10

 目が覚めると、白い天井が見えた。周りには白いカーテンが下ろされ、俺はその中でベッドに眠っていた。起き上がり、自身の手を眺める。動かしてみるが異常はない。

 ベッドから降り、カーテンを開けた。他にもいくつかベッドがあり、身長計や体重計、それからガラス棚には薬瓶のようなものが入っていた。

 ここは学園の保健室だろうか。しかし、誰もいないために確認は出来なかった。


「あ、起きたんだね」


 ガラリとドアの開かれた音の後に、聞き慣れた少女の声が聞こえた。振り向くと、ファイリアが入室していた。久々に会ったような感覚になり、俺は思わず彼女に駆け寄った。


「ファイリア!」

「どうしたの? ナギサくん。元気そうだね」

「えっと……ありがとう。ファイリアが助けてくれなかったら、俺……」


 ファイリアがデスクチェアに腰かける。くるくる回ると、細い髪が風に靡いた。


「間に合ってよかったよ。理事長もあそこまで魔物が侵攻しているなんて思っていなかったみたいでさ、今日から討伐、発生源探索しているみたい」

「今日って……」

「ナギサくん、一日眠っていたよ」


 うわ、マジかよ―――結構ひどい傷だったんだなと再認識する。ファイリアは、チェアの背にかけられていたブレザーを差し出した。


「これ、ナギサくんの」

「ありがとう」

「でもこれで一件落着だね。イオリちゃんも、安心して暮らせるってわけだ」


 よかったよかったと、ファイリアは頷いた。俺はブレザーに腕を通しながら、イオリの父親がどうなったのか問いかける。ファイリアは回るのを止め、にこりと笑った。


「殺しはしなかったよ」

「え? そうなのか?」

「殺すなんて生ぬるいこと、ボクには出来ないよー。使い時はいくらでもあるしさ」


 妖精の黒い笑みに、ぞわりと寒気を感じた。それ以上訊くのは止めておこう。ファイリアの意外な一面を知ってしまった。

 ブレザーを着終わると、俺はファイリアに頭を下げた。


「本当にありがとう。ファイリア」

「どういたしまして。まあボクも勇者様から頼まれていたし、お礼を言われることもないんだけどね」

「ファイリアがいなかったら、イオリを助けることなんて出来なかったよ」

「違うよナギサくん。君がいたから、イオリちゃんを救うことが出来たんだ」


 首を傾げた俺に、ファイリアは立ち上がって近付いてきた。


「君がイオリちゃんのお父さんから彼女を助けていなかったら、そもそもこの勝負をすることも出来ていなかった。お手柄だよ、ナギサくん」

「それは、俺じゃなくても……」

「ううん。それはきっと君じゃないと無理だったんだ。ボクはそう思う」

「そうかなあ……」


 ポン―――と、ファイリアの手が俺の頭の上に乗る。わさわさと、そのまま頭を撫でられた。突然の行動に、俺は硬直してしまう。


「お疲れ様、ナギサくん」


 エメラルドの妖精は、やわらかい笑みを浮かべて言った。その瞬間、せき止めていたダムが開放されたかのように、どばっと涙が溢れ出した。


「うわあ、ナギサくん。どうしたの?」

「な、なんか……すっごい安心して……」

「もー、だからって泣く? たしかに命懸けだったけどさ」


 わさわさ、わさわさ―――撫で方は少し雑だったが、その手に安心してしまった。様々な思いが溢れかえってしまい、涙を止めるのにしばらくの時間を有してしまった。それでもファイリアは、文句など言わずにいてくれた。


「…………ごめん。もう大丈夫だ」

「そう?」


 やっと涙が止まると、ファイリアは手を離した。そして、先程まで優しかった顔はどこへやら、からかうように笑ってみせる。


「小さい子供みたいに、大泣きしちゃったねえ?」

「くっ……クラスメイトに言わないでくれよ?」

「そうだねえ……じゃあ、またクレープ奢ってよ」

「わ、分かったよ……そんなにクレープ好きなのか?」

「うん。甘いものは大好き」


 保健室を出て廊下をしばらく歩くと、二人の生徒が向かいからやってきた。イオリとユウキだった。イオリは俺達に気付くと、ぺこりと頭を下げた。


「ナギサさん。体は大丈夫ですか?」

「え? あ、うん、もう大丈夫だよ」


 呼ばれ慣れていない呼び方に若干動揺する。隣のファイリアはくすくすと笑っていた。ユウキは相変わらず俺を鋭く睨み、不審がりながら呟いた。


「アンタ、なんで目腫らしてるの」

「えっ⁉ いやっ、何でもないぞ⁉」


 誰が聞いても、何でもないような声ではなかった。必死に笑って誤魔化す俺の隣で、ファイリアは笑いを堪えていた。ユウキは納得のいかない表情をしていたが、それ以上問いただすこともしなかった。


「ナギサさん、ファイリアさん」


 イオリが一歩前に出て、俺とファイリアを見上げた。


「ありがとうございました。みなさんのおかげでわたし、生きる勇気が湧いてきました」


 その声には、生きる希望がこもっていた―――これまでとはまるで違う、この学園の謳い文句のような、夢と希望に満ちた声。


「よかったな」

「はい。本当にありがとうございました」


 イオリはもう一度頭を下げ、ユウキと去っていった。彼と話すイオリはとても楽しそうに見えた。その横顔を眺めていると、つられて俺も笑みがこぼれる。ファイリアはこそっと耳打ちをしてきた。


「よかったね、ナギサくん」

「ああ」


 俺とファイリアも、その場から立ち去った。窓から差し込む夕日の光は、俺達の勝利を祝福しているかのように眩しく輝いていた。


 このゲームをやって本当によかったと、俺はこのとき思えた。イオリを助けることができて、このゲームをプレイした意義が見出だせた。

 と同時に、「終わり」に激しい恐怖を感じた。



 ―――ずっとこの世界にとどまっていたい。この世界でずっと、ファイリアと共に生きていきたい。

 だってこの世界は、現実とは違う。



 ―――俺の存在意義が、邪険ではないのだ。









 ――――――帰りたくない。









 淡い願望は既に、肥え太ったものになっていた。だがそのことに、俺はまだ気付いていなかった。

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