「あ、おかえり。どうだった?」


 教室に戻ると、ファイリアが笑顔で出迎えてくれた。俺の席に座り、ひらひらと手を振っている。俺も精一杯笑い、彼女の元へと向かった。


「ダメだったよ」

「やっぱりかー。ナギサくんならいけると思ったんだけどなー」


 机上のペットボトルに手を伸ばし、キャップを取り外すファイリア。口をつけ、ごくごくと飲み始める。そんな彼女の前の席に俺は座った。


「そっちはどうだったんだよ。何か掴めたか?」

「全然だね。彼女、あからさまに人を避けているし、笑っているところすら見たことないって」

「そっか……」

「まあ今日はもう遅いし、また明日頑張ろう?」

「ああ………あ、そうだ」


 俺は、頼まれた手紙のことをファイリアに話した。彼女にそれを渡すと、封筒を掲げて眺める。


「手紙かー。親にでも出すのかな? ボクも勇者様にでも出そっかなー」

「そういえばファイリアって、勇者とどうやって出会ったんだ?」

「あ、それ訊く? それ訊いちゃう? いいよ、教えてあげるよ」


 俺達は校舎を出て学園街へ向かった。時刻は午後七時。外は暗く、街灯が照らす道をひたすら歩いた。


「ボクはね、昔の記憶が無いんだ」

「………へ?」


 あまりにも予想外の出だしに、唖然と隣を見た。薄暗いからか、ファイリアの横顔が少し寂しそうに見えた。


「ログハウスのベッドで目を覚ますと、勇者様がいた。それがボクの覚えている限りの始まりなんだ。それ以前の記憶は、森で行き倒れていたって言う勇者様の言葉しかないんだよ」


 次第に、あちこちに点在する校舎が見えてくる。あれらは全て大学部の校舎らしい。

 大学部は学部ごとに校舎が存在し、その数は膨大だ。相変わらず、妙なところに凝っている。ここまで膨大にする意味はあったのだろうか?


「その頃ちょうど、妖精の国は魔物の襲撃を受けてほぼ壊滅状態だったらしいんだ。だからきっと、そこで酷いことをされて記憶喪失になったんじゃないかって」


 校舎を眺めながら、ファイリアは話す。


「ボクもそうなんじゃないかって思うよ。調べようがないけどね」


 私服の大学生とすれ違う。長い垂れ耳や丸い尻尾を除けば、普通の大学生と何ら変わりない。

 視線を戻すと、エメラルド色の妖精は夜空に浮かぶ三日月を見上げていた。


「そのままボクは、勇者様についていくことにした。助けてくれたし、帰る場所も無かったからね」

「それで、記憶は戻ったのか?」

「ナギサくん、言ったでしょ。ボクは昔の記憶が無いの。だから、今も記憶は戻ってないよ」

「そ、そっか……ごめん」

「どうして謝るの? ボクは思い出したいと思ったことなんて無いよ?」

「え?」


 道は次第に、校舎とは反比例に木々が多くなっていく。遠くには牧場が見えた。そこでは牛が草を食べている。

 なんだ、普通の動物もちゃんといるんだな。てっきり、ホクピみたいに獣人しかいないのかと思っていた。

 ―――待てよ。ということは、たとえば牛の獣人が普通の牛を食べることとか………あるのだろうか?


「何も覚えていないんだから、悲しいとも思わないし、誰かに会いたいとも思わないよ」


 ファイリアの声で、我に返った。余計な疑問は持たないようにしよう。また現実的な話になりそうだ。


「でも、気にならないのか? 自分の親が誰だとか、故郷がどんなだったとか……」

「気になるけど、知ってしまったらきっと後悔するから」

「後悔する?」


 ファイリアは小さく頷いた。


「きっと昔のボクは、あえて記憶を消すことを選んだ。それはボク自身を守るため。物凄く悲しいことがあったから、ボクはそれを無かったことにしたんだよ」


 ふわりと風が吹いた。エメラルドの細い髪は、力に靡いて揺れ動く。


「もし誰かに記憶を消されていたとしても、ボクの親しい人達が生きている確率はとても低い。何故なら、その魔物の襲撃は、ほとんどの妖精を殺したらしいから」


 その瞬間俺は、このゲームを作った男に静かな憤りを抱いた。


 ―――ファイリアはこのゲームのキャラクターだ。つまり、あの男に作られたということになる。

 そしてゲームの制作者は、キャラクターを自由に設定出来るのだ。

 どうしてわざわざ、彼女に酷な運命を与えたのか。苦しむ必要の無い彼女を、どうしてわざわざ苦しませるのか―――俺のうすっぺらい正義心は、怒りに震えていた。


「そういうことだからね、ボクは今悲しくなんかないよ。だからナギサくんが謝る必要も無い」


 笑ってみせるファイリア。しかし逆に、その笑みが強がっているように見えた。記憶を取り戻すのは諦めた―――そう言っているようで、逆にこっちが苦しくなった。


「もー、なんでナギサくんが悲しそうな顔をするの? 赤の他人のキミがさ」


 たしかに赤の他人だ。たしかにそうだけど……。

 ―――親しい人間がつらそうにしていたら、悲しくなるだろ。


「あ、ほらナギサくん。学園街が見えてきたよ」


 俯き気味だった顔を上げると、道の先にちらほらと、建物らしきものが見えた。門の先の道は赤いレンガで敷き詰められている。


 学園街に入ると、果物屋だったり薬局だったりと、様々な店が軒を連ねていた。見る限り普通の店と変わらず、唯一の違いといえば、店員が人間でないことくらいか。


 店員達はファイリアを見かけると、笑顔で彼女に手を振った。ファイリアも笑顔を返す。何人もと挨拶を交わし、俺達はついに郵便局にたどり着いた。自動ドアをくぐって受付まで向かうと、対面にはむしゃむしゃと紙を食べる男がいた。ファイリアは、ここでも笑顔を浮かべる。


「こんばんは、アギイさん。お手紙を出したいのだけど、いいかな?」


 アギイは眠たそうな目でファイリアを見上げ、続けて俺を見た。白い顎ヒゲや細長い耳、弧を描くように生えた二本の角、そして何より紙を食す姿を見れば、彼がヤギであることは一目瞭然だった。

 ていうかその紙、食べてもいいものなのだろうか。客から預かったものじゃないのか? よくもまあ、ヤギに郵便局を任せようと思ったものだ。

 しかし、配達する前に食い尽くされた……なんて事件は、きっと起こる前にゲームが終了するのだろう。そういうところだけ都合のいい世界なのか。使いどころを間違えてるぞ、おっさん。

 アギイは口に含んでいたものをごくりと飲み込むと、無言でファイリアに手を差し出した。彼女は首を横に振って、隣の俺を指差す。


「違うんだ。ボクじゃなくて、ナギサくんが出したいって」


 むすっとした表情になったアギイは、その手をそのままこちらへスライドした。慌てて預かった手紙を取り出し、アギイに渡す。


「それ預かったものなんですけど、お急ぎ便でって言われてて……」


 そう言うと、さらに不満げな表情になるアギイ。手紙を一瞥し、横の棚にぽいっと投げ入れた。流れるように、受付のカウンター内から紙を一枚取り出すと、再びそれを食べ始めた。ファイリアが満足そうに笑い、振り向く。


「じゃ、帰ろうか」

「え? もういいのか?」

「もう出すもの無いんでしょ? なら帰ろうよ」

「あ、ああ……」


 これで手続き完了? 何も言われなかったのだが、本当にこれで良いのだろうか? まあ、ファイリアが大丈夫だと言うのなら、その通りなのだろう。他人のものだし、どうせシナリオ通りだろうし。

 特に心配もせず、俺はファイリアと共に、郵便局を後にした。アギイは終止、もぐもぐと口を動かし続けていた。

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