3
がやがやと賑わう高等部の食堂で、俺は白米を口に含んだ。噛むたびに甘みが口に広がる。しかし水分が多く、歯ごたえはなかった。皿に盛られているサラダのトマトをつまみ、口へと放り込む。甘みと少しの酸味を噛みしめながら、今日の事件を思い返していた。
二匹の獣から発展した騒動は、男の逮捕によって幕が閉じられた。魔物はほとんど戦いで死亡したものの、学園側の犠牲者はゼロ。もちろん無傷というわけではないが死亡者はいなかったし、ホクピとアマトも無事仲直りした。
捕まった男はこう話していた。いずれ魔王の邪魔をするであろう『勇者の卵』を殺したかったと。鬼を忌み嫌うこの世界など、魔王の手で壊れてしまえばよかったんだと。
それを聞いたファイリアはこう言った。
「きっと彼は鬼であるということだけで、煙たがられていたんだね。こんなことをやってしまった彼も悪いけれど、一番の罪人は、彼をここまで追い詰めた周りの人達だよ」
その言葉に俺は何も言えなかった。
現場にいた俺達も警察から色々と事情聴取され、解放された午後八時、俺とファイリアはこの食堂で夕飯をとることにしたのだ。
「へえー。人間って本当にその棒を使ってご飯を食べるんだ」
ファイリアが向かいの席に座る。テーブルに食膳を置き、スプーンでオニオンスープをすくう。口元に運ぶと、息を吹きかけて冷まし、口の中へと流し込んだ。ごくりと飲み込み、ちらりとこちらを見る。
「食べにくくないの?」
「昔からこうして食べていたし。それに、ファイリアみたいにスプーンだって使うし、箸の使えない人間だっているぞ」
「それは知らなかった。ボクの知る人間はみんな、そのハシっていうのを使っていたから」
「じゃあ、日本人なのかもしれないな」
「ニホンジン?」
「人間の、ある種類みたいなものだよ」
「ふーん」
よく分かっていない返事をするファイリア。俺は緑茶を一口飲む。
きっとあのおっさんが日本人だから、ここの人間もそうなのだろう。俺としては言葉が通じるし、日本人であることに異論はない。あ、でも妖精だっていうファイリアや他のクラスメイト達にも言葉は通じているから、人種は考慮する必要はないのか―――改めてこの世界を思い返す。
それにしてもあのおっさん、見かけの割に相当凄いものを作ったよな。もしこのゲームが公表されたら、瞬く間に世界中で人気になるだろう。原理はよくわからないが、きっと俺の知らない界隈で技術が発展していたのだろう。
「そういえばナギサくん、よく無傷でいられたね?」
ファイリアがもう何口かスープを食し、スプーンを盆に置いた。
「え? ああ………たしかに刺されたはずなんだけど、いつの間にか治っててさ」
「ふーん。人間ってそんなに回復能力高いんだ。あ、それとも誰かが治癒魔法でも飛ばしたのかな」
「そうかもな」
根拠もなく同意し、白米を一口食べる。テーブルに置いてあった銀の絞り器と、半分に切られたオレンジを手に取った妖精の少女を、人間の俺は眺めた。
「ファイリア、こういうことってよくあることなのか?」
「こういうこと? 差別? それとも……」
「こうして暴動を起こすことだよ」
ファイリアは絞り器にオレンジを押し付けた。柑橘の飛沫と共に、ぐちゅぐちゅと実の潰れる音がする。ある程度絞ると、オレンジを脇に置き、絞り器の溝に溜まった汁をコップへと注いだ。
「たまにあるね。この学園って国唯一の学校でもあるし、ここで騒ぎを起こせばたちまち国中に広がるから」
「そうなのか……」
「それに、次代勇者もいるからね。魔王に加担して次代勇者を殺そうとする輩もたまにいるんだ。今日の人みたいに」
絞りたてのオレンジジュースを飲み干すファイリア。コップをテーブルに置き、今度はフォークを持った。
「いくら不遇な扱いだからって、世界が滅べばいいなんて、ボクには到底理解出来ないよ」
思わず、箸が止まってしまった。急に黙り込んだせいか、ファイリアが俺の顔を覗き込むように見てくる。
「ナギサくん?」
「……何でもない。それよりファイリア。さっきのことなんだけど……」
「なに?」
「俺が勇者様の居場所を知っているって、どういうことなんだ?」
フォークの先にイチゴを刺し、ファイリアがゆっくりと顔を上げた。エメラルド色の綺麗な瞳に、茶髪の無愛想な男が映っている。
「……だってキミ、勇者様に言われてここに来たんだよね?」
ファイリアは不思議そうに首を傾げた。彼女が何を言っているのか分からず、辺りは騒がしいというのに、静寂の中にいるかのように思えた。やっと思い出せた時には、既に一分が経過しようとしていた。
―――あなたは、そんな学園に転校生としてやって来る。その理由は、次代の勇者を守るよう、現代の勇者に頼まれたからだ。
夢と希望と噂に包まれた学園に潜り込み、次代勇者を魔物の手から守ろう!
そういえば、あのおっさんはそんなことを言っていた。
ということは、ファイリアの言っていた「勇者様」っていうのは「現代の勇者」っていうので、俺が守らなきゃいけないのは、それとは別の「次代の勇者」っていうやつなのか。
うーむ、こんがらがる。せめてキャラ名で教えてほしかったもんだ―――思わずため息をこぼれた。
「大丈夫? ナギサくん」
「ああ。悪い、忘れてたよ」
「もーしっかりしてよ。大事なことでしょ」
ファイリアが小さく笑いながら、イチゴをぱくりと食べる。その姿を見ていると、なんだかもやもやとしてきた。
―――いや、ちょっと待てよ。何かおかしくないか?
「なあファイリア……」
「なにー?」
「なんでお前が知ってるんだ?」
「何を?」
「俺が勇者に頼まれて来た……ってこと」
イチゴをごくりと飲み込んだファイリアは、今度はクロワッサンに手を伸ばした。
「ボクは勇者様と仲良しだからね。キミが来ることを前々から聞いていたんだ」
「ああ、なんだ」
「そうそう。で、ボクは次代勇者を守るキミのお手伝いをしてあげてくれって頼まれてさ」
クロワッサンをひと口大にちぎり、口へと放り込むファイリア。俺はからあげを箸でつまみ、それに噛み付いた。サクサクの衣のカスが皿に落ちる。
「勇者様、心配するなら自分がやればいいのにね。まあ、もう年だから無理か」
「今まではどうしていたんだ?」
「陰ながらにボクが守っていたよ。でも最近、魔物達が活発になってきているみたいでさ。それもあってキミに頼んだんだと思うよ。まあ最も、どうして戦えないキミなんかに頼んだのか、不思議でしょうがないけどね」
あからさまな悪態に、ファイリアを鋭く睨んだ。妖精はケラケラと笑い、「ごめんごめん」と謝りながら言う。
「でも、世界の命運がかかっているからさ。キミはどうやって勇者様に気に入られたの?」
「別に気に入られてなんかないよ。ただ……」
「ただ?」
エメラルドの視線と視線が絡む。心を探るような眼差しに、たまらず顔を逸らした。小さく口を開け、なるべく響かないように答えた。
「時間だけは、たくさんあったから」
「あの………」
直後、少女の声が背にかけられた。振り向くと、黒いポニーテールに青い瞳の、中等部の少女が立っていた。少女は小さく頭を下げる。
「今日、助けてくれた方ですよね?」
「え? ………ああ、あの子か!」
こくりと頷く少女。左の太ももには白い包帯が巻かれていた。あの時の痛々しい傷が、少年と共に去っていった光景が、脳裏によみがえる。
「怪我は大丈夫か?」
「……はい」
「そっか。よかった」
大怪我にならなくてよかった。ほっと息を吐き、そうだ、と少女を見上げた。
「ところで、ちょっと訊きたいことがあるんだけど……」
「どうしてわたしを助けたんですか?」
強い口調で先手を打たれる。予想外の質問に、一瞬戸惑ってしまった。横目でファイリアを見ると、彼女も困惑して少女を観察していた。
「治療するつもりもなさそうだったのに……」
少女は不思議そうに俺を見て、ぶつぶつと文句を言うように呟く。たしかに考えなしに突っ込んだことは事実だが、俺はそれらしい答えを返した。
「怪我している子を見付けたら、放っておけないだろ?」
少女は目を見開いた。その反応に違和感を覚える。どうして驚くのか訊き返すと、少女は目を閉じて深呼吸をした。ゆっくりまぶたを開き、青い瞳を光らせて言い放つ。
「………余計なことを」
ピタリと辺りの騒がしさが収まり、その声だけが切り取られたかのように、俺の耳には届いた。先程までの透き通った声とは違い、重々しいトーンの声……あまりの変貌に驚き、言葉を失ってしまう。
「わたしはあの時、死ぬつもりでした。あなたがわたしを助けなければ、わたしは今頃死ねたかもしれないのに」
「は………?」
「どうして助けたんですか? どうしてわたしを死なせてくれないんですか?」
少女は怒っていた。本気で怒っていた。まるでわけが分からない。何故怒っているのか想像出来ない。ただただ唖然とする俺を、青く鋭い瞳が睨んだ。
「もう二度と、わたしに関わらないでください」
少女はふいっと顔を逸らし、その場から立ち去った。全く頭が追い付かず、俺はしばらくその背を眺めていた。小さな背中は微かに震えている。それが見間違いなのか、はたまた本当に震えているのか―――確認したかったが、少女の姿は既に人混みの中へと消えてしまっていて不可能だった。がやがやと、再び騒がしさが耳に届いてくる。
「……ナギサくん」
追いかけようか迷っていた俺に、ファイリアが声をかけてきた。彼女も少女が行った方を見ており、こちらに視線を移して言い放った。
「……今の女の子が、キミが守る『次代勇者』だよ」
―――その瞬間、箸が手から滑り落ちた。
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