11

 しょうがないだろと言われている気がした。そんなの理不尽だ、俺は何もしていない―――そう言っても無駄だ。むしろさらに嫌われるもとになる。これ以上状況を悪くしないようにするためには、何もせずじっと堪えているのが一番だろう。それ故、俺の人生は何の面白みもないものになってしまった。

 もし、俺がこの家に生まれていなければ―――いつもそこまで考えて、罪悪感にさいなまれる。それじゃ母さんを全否定するようなものだ。ダメだ。違う。嫌だ。

 どうして母さんはあんなことを―――。

「ただいま」

 玄関を開けると、嫌な予感がした。妙に静かな気がしてならない。返事をされないことなんてしょっちゅうある。別に変わったことではない。

 なら、この胸騒ぎは一体何だ? 俺は足音を立てずに、息を殺して居間へと向かった。

「――――――――――――ッ」

 声が出なかった。目の前に広がった光景に、言葉を失った。電気は消え、夕日だけが部屋を照らしている。閉めきられた窓のせいで、鼻につく強烈なにおいが充満していた。そのにおいと、そしてテーブルに置かれたメモに、俺は現実を突きつけられる。


 ――――――ごめんね、渚。もう疲れちゃった。あなただけは、幸せになってね。


「…………なんで」

 鞄を落とし、その場に膝から崩れた。ぽろぽろと涙をこぼしながら、目の前に横たわる二人を眺めていた。苦しそうな、それでいて嬉しそうな表情。固く手を繋いでいて、傍には二本の包丁が落ちている。その刃は赤く濡れていた。二人の胸も、赤く染まっていた。

「なんで、俺を置いていっちゃうんだよ………」

 ぽつりと呟いた俺は泣き続けた。父さんと母さんはその間も、腐臭と鉄のにおいを放ち続けていた。



 俺は、このゲームをやってよかった。それはイオリの件で身に染みて感じたが、俺は今日、それを再認識することとなった。

「どお? 似合うかな?」

 くるりとその場で回転し、ふりふりのスカートを揺らすファイリア。自身の全身を眺め、俺を上目遣いに見た。俺は無言でぐっと親指を立てる。

 文化祭が迫るキシリア学園では、生徒は皆その準備で毎日が忙しかった。俺達のクラスがやる「天使喫茶」では、店員は天使の恰好をするのだが、それだけではなく、女子はメイド、男子は執事の恰好をすることになったのだ。

 今日は出来上がった服の試着会である。

 つまりファイリアは今、メイドの妖精に扮しているのだ。

「ナギサくん? 具合でも悪いの? 口なんか押さえて」

「い、いや。大丈夫」

 大丈夫じゃない。ファイリアが可愛くて直視出来ない―――予想外の事態に、俺は動揺していた。

 こんなに心揺らぐなんて。これじゃ話すことすらまともに出来ないじゃないか―――。

「ナギサくん?」

 ひょっこりと、ファイリアが視界いっぱいに映った。エメラルド色の瞳からでも分かる程に頬を赤く染めた男は、どうすることも出来ずに硬直してしまった。ファイリアは小首を傾げる。

「どうしたの? 顔、真っ赤だよ?」

「あっ………えっ………」

「暑いの?」

「えっ………えーっと! そう! ちょ、ちょっと暑いかも! す、涼んでくる!」

「え?」

 耐えきれなくなり、俺は教室を飛び出した。途中誰かに呼び止められた気もしたが、とても教室に残っていることは出来なかった。校舎内を走り続け、外にも飛び出して走り続け、本当に暑くなった頃、むしろ俺の頭は冷え切っていた。

 立ち止まると、いつの間にか学園街まで来てしまっていたようだった。まだ日の出ている放課後だからか、生徒も多く通りは賑わっていた。

 俺はとぼとぼと一人で歩く。その途中でふと、誰かに呼ばれているような気がした。辺りを見回すと、クレープ屋の女性ラキアナが俺に向かって手招いていた。導かれるままに向かうと、ラキアナはずいっと窓から身を乗り出してきた。

「キミキミ! ファイリアと一緒にいた子だよね!」

 あまりにも距離が近く、俺は若干後ろに引いて答えた。

「そ、そうですけど……」

「ねえねえ、ホントにあの子と付き合ってないの⁈」

 付き合えたらどんなに良いか―――そう思いながら頷く。するとラキアナは、腕を組んでしかめ面をした。

「おっかしいなあ……絶対そうだと思ったのに……」

「あ、あはは……ラキアナさんは、ファイリアと仲がいいんですね」

「まあね。あの子、人当たりは良いけどあんまり友達といるわけじゃないのよ。だから、あなたを見てもしかしてって思ったんだけど……」

 たしかに、ファイリアが特定の誰かといるところは見たことがない。ずっと俺についてきてくれてるし。

 そう考えると、もしかして……?

 ―――そんなわけないだろと、自分を叱責した。

「キミさ、ファイリアのこと好き?」

「はっ⁈」

 いつかと同じように声が裏返ってしまった。それで確信したのか、ラキアナが悪戯っぽく笑った。

「やっぱりな~! いつから⁈ 協力するよ⁈」

 ぐいぐい迫ってくはラキアナ。その迫力に圧されさらに一歩後ずさると、がしっと腕を掴まれてしまった。レモンイエローの目がキラキラと輝いている。

「話さないと解放しないから!」

「そんな横暴な……」

 絶対にと言い切った彼女に、俺はため息を吐いて降参した。

「分かりました。話しますよ……」

「よろしい!」

 パッと手が離される。このまま逃げてしまおうかと一瞬迷ったが、約束を破れない良心に負けて留まった。

「それで、いつから⁈」

「いつからなんて分からないけど、気付いたら気になってて……」

「うんうん! それで⁈」

「今日、文化祭で着るメイド服の試着会をやってて……」

「ああ、可愛すぎて卒倒しちゃったんだね」

「違います! 逃げ出しただけです!」

「へえ~。それでここにいるというわけね」

 ラキアナは俺の手をぎゅっと握って言い放った。

「じゃあ文化祭の日に告白しなよ!」

「こっ告白⁈ そんなの無理です!」

「なんで? ファイリアはまだフリーなんでしょ? しなよ!」

「で、でも……俺なんかが……」

「はあ⁈ へたれ! それでも本当に男⁈」

 突然罵倒を浴びせられ、驚きを隠せない。ラキアナは黄色くネイルされた爪を肌に食い込ませる程に、憎き敵の如く俺の手を握り締めた。

「チャレンジしないでどうするの⁈」

「いたたた! ちょっと! ラキアナさん!」

「根性無しの恋なんて成就しないわ!」

「でも、ファイリアが付き合ってくれるとは思えないし……」

「そんなの告ってみないと分からないじゃない! 告う前から諦めるやつなんて一生結婚出来ないのよ!」

「お前は告ってるのに相手が見つからないけどなー」

 店の奥から男の声が飛んでくる。ラキアナはそれを無視し、目をギラギラと光らせた。

「絶対言いなさい! いいわね⁈ フラれたら慰めてあげるから!」

「そんな無理矢理……」

「い・い・わ・ね⁈」

 迫力に負け、しぶしぶ頷くしかなかった。それを確認すると、ラキアナはパッと手を離した。「いい報告待ってるからね〜!」と、彼女に笑顔で見送られる。帰り道、どっと疲れがのしかかってきた。

 なんだかとんでもないことになってしまった。告白なんかしても、こんな俺をファイリアが好くとは思えない。

 でも―――オレンジ色に染まる夕空を仰いだ。

 どうせゲームが終わったら現実に戻るんだ。なら、チャレンジしてみてもいいかもな。もしそれで付き合えることになったら……。

 その先を想像すると、思わず笑みがこぼれた。すれ違う生徒に異様な目で見られる。慌ててその口元を手で隠しながら、俺は教室へと戻った。

 まだ試着が終わっていなかった為に採寸係に怒られたのは、その直後であった。

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