15

「なっ……⁉」


 揺れる教室。窓の外に目を向けると、あれは初等部の校舎だろうか―――煙を上げる校舎が見えた。続けて爆発……初等部校舎はバランスを失い、崩壊を始めた。

 騒然とする室内。俺は天使の羽をすぐに脱ぎ捨て、唖然と爆発を見守るイオリの腕を掴んだ。


「イオリ! 来い!」

「えっ⁉」

「魔物の仕業かもしれない! イオリを狙っている可能性もある!」


 二人で教室を飛び出し、高等部へと向かった。ちょうど教室から出てきたファイリアを叫んで呼んだ。


「ファイリア!」

「ナギサくん! よかった、イオリちゃんも一緒で!」

「魔物の仕業なのか⁉」

「分からない! ボクは先に行ってるね! ナギサくんはイオリちゃんをお願い!」


 ファイリアは廊下を駆けていった。イオリが不安な表情で辺りをキョロキョロと見回している。


「あの、さっきの話……」

「ああ……実は―――」


 ガラスの割れたけたたましい音が耳を貫いた。視線を向けると、砕けたガラスの上でゆらゆらと蠢く獣のような、しかし二本足で立っている黒い「何か」がいた。同じような「それ」が、次々と割れたガラスから校舎内に入ってくる。その姿に、校庭に現れた魔物や書庫にいた魔物を思い出した。


「きゃあああああああああああ!」


 一斉に人々が逃げ出した。俺達も流れに乗って逃げる。獣人の魔物は人を襲い食らいついた。悲鳴と鮮血があちこちで飛び散る。

 外に出ると、そこも既に戦場だった。書庫にいた、人食い植物がいたのだ。大勢が食われており、倒壊した校舎の周りでは、子供の魔物達が楽しそうに笑っていた。


「何なんだよ……いきなり……!」


 よりにもよって、どうして人が集まるこの日に。まるで図ったかのようなタイミングだ。

 いや―――違う。図ったんだ。より多く、効率よく人を殺すために、あえてこの日に襲撃を企てた。

 ならば一体誰が―――決まってる。そんなのたった一人だ。


「ラスボス―――魔王だ」

「え……?」


 イオリが不思議そうに俺を見上げた。今の彼女は着物姿で下駄を履いており、少し走っただけでも息が上がっていた。この格好じゃろくに動けないだろう。


「ごめん、無理矢理引っ張って。足、大丈夫か?」

「大丈夫です。でも、動きづらいから脱いじゃいます」

「えっ」


 イオリは下駄を脱ぎ、足袋も放り投げた。素足で冷たい土の上に立つ潔い少女に、俺は驚きを隠せない。

「い、いいのか? 痛くないのか?」

「本当は着物ごと脱ぎたいけど、ここじゃ着替えられないから、せめて動きやすく……」


 着物の裾を掴んで、イオリは左右にぐっと引っ張った。その背後に人食い葉が伸びてきた。反射的にイオリに飛びつき、地面に二人で倒れる。葉は頭上を通過したようだが、悲鳴が背後から上がった。


「あ、ありがとうございます」

「ああ……とりあえず今は逃げよう! 武器が無い今、俺達じゃ何も出来ない!」

「でも……」

「ナギサくん!」


 ファイリアが人食い植物に警戒しながら、西校舎の方から駆けつけてきた。立ち上がると、ファイリアは俺の背後に火の玉を投げた。魔物の悲鳴に負けない声量でファイリアが叫ぶ。


「書庫が魔物の発生源じゃないみたいなんだ! それを突き止めないとこの騒ぎは収まらない!」

「書庫じゃない?」

「うん。そもそも書庫の魔物は、あの対決後にかなり討伐したし、書庫への入り口の封印はされている。あそこから出てくることは不可能だって」

「じゃあ一体、どこから―――」


 そこまで言って、俺はふと思い出した。それはユウキを探し回っていた時のことだ。



 ――――――魔界への入り口だから。



 ユウキは『天界への扉』のことをそう言っていた。誰も信じないけれど、と。

 しかしそれがもし、本当なら―――!


「まずい……!」

「ナギサくん?」

「『天界への扉』かもしれない!」

「えっ⁉」


 驚きながら、ファイリアは襲ってくる獣人魔物を切り捨てる。中央校舎を見ると、そこも完全に倒壊しており、瓦礫の山と化していた。ここからじゃ魔物が発生しているか分からない。


「確認してくる!」

「あっ!  ナギサくん待って!」


 ファイリアの制止を無視し、俺は走り出した。魔物が蠢く中を必死に駆け抜ける。襲ってきた魔物は、誰かの魔法によって怯んだ。

 怪我をして倒れている人は大勢いる。目を剥き出して絶命している人もいる。それらから視線を逸らし、俺は中央校舎だった瓦礫の山にたどり着いた。


「どこだ……どこだ……⁉」


 井戸を探して辺りを歩き回る。瓦礫で井戸が塞がっていれば好都合なんだが……そう上手くはいかないよな。


「…………?」


 ―――少年と出会った。銀色の髪を風に靡かせ、赤い目は俺を鋭く睨んでいる。騎士に模した姿は、幼い顔に男らしさを付け加えていた。

 その姿には、見覚えがあった。彼自身も、その格好にも―――。


「ユウキ……!」


 ユウキは、井戸―――『天界への扉』の横で佇んでいた。


「もしかして、ユウキもその井戸から魔物が発生してると思って?」


 ユウキは何も答えなかった。ただじっと俺を睨んで動かない。人が少ないからか、この辺りでは魔物は全く闊歩していなかった。

 沈黙が流れる。背後の悲鳴を聞きながら、俺はもう一度ユウキに問いかけた。


「イオリが心配してたぞ。最近会えないって」

「……………」

「もしイオリが魔物に襲われてたらどうするんだよ」

「………会わないようにしてたからね」


 やっと答えた言葉に、俺は疑問を抱かざるを得なかった。


「なんでそんなことを?」

「……………」

「ユウキ―――」

「邪魔されないためだよ」


 邪魔って一体どういうことだ―――訊き返しても、ユウキは再び沈黙してしまった。


 ―――ユウキが何を考えているのかが分からない。今だって、魔物が暴れているのにどうしてイオリを助けにいかないのか。何の邪魔をされないためにイオリと会わなかったのか。

 ユウキに、イオリよりも優先すべきことがあるのか?


 ユウキはごそごそとアウターのポケットを漁ると、何かをスッと取り出し見せてきた。


「これの正体、知りたい?」


 ―――絶句した。それは写真だった。



 ユウキの本に挟まっていた、謎の写真だ。



「どうしてそれを―――」


 言っている最中、思い至った答えに体が震えた。


「まさか……お前が……」

「―――そうだよ」



 ―――アンタの寝込みを襲ったのも、銃で撃ったのも、僕。



 轟音が後方で響く。振り向くと、高等部の校舎も爆発で崩壊を始めていた。砂煙でそれを見届けることは出来なかった。ユウキはそれを無表情で眺めている。


「魔物に殺されるより全然マシでしょ」

「は……? なんでそんなことしたんだよ! そもそも、その写真は一体……」

「じゃあ質問。この世界には僕とアンタ、それからイオリしか人間はいない。それは何故?」


 急に投げかけられた質問に、俺は言葉を詰まらせた。

 ―――何故、世界には俺達しか人間がいないのか?

 その訊き方に若干の違和感を覚えていた。無表情で回答を待つユウキに、おそるおそる俺は訊き返す。


「俺達だけじゃなくて、イオリの父親も人間だろ? お前の家族だって人間のはずだし……」

「ああ……じゃあ簡単にしてやるよ。何故、このキシリア学園には僕達三人しか人間がいない?」

「それは………偶然だろ?」


 ふーん、と呟き、ユウキは腰に手を当てた。


「じゃあ二つ目の質問。何故僕は『天界への扉』が魔界と繋がっていると知っていた?」

「以前に魔物が発生するのを見た、もしくは聞いたとか?」

「前者が正解。補足するなら、何回も」


 何回も見たことがある? それなのに、どうしてみんなはユウキの言葉を信じなかったのだろうか? あまりにも信じられないからか? 危機的状況でそんな風には思わないと思うんだが……。


「じゃあ三つ目。何故、人間という種族は回復能力が高いのか?」


 その質問には答えられなかった。

 ―――そんなこと俺が知るか。あのおっさんのさじ加減だろう。しかしまあ、言いたくても言うことは出来ないが。

 ユウキは答えない俺を見て、赤い目を光らせた。


「答えは、すぐに死ぬからだよ」

「すぐに死ぬ?」

「魔法は使えない、剣も銃も扱えるとは限らない。そんな人間が魔物と戦うなんて、とても出来ないでしょ」


 ユウキの言葉に、再び俺は違和感を覚えた。

 ―――それはまるで、人間は魔物と戦うのが前提のような話し方だ。それほどこの世界には魔物が闊歩しているのだろうか。おっさんの立場で考えると、たしかに回復能力が高い方がプレイヤー的には親切設定だな。

 しかし―――剣も銃も使えない、というのは変だ。それらは習得して使えるようになるものだ。もちろん生まれてすぐには使えないが、それはどの種族だって同じはずだし、だから回復能力が高くなる、なんて生物の進化、聞いたことないぞ。


「四つ目。『次代勇者』には人間しかならない。その理由は?」

「え? そうなのか?」

「ああ。前の『次代勇者』も」


 ということは、今で言う「現代の勇者」ってことか。それも偶然なんじゃないのか? たまたま、人間の勇者が続いたってだけで―――そう言おうとすると、ユウキが先手を打った。


「あ、『現代の勇者』と『次代勇者』は別物だからね」

「別物?」

「僕が訊いてるのは、『次代勇者』に、人間しかなれない理由」


 ―――言い直した意味が分からなかった。

『次代勇者』に、人間だけしかなれない? 別物って? でも『次代勇者』はいずれ『現代の勇者』になるわけだし、つまり今の『現代の勇者』も人間ってことなんじゃないのか?


「まあいいや。五つ目。この写真見てどう思った?」


 混乱する俺を無視し、写真を掲げるユウキ。

 この口ぶりは、恐らく写真の真相を知っているんだろう。もしかして、ユウキはわざと写真を挟んだままにしておいたのだろうか? しかし、何故? 俺に見せるため? それとも他の誰かに?

 疑問が絶えなかった。沈黙する俺に苛立ったのか、ユウキは返答を促した。


「早く言いなよ」

「………変だなと思ったよ。イオリが笑ってるし、みんな今日と同じ格好だし。まるで未来の写真みたいだ」

「半分正解、半分不正解」


 曖昧な答えに俺は首を傾げた。ユウキはひらひらと写真を揺らしながら続ける。


「この世界にとって、これは未来の写真になる。でも僕にとっては過去なんだよ、これは」

「は?」

「じゃあ六つ目。キシリア学園は初等部から大学部まで……あらゆる年齢に対応した学校だけど、その理由は?」


 ―――それ、俺に理由を訊くようなことじゃないだろ。理事長の、厳密にはあのおっさんが設定したことなんだから。

 的外れな質問に、俺は強い口調で答えた。


「大きな学園を作りたかったんだろ、カンセが」

「じゃあ七つ目。何故、『現代の勇者』はアンタにイオリの護衛を頼んだ?」

「それは……」


 そういうゲームだから―――などとは口が裂けても言えなかった。俺は実際に『現代の勇者』に会ったわけでもないし、その理由は聞かされていない。答えることは不可能だった。



「そういう設定だから―――でしょ?」



 瞬間、俺は身震いした。ユウキは表情を変えず、俺をじっと睨んでいる。俺はというと、驚きで声が出なかった。

 ―――聞き間違いなどではない。


 ――――――そういう設定だから。


 それは、この世界が「ゲームの世界」だと分かっていないと出てこない言葉だ。

 しかも、俺がプレイヤーであると知っていないと、絶対に出てこない。


「驚いた?」


 ユウキが薄く笑った。背後ではまだ魔物が暴れているはずなのに、その音が全く聞こえてこなかった。ユウキの妖しい声だけが、耳の中で響いていた。



「ここはゲームの世界。アンタはこのゲームのプレイヤーだ。次代勇者イオリを守る守り人として、この世界に入り込んだ」



 何故、ユウキがそのことを知っている?

 何故、この世界がゲームの世界だと認知している?

 何故、俺がプレイヤーであると分かっている?


 ユウキはこのゲームのキャラクターのはずだ。現実世界のことなど知るはずもない。



 思考が完全に混乱した。対してユウキは、得意げに言い放った。


「なんで知ってる……って顔してるね」

「っ……!」

「教えてやるよ」









 ―――だって、僕もプレイヤーだったから。

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