なんだ、意外と物分かりいいじゃん」


 そう言いながら、ユウキは井戸のふちに座り、足をぷらぷらと動かし始めた。


「プレイヤーはゲームオーバーになると、その時の次代勇者と交代する。つまり、次の次代勇者になるんだよ。代わりに、前の次代勇者は現実世界に戻るってわけ」


 血の気が引いていくのが自分でも分かった。

 ―――どうしてユウキは、毅然とした態度でいられるのか。自分がどうなっているのか分かってるのか? ユウキだけじゃない、イオリだって……。

 

「別に、帰りたいわけじゃなかったし」


 俺の疑問を聞き取ったかのように、ユウキは素っ気なく吐き捨てた。ふっと空を仰いで、どこか懐かしそうに、独り言のように呟く。


「イオリは記憶を書き換えられて、もう現実のことは何も覚えてないけどね」

「書き換え……?」

「そう。次代勇者になったから。次代勇者はみんな記憶を書き換えられる。けどあのおじさん、どういうわけか僕の記憶は残したままにしてるんだ。次代勇者じゃないからか、面白いことでも期待してたんだろうけどさ」


 脳裏で、薄毛の男がへらへらと笑った。人の良さそうな顔をしてあの男、こんなとんでもないことをしていたのか。人は見かけによらないという、まさにそれの象徴だ―――ぞくりと背筋が凍った。


「ここまで言えば、さっきまでの質問に答えられるよね。一つ目、何故人間は僕達だけしかいないのか」

「………人間は、プレイヤーしかいないから?」

「正解。二つ目、何故僕が『天界への扉』の正体を知っていたのか」

「………プレイヤーとして一度このゲームをプレイしていたから」

「正解。ちなみにプレイヤーじゃなくなってからも、何度も魔王と戦ったよ。それは全勝したけどね」


 ユウキは悲しむようでもなく、悔しむようでもなく、淡々と喋っていた。その姿に異様さを感じる。


「三つ目の意味もこれで分かるよね。何故人間は回復能力が高いのか……プレイヤーは戦うことなんて出来ないからね。何のスキルも無ければあっという間にゲームオーバーだ。それじゃつまんないから、おじさんは僕らの回復能力を底上げしたんだよ」


 たしかに道理に合っていると、不覚にも納得した。プレイヤーは、ゲームのキャラクターみたいに機敏に動けたり魔法を使えたりしない。そんな人間がレベルアップも十分でないまま、魔王というラスボスキャラに勝てるわけもない。まさに、親切設定ってわけか。


「四つ目は……ああ、次代勇者が人間だけの理由か。これはもう分かるよね」

「『現代の勇者』っていうのは、一個のキャラなのか?」

「そう。絶対に会うことの出来ないキャラだ」


 そこでやっと、ユウキの言っていた「別物」を理解した。ユウキは写真をひらひらと揺らす。


「五つ目のこの写真、これは僕らがプレイヤーだった時に撮ったやつ。ゲームクリアするたびにアイテムはリセットされていたはずなんだけど、これだけは何故か残されててね」


 ユウキは写真を懐かしそうに眺めながら呟いた。


「ファイリアはプレイヤーの案内役……まあ、ヒロインってことだよ。強力な魔法も使えるし、いざという時にプレイヤーを助けてくれる。僕らの時には結局死んだけどね」


 ファイリアの笑顔が脳裏に浮かんだ。その顔に血が飛び散る。無理矢理映像を振り払い、俺は震える唇を開いた。


「……ゲームクリア、もしくはゲームオーバーになったら、全てリセットされるのか?」

「ああ。死んだキャラも壊れた校舎も何もかも、プレイヤーが初めて来た時の状態に戻るんだ。僕の記憶は引き継がれてるけどね」

「なんで、あのおっさんはそんなこと……」

「僕の足掻く姿を見て面白がってるんでしょ。キシリア学園が無駄に広大なのは、プレイヤーの幅広い年代に合わせただけ。前に三十路の人が大学部の生徒としてやって来てさ、さすがに驚いたよね」


 ユウキは写真をポケットにしまい、ぴょんと井戸から飛び降りた。尻を手ではたき、俺に向き直る。


「ここで追加の質問。何故僕はアンタのことを襲ったと思う?」


 急に聴力が正常になったのか、悲鳴が再び聞こえるようになった。ユウキの全身を眺め、半歩下がりながら、おそるおそる俺は答える。


「俺をゲームオーバーにして、現実世界に帰るつもりだったのか?」

「そう」


 空気が張り詰めた。ユウキは井戸のふちに手を置き、鋭く俺を捉える。赤い瞳からは、力強い決意が満ち溢れていた。


「もう限界なんだ―――アンタを次代勇者にして、僕らは現実世界に帰る」


 井戸の中から黒い光柱が放たれた。それは雲を突き抜け、一瞬で空を闇に染める。


「何をしたんだ……ユウキ」

「僕は何もしてないよ?」


 光はやがて細くなり、井戸の上で人の形に収まった。真っ黒な長髪を垂らし、黒のローブとマントを羽織る男が光から現れた。男は金色の目で自身の手を眺め、こちらに視線を向ける。


「人間。お前が勇者か?」


 機械のような無機質な声に、ぶるりと全身が震えた。俺が黙ったままでいると、男はユウキを横目で見た。


「人間。お前が勇者か?」

「僕じゃなくてあいつだよ」


 ユウキが指差す先にいるのは―――俺だった。


「なっ、何言ってんだよ! ユウキ!」

「ナギサくん!」


 背後から、ファイリアとイオリが走ってきた。二人は男とユウキを見ると、驚愕と困惑、そして焦りに顔を歪める。


「この魔力は……魔王……⁉」

「ユウキ! どうしたの⁉」


 イオリの叫び声に、ユウキは一瞬うろたえたような表情を浮かべたが、すぐにしかめ面に戻った。地に降り立つ魔王に、ユウキは急かすような言葉をかける。


「魔王。早く勇者を倒した方がいいよ。今のあいつは『勇者の剣』を持ってないから」

「なんだ人間? 私に指図するのか?」

「何とでも思えばいいけど、僕の言ったことは事実だから」


 魔王は無機質な瞳でユウキを見て、その後俺を捉えた。


「――――――ッ⁉」


 一瞬の衝撃波、直後に俺は後方に吹っ飛んでいた。瓦礫の山に背中から突っ込み、全身に痛みが走る。驚くファイリアとイオリの奥で、魔王は俺に手のひらを向けていた。

 魔法か何かだろう。一撃がこんなにも強力だなんて……これ、本当に難易度設定間違えてないか?


「ナギサくんッ!」

「ユウキ⁉」


 ユウキがファイリアへと駆け出した。背負っていた剣を抜き、彼女へと振り下ろす。ファイリアはギリギリでかわしたが、ユウキは再び剣を振るった。ユウキはしつこくファイリアを狙う。彼女は全て避けているが、戸惑いを隠しきれていなかった。


「ユウキくん! 何するんだ!」

「アンタに邪魔されるのが一番困るんだよ」

「ユウキ! やめて! どうしちゃったの⁉」


 イオリの叫び声が耳に響く。力を入れると傷口から血が流れたが、構わずに立ち上がった。魔王は左手に持つ杖で、トン―――と地面を軽く突いた。刹那、魔王の頭上に三体の子供の魔物が現れた。

 俺はそこらに落ちていた刃折れの剣を取った。魔物は真っ直ぐ俺へと飛んでくる。そこへ剣を振り下ろした。魔物の体が少し削れる。

 魔物が宙で回転すると、鋭利な何かで斬られたように腕に傷が生まれた。痛みに堪えながら剣を水平に振るが、魔物が腹へと勢いよく突っ込んできた。激しい圧迫感、直後には頭部に衝撃が走った。反射的に手で頭を押さえると、液体の感触がした。


「やめるんだユウキくん! どうして魔王に加担する⁉」

「ユウキ! お願いやめて!」


 悲痛な叫び声が響き渡る。ファイリアはユウキに火球を投げ、それをユウキは剣で薙ぎ払う。その光景が視界に映った瞬間、俺の腹を何かが貫いていった。


「な、にが―――」


 瓦礫にもたれるように倒れる体。震える手で確認する。

 ―――ああ、腹に穴が空いている。

 そう認識すると、激痛が全身をかけ巡った。ぼんやりと、怒りに震える妖精の少女が遠くに見える。


「魔王ッ!」

「うるさい妖精だ。やはりあの時、徹底的に殺しておくべきだったな」

「……貴様ぁあああああッ!」


 怒声を上げたファイリアが巨大な光球を作り出し、それを魔王へと投げつけた。すかさず魔王の前に魔物達が集まり、壁となって光球を受けた。魔物達は一瞬で消え去る。そこへファイリアが剣を振り下ろした。杖で受け止めた魔王は、表情を変えずに彼女を見下ろす。


「力はあるようだな。しかし、恐るるに足らぬ」

「うるさいッ!」

「勇者の心配でもしたらどうだ、か弱き妖精よ」


 ハッとしてファイリアが振り向いてくれたが、既に多くの魔物がこちらへ向かってきていた。ファイリアが慌てて駆け出すが、魔王に不意を突かれ殴り飛ばされた。倒れたところでユウキに足を刺され、彼女は身動きがとれなくなる。痛みに悶えるファイリア。イオリの悲痛な叫びがあっても、ユウキは剣を離すことはなかった。


「ナギサくんッ……!」


 自分へと手を伸ばしている妖精を、俺はぼんやりと眺めていた。体が必死に傷を癒やしているせいか、頭が回らなかった。向かってくる魔物にも気付いているが、逃げなければという結論に至らなかった。

 理由は複数ある。この傷で動けないという至極真っ当な理由と、もう一つ―――。


「いや………! やめてえええええええええええッ!」


 イオリの叫び声が響き渡る。

 ―――直後、魔物達に「何か」が勢いよく飛び込んできた。それらは魔物を殴り飛ばし、俺の前で着地した。誰もがその光景に目を丸くした。

 魔物を吹っ飛ばしたのは、二人の少女だったからだ。


「おにーさん! うちらも手伝うで!」

「ヤバそうな雰囲気だったから参戦しました」


 犬の少女ホクピと、猫の少女アマトだった。二人は襲ってくる魔物を容赦なく殴り飛ばす。しかし、彼女らも困惑していた。


「ユウキくん! なんで魔王に加担しとるんや! イオリちゃんのこと殺したいんか⁉」

「チッ……! 邪魔するな!」

「邪魔するよ。もっと他にもね」


 アマトが言うと、さらに複数の人物が駆けつけてきた。多くの生徒達、その中にはイオンやイオーシェ、ラキアナやカンセまでもいる。カンセは一本の剣を持っており、それをイオリに渡した。


「これは『勇者の剣』。ファイリアから預かっていたものだ」

「勇者の剣……?」

「これは勇者にしか扱うことが出来ない。そして、これでしか魔王は倒せないんだ」

「くそっ……!」


 ユウキがファイリアに刺していた剣を抜き、カンセへと駆け出した。彼へと刃を突き出すが、イオーシェが作った結界によって弾かれてしまう。イオリも結界の中におり、『勇者の剣』をじっと見つめていた。そんな彼女へ、何度も結界を切りつけるユウキが叫んだ。


「イオリ! ダメだ! それは偽物だ!」

「偽物……?」

「そんなわけないでしょ! ユウキくん!」


 ユウキの背後から、彼へと手を伸ばすファイリア。しかし、触れるギリギリでかわされてしまう。ファイリアへと襲いかかろうとした魔物は、ラキアナの弓矢で射抜かれた。イオンはホクピとアマトに加勢する。他の生徒も魔物と戦い始めた。

 激しく争う中、イオリはゆっくりと『勇者の剣』を抜いた。銀色の刀身に自分でも映っているのか、イオリはじっと見つめている。


「それで魔王を倒すんだ。私も協力しよう」


 カンセの言葉にイオリは頷いた。イオーシェの結界から飛び出し、イオリとカンセは魔王へ駆けていく。

 ユウキは制止の声を上げながら彼女を追いかけた。しかし、ファイリアとラキアナに邪魔をされ、立ち止まってしまう。魔王は、少しだけ焦ったような金色の目を見せた。


「貴様が本当の勇者か」

「そう……わたしは次代勇者! これでみんなを助けるの!」

「やめてくれッ! イオリッ!」


 懇願にも近いユウキの声を聞きながら、イオリは魔王に剣を振り下ろす。魔王は杖でそれを受け止めた。無防備な彼の胸に、カンセが複数の氷柱を飛ばす。後方に飛んで避けた魔王は、新たに作り出した魔物にカンセを襲わせた。

 カンセが魔物と戦う間に、魔王はイオリを蹴り飛ばした。俺のところまで飛んできたイオリは、咳き込みながら立ち上がる。そこへ、ファイリアとラキアナを振り切ったユウキが駆け寄った。イオリの肩を掴み、必死に彼女に訴えかける。


「頼むイオリ! やめてくれ! 魔王を倒さないで!」

「ユウキ……どうして? 魔王を倒せばみんな助かるんだよ!」

「もうこれ以上ここにいたくないんだよッ!」


 ユウキの悲痛な叫びに、俺は目を見開いた。ユウキはイオリの肩を強く握ったまま俯き、涙を堪えながら言葉を紡ぐ。


「違う………これ以上、イオリが縛られるのは嫌なんだ……」


 突然の変貌に、イオリと俺は困惑の目でユウキを見る。先程までとはまるで別人のように、ユウキは弱々しく呟いた。


「お願い………やめて………」

「どういうこと……? ユウキ、わたしが縛られるって……? わたしはもう縛られてないよ? みんなが助けてくれたじゃない」

「違うッ!」


 叫んだ少年の瞳からは、涙が流れ落ちた。


「はじめはよかったよ……」





 ―――あの地獄から、逃れられたと思ったから。

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