4
中等部二年生の少女『イオリ』。黒いポニーテールに青い瞳を持ち、大人しい性格である。あまり人とは関わらず、そのため部活や委員会にも所属していない。
「ちなみに、ナギサくんと同じ人間だよ」
ファイリアがにこりと笑い、一枚の写真を差し出してくる。受け取り眺めると、それは次代勇者―――イオリの写真であることが分かった。画像の彼女は、教室で席に着いて本を読んでいる。
彼女が次代勇者であると言われたものの、にわかに信じ難かった。それは昨日の一件を思い出せば、容易に想像出来るだろう。
――――――わたしはあの時、死ぬつもりでした。あなたがわたしを助けなければ、わたしは今頃死ねたかもしれないのに。
――――――どうして助けたんですか? どうしてわたしを死なせてくれないんですか?
――――――もう二度と、わたしに関わらないでください。
「どうしてあの子は、あんなに死にたがっているのかな?」
ファイリアが腕を組んで唸る。冷たい微風が吹き、エメラルド色の髪が揺れた。背景には、雲一つない青い空が広がっている。
俺は校庭を見下ろした。人工芝で作られたそこでは、たくさんの生徒が楽しそうに遊んでいた。閑散としたこの屋上とは大違いである。しかし、密談にはこちらの方が都合が良い。
「ねえ、ナギサくん?」
「なに?」
「例えばキミは、死にたくなった時ってある?」
―――急に現実に引き戻されたような気がして、気分が悪くなった。
ゲームの中なんだから、そういったことは忘れて楽しみたい。
「……ない、よ」
「ないの? 本当に?」
じっと観察される。嘘だと思われているのだろうが、「そういうこと」を考える人間だと見えるのだろうか?
「な、ないけど……」
「そっか。同じ人間だから、キミなら何か分かるんじゃないかと思ったんだけど」
まあ、たしかに一理ある。同じ種族なら悩みも想像しやすい。
しかし、俺はイオリのことを何も知らないし、この世界に来たばかりの異端者だ。どういう悩みがあるかなんて、同じ種族でも想像するのは不可能だった。
「そうだな………恥ずかしい思いをして死にたい、とか?」
「それ、どの種族にも当てはまるよね?」
「そうだけど……俺は転校してきたばっかりなんだから、悩みなんて分かるわけないだろ」
「学園生活の悩みは分からないだろうけど、これまで生きてきた中での悩みなら分かるでしょ? ナギサくん、生まれて間もないの? 見た目は大人、頭脳は赤ちゃんなの?」
「それただの変質者! 俺は見た目も中身もちゃんと十六歳男子だ!」
「じゃあ分からない?」
「うっ……」
ファイリアはこちらを眺めている。何かしらの回答を期待している。
彼女はあくまで、俺を「この世界で育った人間」だと思っている。当然だ。故に、想像できない俺の方がおかしいことになる。
しかし、分からないものは分からない。リアルな事例を挙げても、それが当てはまるとは限らないし……。
―――あまり、考えたくない。
「……思い当たらないならいいよ」
無言の抵抗が伝わったのか、ファイリアは諦めて空を仰いだ。
「でも、あの子のわだかまりをどうにか解決させてあげたいな」
「……そうだな」
柵に寄りかかり、優しい少女の横顔を眺めた。
「今までは、わざわざ干渉しなくても守ることが出来たから良かった。でももう無理。魔物の気配が日に日に強くなっているみたい。だから、もし野放しにして死ににいくようなことをしていたら……」
「確実に死ぬだろうな」
「ナギサくんだって、それは嫌でしょ?」
そりゃそうだ。誰かが死ぬところなんて、いくらゲームでも見たくない―――そう言うと、ファイリアは小さく笑った。
「ゲームはやり直せるからいいじゃない」
「……そういえば、そうだったな」
きっとこのゲームも、同じ時間を何度も繰り返しているのだろう。ファイリアも、何度も同じセリフを、同じ挙動を繰り返し、魔物達と戦ってきたのだろう。
―――そのうち、どれだけ魔王を倒せたのか、何となく気になった。
「そんなこと忘れる? ゲームといえば非現実! ……なのに」
「いやあ、最近はリアルなゲームが多いからさ……」
「そうだったっけ? まあいいや。心当たりが無い以上、地道に情報収集でもしよっか」
ファイリアはもう一枚、写真を出してきた。それは中等部の少年の写真だった。銀色の髪に赤い目で、鋭く何かを睨んでいる。その姿には見覚えがあった。
「この子……イオリを助けにきた子だ」
「中等部二年生のユウキくん。彼女が唯一関わりを持っている人間だよ。ちなみに、二人は恋人関係ではないみたい」
――――――そいつを助けてくれてありがとうございます。
まだ幼く、それでも低く素っ気ない少年の声が脳内で再生される。俺は彼に見捨てられたが、きっとそれはイオリを第一に思っているからなのだろうと、勝手に解釈することにした。
「ユウキに訊いたら、イオリについて何か分かるかもな」
「そうだね。でも彼はなかなか口を割らないと思うよ」
「どうしてだ? そいつにとっても、イオリが死なない方が嬉しいだろ?」
「彼女は普通の人間じゃないからねえ」
よく意味が分からず、説明を求めた。ファイリアは声を落とし、エメラルド色の瞳が光る。
「彼女は次代勇者なんだ。みんながみんなそれを知っているわけじゃないけど、一番親しい彼が知らないはずがない。そして次代勇者は魔物に狙われている。もしボクらが魔王の仲間だったら? 当然彼はそう考えるよね」
「そりゃ一理あるけど……でもユウキは、イオリが次代勇者だって知らない可能性も……」
「うん。もちろんその可能性もある。だからね」
びっと指を指すファイリア。その指の先にあるのは、中等部の校舎。
「ナギサくん。キミがユウキくんに訊いてきてくれないかな?」
*
そっと覗き込むと、二人の男子生徒と目が合った。慌てて顔を引っ込め、ドアの壁にもたれる。ふう、と息を吐き、虚空を見上げた。
これで中等部全ての教室を回った。が、ユウキを見つけることが出来なかった。
一体どこに行ってしまったのだろうか―――辺りを見回し、寮のある方へと足を運ぶ。
キシリア学園は、完全寮制となっている。故に学園から出ていってここにはいない、という心配はない。しかし、広すぎる敷地内を一人で探し回るには、相当な時間を要することは目に見えていた。校舎内にいないとしたら敷地内のどこかにいるはずだが、それも広大すぎる。
果たして俺は無事ユウキを見つけることが出来るのか……胸の内は不安で満ちていた。
「ボクはイオリちゃんのクラスメイトに訊いてみるよ。とは言っても、あんまり期待しないでね」
そう言って去ったファイリアを思い出す。
彼女は非常に協力的で助かる。これがゲームで言うところの、ヒロイン的ポジションなのだろうか? もしかすると、いずれ俺に恋するように?
「………んなわけあるか。馬鹿か俺は」
これ以上考えると虚しくなると考え、思考を停止させた。無心のまま、中等部校舎から中央校舎へと入る。いきなり赤い絨毯が目に飛び込んできて、自然と足が止まった。
中央校舎は吹き抜けだった。柵からフロアを見下ろすと、二階、一階が見える。二階は今いる三階と同じで、壁沿いの細い通路状になっている。
一階の中央には古びた「井戸」があり、そこだけ空間が異なっているような、おどろおどろしい雰囲気を纏っているように感じた。どこも床には赤い絨毯、そして天井には、豪華なシャンデリアがぶら下がっている。
「すっげ………ホテルみたいだ。井戸さえ無ければだけど……」
なんだかいるだけで落ち着かない。庶民の俺には刺激が強いようだ。足早に歩き、渡り廊下とちょうど向かい辺りの、中等部寮への廊下へと入った。
何故、井戸があるのか―――あまりにも異物すぎるが、ゲームの進行に関わるものだろうというのは明らかだった。いずれくる「その時」のために憶えておこう。
それにしても、中央校舎の異常な豪華さはなんなのだろう。ファイリアに訊けば分かるだろうか。改めてまた案内してもらおう。
ガラス張りの壁で作られた廊下を進んでいく。クリーム色に近い壁へと変わっていくと、見覚えのある風景が見えてきた。たくさんのドアが並んでおり、その横には木製の板が備え付けられている。そこには名前が彫られていた。
ここ中等部の寮は、高等部の寮の内装と全く同じのようだ。表札をひとつずつ確認していく。
一人ひとりに個室が用意されている学園なんて、そうそうないだろう。そういう意味では非現実なのだが、今に至ってはありがた迷惑でしかない。無駄にモブが多い。あのおっさん、余計なところに力を入れやがって―――怒り半分に、俺は目的の名前を探した。
「あっ……た……」
探し始めて数分後、ようやく「ユウキ」という文字を発見した。黒いドアの前に立ち、じっと眺める。
改めて確認しても、「ユウキ」と書いてある。よし、これは幻じゃないな。
深呼吸をし、ドアを小さくノックした。しばらく待ち、再びノックする。それでも、待ち望んでいた人物は現れなかった。
「嘘だろ……? こんだけ探したのにいないのか⁉」
「あれ? 高校生の人がいる」
嘆き悲しむ俺に、少年の声が投げられた。ちょうど二つ隣の部屋から、一冊の本を持つ少年が現れた。竜の翼のような形をした紫色の角を頭から生やし、腕には固い赤紫色のグローブがはめられている。足の間から見える紫の尾は、鱗に覆われていた。
「ユウキ君に用があるんですか?」
「そうだけど……もしかして、友達?」
「いえ。ただのクラスメイトです」
「なんだ……」
「彼は一匹狼ですからね」
少年は俺の前に立ち、首を傾げた。
「それで、彼に何か用があったんですか?」
「ああ、訊きたいことがあって……」
「それなら図書室に行ってみるといいですよ。よく見かけるんですよ。あ、ぼくは毎日行ってるから分かるんですよ」
「そうなのか。本が好きなのか?」
「勉強しているんです。良い会社に入るには学力が必要ですから」
「あ、そう……」
そんな現実的な話をこの世界で聞くとは思いもしなかった。このゲーム、ちょくちょく現実に引き戻してくるんだが、非常に不愉快だ。終わったらあのおっさんに文句言おう。
教えてもらうと、中央校舎のとある一画が、一階から三階まで全て図書室らしい。
この学園はいちいち膨大だ。校舎から外も『学園街』と呼ばれる学園の敷地が続いており、コンビニや病院、レストランなどあらゆる店・施設が軒を連ねている。
ファイリアからそう説明された時、一番に疑問に思ったことがお金のことだった。現実を忘れたいとは言いつつ、現実的なところがやはり気になってしまう。
「収入の無い学生がどうやって商品を手に入れるんだよ?」
「出世払いだよ。お店によって期限も利子も違うけど、大体のところが、卒業から十年以内、無利子ってとこかな。噂によると、払えなかったらボクらが『商品』になるんだって」
最後のひとことに絶句した。
ゲームなんだから、都合のいいように利用出来るか、都合よくお金が手に入るのかと思ったが……今までの何よりも生々しい現実を聞かされた気がした。
せめてもう少しアバウトにしてほしい。『商品』になるってつまり―――いや、考えるのはやめよう。プレイヤーである俺には関係のない話だ。俺はそのとき、無理矢理思考を断ち切った。
「あの……お礼ついでに、頼まれてもらってもいいですか?」
ちらちらと、少年が紫色の瞳で見上げてくる。頷くと、少年は持っていた本を開き、挟まれてあった白い封筒を差し出してきた。
「これ、郵便に出してほしいんです」
「手紙?」
「学園街に郵便局があるんですよ。そこにお願いします。お急ぎ便で。ぼく、勉強で忙しいので」
「いいけど……」
「よろしくお願いします」
封筒を受け取り、スクールバッグの中にそっと入れた。少年に別れを告げ、その場を後にする。再び中央校舎にやって来て、階段を下る。一階にしか無いという図書室の入り口を探した。
図書館ということは、このゲームの世界観に関する本が置いてあるだろう。あるならば、ぜひ読んでみたい。ゲームをプレイする上でより楽しめるようになるし、イオリの悩みも、魔物の弱点なども知ることが出来るかもしれない。モブを大量生産するおっさんだ。そこまで作り込んでいると信じよう。
―――ふと、先程見えた井戸に気が逸れた。誘われたように近付き、井戸の中を覗く。中には、目で確認出来る程の水が入っていた。水は濁り、とても綺麗とは言い難い。
本当に謎だ。キーポイントにするにしても、他に候補はいくらでもあっただろう。わざわざ室内に井戸……まあ、意外性はあるだろうが、突拍子すぎる。マイナス三十点。
「あんまり近付かない方がいいよ」
集中していたため、肩がビクリと跳ね上がった。急いで振り向くと、息が詰まりそうになった。
「えっ―――」
まさかまさかの、探し求めていた人物……銀色の髪の少年・ユウキがそこにはいた。
「ゆっユウキだよな⁉」
「だったら何?」
「会いたかった!」
「は? きも」
たしかに今のは気持ち悪かった。喜びが先走ってしまい、色々すっ飛ばした感想を叫んでしまった。
感情を落ち着かせ、井戸を横目で見る。
「これ、何なんだ? なんでこんなところにあるんだ?」
「魔界への入り口だから」
「……は? 魔界?」
「そう。ま、そんなこと言っても誰も信じないけど」
ユウキはスタスタと歩き、俺の足元を指さした。同じく視線をやると、井戸の前に建てられた小さなカードには、『天界への扉』と書かれていた。
「世界に危機が近付くと、そこの井戸から天使が出てくるって信じられているんだ。おかしな話だよね。センス無いし。それに、本当は違うのにさ」
「なんでお前はそう思うんだ?」
「思うんじゃなくて、本当なんだよ。アンタにもいずれ分かるさ」
ユウキが中等部の校舎へと向かう。慌ててその背についていく。隣を歩きながら、おそるおそる尋ねた。
「あのさ………お前、イオリと仲良いよな?」
「だったら何?」
「あの子がどうして、自ら死のうとしているのか知ってるか?」
「もちろん」
「よかった! なら教えてくれないか? なんでそんなことをしているのか……」
「やだ」
さらりと断られ、ギロリと睨まれる。
「ていうか、なんで教えないといけないの? そもそもアンタ誰?」
そうか。そういえば自己紹介をしてなかった。そりゃ警戒されて当然か。
「悪い悪い。俺は渚。実は、次代勇者を助けるためにここに転校してきたんだ」
「へー」
―――いや、「へー」ってそんな他人事みたいに……まさかこいつ、イオリが次代勇者だって知らないのか?
―――訊いた瞬間、嘲笑が向けられた。
「知ってるよ。馬鹿にしてるの?」
「じゃ、じゃあその反応はなんだよ! イオリが死んでもいいのか⁉」
「よくないよ。でもそれとこれとは話が違うでしょ」
ガラス張りの壁が見えてくる。中等部の校舎に入ると、ユウキは階段を下り始めた。その背中に、俺はところ構わず思いきり叫んだ。
「イオリは魔物に狙われている! その上、死のうとしているんだぞ⁉」
「うるさい。知ったところでアンタに何が出来るっていうの?」
「ッ……それは………」
「何の役にも立たない奴に教えることなんて何も無い」
ユウキは角を曲がり、姿を消した。呆然と立ち尽くす俺の横を、中学生達がじろじろと見ながら通り過ぎていく。
反論出来なかった悔しさよりも、しょうもない怒りが……ゲーム製作者に対する怒りが、わき起こった。
「―――俺だって、どうやって戦えばいいのか知りたいよ!」
嘆きは、フロアに響き渡った。
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