「イオリちゃんのお父さんと戦う? ええな! うちやるよ!」

「ええ⁉ ホクピちゃん本気⁉」


 中等部の廊下で驚愕の声を上げたのは、鬼の少女イオン。彼女は友人のホクピを凝視したが、そんな視線など一切気にもせず、隣のアマトに向き直った。


「アマト、やりたい?」

「私よりホクピの方が強いでしょ」

「まあな!」


 にやりと笑うホクピ。その笑顔に、イオンが必死にやめるよう説得するも、小さな犬は聞き入れなかった。

 イオリの父親に宣戦布告をしたあの後、俺とファイリアは理事長室へ戻った。カンセに立会人となってもらうためだ。

「殺し合う」と言っても、学園に大勢押し寄せられても困る。そこでカンセは、独断と偏見でその戦いのルールを決めると言い出した。


「四人だけメンバーを集めてくれ。ルールは当日発表する」


 俺とファイリア、ユウキ、そしてあと一人の仲間を獲得するため、翌日の今日、俺はホクピ達を訪ねたのだ。


 三人の女子中学生が言い合っているが、ひとまず了承が得られたので良しとする。俺はお礼を言って、足早にその場から離れた。その足で自分の教室に戻るが、ファイリアはまだ戻っていなかった。学園祭のことで呼び出された彼女を待つため、俺は席についてぼんやりと窓の外を眺めていた。

 戦うといっても、今現在俺は戦う術を持ち合わせていない。ファイリアに「鍛えてあげる」と言われたものの、果たしてたったの一週間でどうにかなるものなのだろうか?

 ゲームなんだから、主人公補正か何かですぐに強くなれるといいのだが……考えれば考えるほど、不安になっていく。


「…………ん?」


 窓の外で、一人の女子生徒が歩いている姿が見えた。慌てて教室から飛び出し、彼女の元へと駆け寄る。


「イオリ!」

「ッ………!」


 イオリの肩が跳ね上がり、勢いよく振り向いた。強張った顔は、俺を見ると少しだけやわらかくなった気がした。息を整えてから、イオリに問いかける。


「一人なのか? ユウキは?」

「ユウキは………先生に呼び出されて……」


 小さな声で答えるイオリと、俺は並んで歩く。イオリの体は震えていた。なるべく怖がらせないように優しく話しかける。


「大丈夫。勝ってみせるよ」

「……………」


 絶対とは言い切れないが―――心の中で弱音を吐いた。

 辺りがぼんやりと暗くなる。空は雲に覆われていた。雨でも降るのだろうか。降り出す前に、校舎の中に避難した方がよさそうだ。


「なあ。雨が降りそうだし、校舎の中に入らないか?」

「なんで、助けてくれるんですか?」

「え?」


 イオリにはよく話を遮られる。見返すと、少女の横顔は泣き出しそうなものだった。


「わたしが次代勇者だから、助けるんですか?」


 先手を打たれた気がして、心臓がドクンと高鳴った。イオリは立ち止まり、じっと俺を見据える。泣きそうな青い視線はしかし、俺の心を探るように鋭い。


「えっと……」


 たしかに俺は、『次代勇者』を助けるためにここに来た。それがゲームのクリア条件だから。たしかに初めはそうだった。



 ――――――――――――たすけて。



 次代勇者の、次代勇者に仕立て上げられた少女の助けを呼ぶ声が、脳内で響いた。


 父親に連れていかれそうになっていたあの時、俺は心の底から「助けなければ」と思った。か弱い少女を守りたいと思った。

 ここがゲームの世界だと、非現実だと分かりきっているからか。俺がそうされたかったからか。

 いや、違う―――俺は首を横に振った。


「そんなことないよ」


 イオリの手を取ろうとした俺の手は、素早くかわされてしまった。虚空をさ迷った拳を握り、イオリに笑いかける。


「君が泣いている姿を見て、助けたいと思った。だから戦うんだ。勇者とか関係ないよ」

「なんで……?」

「え?」

「どうして助けてくれるの……? ユウキも……わたしのせいで………」


 その先の言葉は、小さな口からこぼれなかった。イオリは近くのベンチに座って俯いた。俺も隣に座る。黒のスカートに乗せられた手の甲に、一滴のしずくが落ちた。


「わたしなんか………どうして……」

「どうしてそんなに拒むんだよ。助けてくれているのに」


 答えは返ってこない。しばらくそのまま沈黙が続いた。空を仰ぐと、灰色の雲は不穏な雰囲気を帯びたままだった。

 イオリの心理が分からない。普通、助けるって言われたら喜ぶものじゃないのか? たしかに、戦いに負ければ死ぬかもしれないけど、それは俺達だけだし……。


 そこまで考えて、はたりと気が付いた。


 もしかして、負けた時のことを心配しているのだろうか。負けたら必ず連れていかれるから? 本来なら卒業した後のことだったのに、こんなにも早く繰り上げられたから?

 ―――負けた時が怖いから、それならいっそのこと、戦いなんてやらない方が……?


 ちらりとイオリに視線を移す。見えない青い瞳から、ぽたぽたと涙を流している。華奢な体も震えている。

 きっとそうだ。なら言わないと。「絶対に大丈夫だから」って。か弱い勇者を安心させないと―――口を開いた瞬間、明るい声が俺の行動を遮った。


「あーいた! ナギサくん! イオリちゃん!」


 妖精の声に振り向く。ファイリアが手を振ってこちらに歩いてきていた。隣には、俺を鋭く睨むユウキもいる。あらぬ誤解が生まれないよう、慌てて立ち上がった。


「よかったー。ナギサくんがイオリちゃんと一緒にいてくれて」

「イオリ、大丈夫?」


 俺を押しのけ、すぐさまイオリの隣に座るユウキ。彼女が泣いているのを確認すると、俺への睨み度が増した上に憎しみのこもったオーラを纏い始めた。生命の危機を感じて、思わず一歩後ずさる。


「お、俺が泣かせたわけじゃ……」

「じゃあなんで泣いてるわけ?」

「うっ……」


 それを訊かれると、言いづらいが……。

 ファイリアがイオリの前でしゃがみ、やんわりと笑った。


「ごめんねイオリちゃん。ナギサくん、女の子の扱い、すっごく苦手なんだ」

「おっ、おい! ファイリア、何勝手に……」

「じゃあ得意なの? ナギサくんは女の子と喋るの、上手なの?」


 純粋無垢なエメラルド色の瞳が問いかけてくる。反論しようかとしたが口をつぐみ、ぼそぼそと答えた。


「………苦手です」

「だよねー。だから、ごめんね? イオリちゃん」


 顔を上げたイオリは、戸惑ったような表情で頷いた。無理矢理納得させたような行為に、ユウキは不満げな表情でファイリアを睨む。


「さて! ユウキくんと話したんだけどさ、これからみんなで学園街に行かない?」


 俺達の視線に気付いていないのか、ファイリアは笑顔で手を一回叩いた。勝手に進行しようとする彼女を即座に止める。


「なんで学園街?」

「だって、ユウキくんもイオリちゃんも、学園街に行ったことがないんだって。だからさ、行かせてあげたいなーって思って」

「ああ、そういうこと………いいけど、俺のトレーニングは?」

「そんなの後でみっちり鍛えてあげるから! ほら! 早速行こう!」


 そんなのって、イオリにとっては、ひいては俺にとっては重要なことなんだが。

 しかし、イオリも嫌そうにしてないし、ファイリアも楽しそうにしてるし、まあいいか……なんて思ってしまう。一週間もあるし、そこまで急ぐこともない……はずだ。うん。そういうことにしよう。


 ファイリアを先頭に、俺達は学園街へと足を運んだ。赤いレンガ道を挟んで並ぶ店達は、パステルカラーのピンクやグリーンなど、カラフルに塗装されている。


「なんか目がチカチカしそうだ」

「ナギサくん、地味目の色が好きなの?」

「そういうわけじゃないけど、建物がこんなにカラフルだと、目が疲れないか?」

「そうかなあ? 人間の村はこんな感じじゃないの?」


 まあ、少なくとも日本はこんなじゃないな。とは言わずに肯定すると、「結構地味なんだねえ」と軽く言われた。事実ではあるが、ゲームの世界と比べられてもと少し不服だった。

 やがて、赤と白の日よけ屋根のついたクリーム色の店にたどり着いた。ファイリアは、屋根の下の窓から店内に顔を覗かせる。


「ラキアナ~」

「あ! ファイリア! 久しぶり! 来てくれたんだー!」


 店の中からひょっこりと顔を出したのは、レモンイエローのポニーテールが特徴的な女性だった。女性はファイリアの背後にいる俺達を見ると、高く通った声を張り上げた。


「ファイリアがお友達連れてきてるー! キャー! しかも年頃の男の子も!」

「ラキアナ、みんなが引くから黙った方がいいと思うよ?」

「ねえねえ! 付き合ってるの⁉」

「へっ⁉」


 ラキアナが身を乗り出し、戸惑う俺の顔が目に映るくらいに近付いてきた。キラキラと輝く黄色い瞳は、溢れるほどの期待で満ちていて、とても「違います」とは言えなかった。

 だからといって嘘を吐くわけには―――そんなことを考えて返答に迷い、黙ってしまった。そこにファイリアが助けに入る。


「違うよラキアナ。ナギサくんはただのクラスメイト。こっちの二人は仲良しだけどね」

「なーんだ。ファイリアの彼氏じゃないのかー。ついに恋人が出来たのかと思ってお赤飯炊こうと思ったのに……」

「子供が出来たわけでも、ましてや結婚でもないのにお赤飯炊いてどうするの。全く……ねえ? ナギサくん?」

「はは……そ、そうだな……」


 ファイリアとラキアナは、二人で再び喋り出した。イオリとユウキは、ショーケースに飾られたクレープを眺めている。俺はというと、ショックで気分が沈んでいた。

 ただのクラスメイト……もしかしてファイリアにとって、俺は友達ですらないのだろうか?

 ちょっと……いや、結構ショックだったりする。泣きたい。


「ほら、みんなクレープ選んで」


 ただのクラスメイトが泣きそうなことになど全く気付かないファイリアは、俺達を手招いた。イオリは困惑したような表情で、ユウキと目を合わせる。


「ど、どうしよう……」

「僕が払ってあげるから、好きなの選びなよ」

「え……?」

「いやいや、ボクが払ってあげる。年上だから。ほら、二人共好きなもの選んで?」

「でも……」

「ほらほら~、遠慮しない!」

「ありがとうございます……」

「……どうも」


 ファイリアに促され、イオリとユウキはメニューを眺める。そしてくるりと振り向き、ファイリアは俺に笑いかけた。


「ナギサくんは、ボクの分、払ってくれても……いいんだよ?」


 俺は同い年なんだが……くっ、笑顔が眩しい……! 今までで一番良い笑顔をするな!

 ぐっとその言葉を飲み込み、しぶしぶ頷いた。


「分かったよ……おごってやる」

「わーい! さっすがナギサくん! じゃあ一番高いものにしよーっと!」

「おい! 少しは遠慮しろよ!」


 そんな話をしながらクレープを買い、俺達は学園街を歩いた。イオリは興味津々に辺りを見回している。ファイリアにどんな店なのか教えられ、会話をするにつれ次第にイオリの口数は多くなっていった。そんな二人の背を眺めながらぱくりとクレープを食べ、俺はふと思う。

 ―――ファイリアに校内を案内された時もそうだったが、彼女は人の心を開かせるのが上手いと思う。ただ話しているだけなのに、イオリに警戒されっぱなしの俺との差は、一体どこなのだろうか。コツとかがあれば、聞いてみたいものだ。


「ねえ」


 小さく呼ぶその声に気付かず、もう一度呼ばれた時、やっと俺はユウキに振り向いた。ユウキは俺を睨み付け、隣を歩き始める。


「無視しないでよ」

「ごめん、聞こえなくて……」

「もう衰えがきてるの? ご愁傷さま」


 トゲのある言葉をぶつけられる。今すぐにでもユウキと仲良くなる方法をファイリアから聞きたい。しかし彼女は今、ガールズトークに花を咲かせている。男の俺が邪魔してはならない。クレープを食べきり、俺は指についた生クリームを舌で舐めとった。


「アンタ、ファイリアのことが好きなの?」

「はっ⁉」


 裏返った俺の声に、前を歩いていたイオリ達が振り向いた。二人を笑顔で必死に誤魔化し、前を向いた彼女らを見届け、俺はユウキに小声で怒った。


「何言ってるんだよ! そ、そんなわけないだろ⁉」

「そっちこそ、顔赤くして何言ってんの」

「えっ……か、顔、赤い……⁉」

「真っ赤だけど」


 思わず頬を触った。熱が手のひらに伝わってくる。その事実に俺は驚きを隠せなかった。ユウキの小馬鹿にしたような声が追いうちをかける。


「わっかりやすいね、アンタ」

「ッ………ゆ、ユウキには関係無いだろ」

「やめておいた方がいいよ」


 まだ変声期を迎えていない少年の声は、その時とても質量のあるものに聞こえた。ユウキは横目でファイリアを見ながら、彼女に聞かれないように声を落とす。


「叶わない夢なんて、抱かない方がいい」

「か、叶わないって……希望はまだあるはず……」

「………アンタ、馬鹿?」


 そんなに希望が無いように見えるのか! もしかしたら奇跡的に付き合えるかもしれないだろ!

 そう言い返すと、ユウキは深いため息を吐いた。


「もういいや。言うだけ無駄だね」

「さ、さらに何か言うつもりだったのか⁉」

「それよりアンタ、勝ち目あるの?」


 急に変わった話題にドキッとした。

 ―――ユウキがそれを心配するのも当然だ。誰よりもイオリを大切にしているのだから。勝負に勝てなければ、イオリは連れ戻されてしまうのだから。

 少し考えてから俺は頷いた。


「今日から特訓するけど……どうにかするよ」

「………イライラする」

「え……?」


 そ、それじゃ遅すぎたのか? でも俺だってここに来たばっかりだし、戦ったことなんてないし、大目に見てほしい―――なんて言い訳が通用するわけない。だから俺は、せめて誠心誠意謝罪した。


「ごめん………俺がもともと強かったら、不安にさせたりしないのに……」

「……ああ、人間は回復能力が高いから、身代わりとして鍛えるっていうのもいいと思う。ていうか、そうしなよ。それが一番効率良いって」

「身代わりとして⁉ いや、それはちょっと遠慮したいな……」

「僕が徹底的に鍛えてやるから、覚悟しな」

「えっ⁉ 身代わりとして⁉」


 返事は返ってこなかった。年下の少年に、不安と恐怖を抱く。

 まさか本気で身代わりにする気か? やめてくれ、一応俺はゲームのプレイヤーなんだ。俺が死んだら進行しなくなるんだぞ。イオリも救えなくなるんだぞ。

 ―――と、正直に言えたらどんなに楽なことか。


「お……俺は身代わりにはならないからな!」


 必死に強がって叫んだ言葉にも、ユウキは何も返してくれなかった。それから俺達は特に会話もせず、気まずい雰囲気のまま学園街を回り、校舎へと帰っていった。



 その後一週間、俺は宣言通り、ユウキに厳しく鍛えられた。

 一応、身代わり扱いはされずに済んで、心底安心した。

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