「おかあさん。どうしてみんな、おかあさんのことをいじめるの?」


 幼い俺の質問に、母さんは答えなかった。俺を強く抱きしめ、すすり泣いていた。どうして泣いてるの、そう訊いても答えは返ってこない。

 何も言わずに泣く母さんの姿を見ていると、悲しみと同時に怒りが湧いた。俺の大好きな母さん。それなのに、どうしてみんな母さんをいじめるのか―――周りの人間達への怒りが、憎しみが、幼心を支配していく。

 やがて俺は、それを爆発させた。


「おかあさんをいじめないでよ!」


 時が止まったように静まり返る大人達。びっくりしたように丸い目玉で俺を見下ろす。しかしそれらは山のような形になり、口元は弧を描くように歪んだ。


 アハハハハ、アハハハハ、アハハハハ、アハハハハ、アハハハハ、アハハハハ、アハハハハ、アハハハハ、アハハハハ―――。


 壊れた人形みたいに笑い出す女達。その異様な光景に恐怖を覚え、俺はその場から逃げ出した。追随する嘲笑。その中で、たった一言吐き出された言葉を、俺はよく覚えている。


「蛙の子は蛙ね」


 後に意味を知った時、俺は激しい憤りよりも、激しい虚無感を覚えたのだった。





 ―――何がどうなっているのだろう。俺は夢でも見ているのだろうか? いくら頬をつねっても、皮膚は悲鳴を上げるだけだった。仕方なく頬から手を離し、辺りを見回す。

 騒がしい室内には、たくさんの人がいた。同じような年頃と服装で、たまに目が合っては逸らし、仲間との会話を楽しんでいる。俺に近づこうとする奴もいるが、結局そこまでに至った者はまだいない。

 一方、俺も彼らと同じ服装だった。白いシャツの上に襟のついていない黒のブレザー、下は白のズボンと焦げ茶の靴。女子の場合、ズボンはスカートとなり、紺の靴下と茶色のローファーを履いている。シャツの襟やブレザー、ズボンには所々、紺色のラインが施されていた。

 何故俺は、彼らと同じ服装をしているのか。知らぬ間に、このような姿になっていたのか―――俺の出した答えは簡潔なものだった。



 ここが、『キシリア学園』だからだ。



 ゲームスタートの合図と同時に、俺は意識を失った。次に気がついた時にはこの「教室」にいて、教卓の横に立っていたのだ。そこで、彼ら「クラスメイト」に対して自己紹介をさせられ、空いている席に座らされた。そして「ホームルーム」らしき時間が終わり、よく分かっていないまま「授業」を受けさせられたのだ。今は授業間の休憩時間である。

 何故俺はこんな所にいるのか? キシリア学園は、ゲームの中の話ではなかったのか? 実際に存在する学園だったのか?

 それら疑問を解決するある言葉を、俺はふと思い出した。



 ――――――体験型ゲームやってます!



 そう。俺がたどり着いた答えはこうだ。



 ―――俺は実際にゲームの世界に入り込んでおり、謳い文句通りゲームを体験しているのだ。



 真面目に出した答えがこれであり、傍から見れば馬鹿みたいな話だろう。冷静な俺はそう言うがしかし、こう考えざるを得なかった。こんな服装に着替えた覚えもなければ、こんな場所を訪れた記憶もない。夢でないと言うのなら、こう思うのが自然であるはずだ。何故か必死に自分に言い聞かせ続けた。


「ねえねえナギサくん! 君ってどこから来たの?」

「お前人間なんだよな? 人間って本当に回復能力高いのか?」


 突然、クラスメイト達がわらわらと周囲に集まった。もう見物はやめたのだろうか、間髪入れずに質問が投げつけられる。質問者の中には、「背中から青い羽を生やした少女」や、「かたつむりの殻のような巻き貝を背負った少年」がいるなど、容姿は様々だった―――なんだ、そんな目で見るな。事実なんだから仕方ないだろう。決して俺の頭がバグったわけじゃない。


「おい、聞いてるのかよ」


 まじまじとクラスメイトを凝視していると、その内一人の男子が、不満げな声を出す。口調に似合わず、その頭からはうさぎの耳が生えていた。


「え? あ、ごめん。何の話だっけ?」

「聞いてねえじゃん!」

「まあまあニサルくん。みんなで寄ってたかって質問責めをしていたら、聞いていない話だってあるはずだよ」


 澄んだ声に視線が移った。クラスメイト達の視線も、エメラルド色のショートヘアをした少女に向けられていた。髪と同じ色の目を細め、にこりと笑みを浮かべる女子生徒に注目する。


「はじめまして。ボク、ファイリアっていうの。よろしくね」


 ファイリアが手を差し伸べてきた。その手を握り、彼女を見上げる。髪の間から生える耳は、人間のそれよりも長く、先が尖っていた。


「ん? どうしたの?」


 耳に注目していたからか、ファイリアは不思議そうに俺を見下ろした。慌てて手を離して謝る。


「ごめん。その耳が気になって……」

「ああ、ナギサくんは人間だもんね。もしかして、妖精を見るのは初めてかな?」


 ―――そんな当たり前のことを改まって訊かれるのは初めてだ。というかまず、こんな質問は日常会話に出てこない。妖精などという種族は実在しない。漫画やアニメの世界ではあっても、現実世界でそんなものが見えたなんて言ったら、頭がおかしくなったのかと疑われるのがオチだ。

 戸惑う俺がおかしいのか、ファイリアはクスクスと笑った。


「ボク、実は妖精なんだ。だから耳も人間のものとは違うし、羽だって生えているの」

「羽? そんなもの見えないけど……」

「心の綺麗な人にしか見えないんだよ?」

「……悪かったな、心が汚くて」

「うそうそ。今はしまってるだけ。妖精の羽は滅多に出さないからねえ」


 人をからかって遊ぶ、というイメージは何となく「妖精」に当てはまる気がする。しかし、どうにも信じることが出来ない。どっからどう見たって人間だ。たしかに耳は変だが、ちゃんと言葉も話せてるし、小さかったりしない、普通の大きさの女の子だ。それが妖精だなんて―――そこまで考えて、俺は再び思い出した。



 ――――――巨大な学園都市キシリア。人間も鬼も獣人も妖精も、あらゆる種族の子供達がそこに集結し共に学舎で生活する。



「疑っているね?」


 心を見透かされたような言葉に、心臓がドクンと高鳴った。ファイリアは口角を少しだけ上げ、妖しい笑みを浮かべる。


「人間の世界で生きたなら、たしかに信じ難いだろうね。でも、本当だよ?」

「あ、ああ……そうなのか……」

「ま、ここで生活していたらすぐに慣れるよ。ここには色んな種族の仲間がいるからね」


 直後に鐘が鳴り、クラスメイトが慌ただしく席に着いた。教科書を抱えて入ってきた女教師の耳も、ファイリアと同じように尖っていた。


「さー始めるぞー。おいニサル、いきなり寝るな!」


 俺は授業中、注意深くクラスメイトを観察していた。容姿こそ変わっているが、言葉や行動は普通の人間と変わらない。

 一方で授業内容は、ある種族の歴史だったり、他国との軍事的関係だったりと、現実味のない内容ばかりだった。

 ―――やはりゲームの世界なのだろう。男の言っていた通りの世界が、目の前に広がっている。にわかに信じ難いが、同時に受け入れる自分がそこにはいた。口角は自然と上がり、期待に胸を膨らませていた。

 このゲームは面白そうだ―――そんな単純な理由からだった。

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