第九話 くっついていてあげる♪

「じいさん、こんな雨の夜に、歩いてあの峠を越える気だったんだ!」


「ええ。ですが、お陰で助かりました。」


 対向二車線、カーブが多い峠の中腹。

 私は通りかかったトラックの若い運転手に声をかけられ、乗せてもらっていた。


 下の街で調達したビニール傘から滴る雫が、助手席の足元に小さく水たまりを作ってしまっている。

 と、先程まで人懐こい笑顔を溢れさせていた彼だが、急に声を潜めた。


「いや。ここだけの話だけど。」


 彼は私が顔を覗きこんだのを確認したかのように、ちらと横目で見ると、小さく一度、顎を引いた。

 

「つい最近、こんな夜にさ。

 あそこで俺、ちっちゃい子をだっこしてる女の幽霊、見たことがあってね。

 そこにじいさんがしゃがみ込んでたもんだから、肝潰したよ。」


 話によると三ケ月前、その場所でそんな親子が乗った車の事故があったという。

 ブレーキの跡もなく、ガードレールを損傷させた上、それを超えて車は崖下に転落……よほどスピードが出ていたのだろうか。

 だが、なんとも痛ましい話だ。


「その車、後ろにチャイルドシート付けてたっていうから、

 子どもがぐずったかなんかで脇見しちゃったのかなぁ。」


 彼は顔を曇らせていた。


「失礼ですが、あなたにもお子さんが?」


 すると彼は、サンバイザーに挟んでいた写真を一枚、私に手渡してくれた。


「それうちの娘、別嬪でしょう?」


「これは可愛らしい。三歳くらいですか? 」


「ええ。

 パパと結婚するんだなんて言ってくれてね。だから他人事に思えなくて。」


「……そうですね。」


 と、突然。

 対向車が近づいて来ているというのに、一台のワンボックスがトラックを追い越し、すぐ前に割り込んできた。

 トラックは急ブレーキをかけ、対向車のクラクションは鳴り響いたまま遠のいていく。


 一つ間違えれば大事故であったはず。


「あっぶねえ!! トラック舐めてんのかッ?!

 積み荷はなかったからいいようなものの、爺さん、大丈夫だったかい?!」


「ええ。」


 応えながらも一気に冷や汗が背中を流れていたことは否めない。


「こっちのブレーキが間に合わなけりゃ、あんなのスクラップじゃねえか。

 これだから重量差わからねぇ奴ってのは……。」


 口は乱暴だが、彼は落ち着いてギアを入れ直し、また法定速度で走り出す。


「冷静ですね。」


「いやぁ……守りたい家族がいればね。

 血が上って事故なんか起こしたら、大変ですからね。」


 言い終わらぬうちに、彼は先方に目を細め、唸った。

 

「あ…あいつ、なんて野郎だ? 前の軽自動車、煽ってやがる!」


 見ると。

 長い右カーブに差しかかった場所で、先程のワンボックスが激しくパッシングをしている。

 闇に照らし出されたその軽自動車は、あわやガードレールにぶつかるかと危ぶまれた。

 が、どうにか姿勢を維持するも、よほど恐ろしかったのだろう。やや速度を緩めさしかかった登坂車線に入るや、続くこのトラックにも道を譲った。


 だが例のワンボックスはというと、速度を落とすこともなく既に先の左カーブへと侵入していく。


 その直後。ワンボックスは突然挙動を乱し、対向車線まではみ出していった。

 そして。


 ガードレールを破る激しい衝突音に次いで、下の谷からと思われる爆発音と炎が上がった。


「おいおいおい……。……まじかよ?」


 運転席から身を乗り出しながら、隣の彼はハザードランプを点けた。

 そして脇にトラックを止め、駆け寄った対向車線の破れたガードレールから、二人で谷を覗きこむ。

 そこには、先ほどのワンボックスがその形をとどめることなくひしゃげ、炎上し続けていた。


「恐らく無事ではないでしょう。」


「とにかく警察警察! 爺さん、悪いね。巻き込んじまって。」


「いえ、とんでもない。」


 やや焦った表情の若い運転手は、方々へ連絡せねばとトラックへ戻った。


 ちょうどそこに、煽られていた軽自動車を運転していた若い女性も近づいてきた。唇を震わせ瞬きも忘れ、彼女は雨に濡れたまま下の炎を見つめる。

 私は持っていたビニール傘を広げ、彼女に差し出した。


「先程はあの車に煽られて、あなたも怖い思いをされたでしょうな?」


「ええ。でも……もしかしたら、私があんな目に遭っていたかも……。」


 その声はか細く、蒼白の顔は恐怖に歪んでいた。

 彼女には車内で落ち着いて待つよう促し、私はそのまま燃える車を見下ろしていた。


 そんな私の隣に、ふっ と、リンは姿を現した。


「ご苦労様です。」


 軽く首を振りながら、リンは前髪を指でかき上げる。


『別に。ずいぶん飛ばして来たあの車の前に、ただ立っていただけよ。』


「これであの親子の霊も、ようやく浮かばれましょう。」


『そうね……。』


 そう。トラックに乗せてもらう前。

 私とリンはあの場所で、三か月前に事故で死んだと言われている親子の幽霊に会っていのだ。

 泣き止まぬ幼子を胸に抱き、止まらぬ涙に濡れたまま、若い母親の霊は訴えた。


 あれは事故なんかじゃない、と。


 それで、私達はあの場所で待っていたのだ。


『ど……どうして……。なあ、どうしてこんなことに?』


 そう、今、私の隣にやってきた、焼けただれたこの男を。


 先程から見えていたが。

 ワンボックスの男の霊は、炎上する車の脇に立ち、焼ける自分を呆然と見つめていた。上の我々の気配に気づき、私と目が合ったと知るやこうして飛んできたのだ。


 顔も焼けただれ表情はよくわからぬが、すがるような目を私に向けている。


「おや? 自分が死んだことが、理解できていないようですな。」


『そんな? だってどこも痛くないぜ?』


 両手を広げ、赤黒く潰れた臓器が露わになった腹を見せる男に、リンは冷たく答えた。


『そんな体でどこも痛くないのが、死んでるってことでしょう?』


『なんだよ? 明日明美とデートだってのに!

 っていうかお前!

 お前のせいだ! ふらっと車の前に現れやがって!!』


 いきなり指をさして詰め寄る男に、リンが動じることはない。


『幽霊がどこ歩こうと、生きてる人間に関係ないわ。

 むしろ あなたのせいでしょ?

 止まれないようなスピードで走っていたあなた。』


 そして今度はリンから男に近づき、凍るような瞳を細め、睨みつけた。


『三ケ月前。煽って前を走っていた親子を殺した、あなた。』


 男ははっと息を飲んだように硬直した。


「覚えていましたか。少しはまだ人であったようですな。」


 男は呻く。


『あ……あんな、とろい走り方してる奴が……悪いんじゃないか……。』


『あなたに煽られるまで、制限速度で走ってたって言うわよ?』


「それがガードレールを破るほどまで、あなたから逃げたということです。

 その親子にも、迎えたい明日はあったはず!

 それを身勝手な振る舞いであなたが奪ったんだッ!!」


 私の怒気を含んだ喝に、男はうなだれた。


『そんな。そんなつもりじゃ……。』


「地獄へお行きなさい。

 ただし、今と違って感覚はありますからね?

 じわじわと、あれ以上の炎に永遠に焼かれ続ける感覚が。」


 まだ立ち昇る炎を見つめ、男は首を振りながら後退りする。


『そ、そんなの嫌だ……。』


『本当、我儘ばかりで反吐が出る。』


 呆れたようにつぶやくと、リンはいきなりその右手を男の体に突き刺した。


『な! なんの真似だ?!』


 リンは男から抜いた掌に、軽くふっと息を吹きかける真似をした。


『あなたに【闇】を、仕込んだだけよ。』


「これは大変なことになりましたな。」


 大袈裟に言って見せる私に、一人事態が呑み込めていない男は、私とリンを交互に見つめる。


『地獄が嫌なら、ここであなたのような乱暴な運転する奴をなくしなさい。

 私みたいにびっくりさせるだけでもいいわ。

 運が良ければあなた、生まれ変われるかもね。』


『ほ、ほんとうか! やる! やるやるやるッ!!』


 リンの最後の言葉に、男の顔つきからは先程までの不安の色はすっかりどこかに消えていた。


『でも、いい? 相手にするのはあなたみたいな奴だけよ?

 他の人を巻き込んだら即地獄。』


『わ、わかった。』


「この峠を安全にすることができたら、

 あるいは罪滅ぼしにはなるかもしれませんな。」


『そんなことで罪が消せるんなら!』


『でも、言われた以外のことしたり考えたりしたら、こうよ?』


 リンはパチンと右の指を鳴らした。

 その瞬間、男の両腕が ボッ と黒い炎を上げ、一瞬のうちに消滅した。


『うわッ! 今のが【闇】か?

 こ、こんなものを俺に仕込んだのか?』


『いいわね? おかしなことしたら、次は全身一瞬よ?』


 リンの身も凍るような微笑みに、男はバカのように何度も頷いていた。



 やがて警察だの、消防だの、一段落した後。

 私はまたトラックの彼に乗せてもらい、長い雨の峠を越えた。


 車窓から白み始める景色を眺める私に、半分憑依していたリンが脳内にささやく。


『あの峠も、少しはあんな馬鹿が減るといいわね。』


《それも束の間でしょうな。

 あの男も、いずれ本当に生まれ変われるのかと疑問を持つでしょう。

 その瞬間に……。》


 するとリンが冷たく笑う声が聞こえた。が、すぐにどこか物憂げな感情が、私に浸透してくる。


『馬鹿な男ね。

 犯した罪なんて、未来永劫なかったことにはならないのに。』


《我らも、お互い様ですな。》


『ねえ? お互いさまって言いながら、今日は私ばかり働いてない?』


 少し、リンの声は尖っているように聞こえた。


《おや? そういえばそうでしょうか?》


 とぼけてみせたが、確かに今日は……

 殺された親子の話から、すぐにあのワンボックスを特定したのもリンだ。

 そしてもうほとぼりが冷めた頃だろうと油断したあの男が、今夜峠を通るようにしむけたのも。

 リンにとっては造作もないことであったとはいえ、全てを任せっぱなしであった。


 すると、私の中のリンはくすくす笑ったように感じた。


『じゃあ今日はこうやって、ずーっとくっついててもいいわよね?』


 まだ雨も降り止まぬようだ。まだまだ先まで、乗せてもらうことにしよう。


《くっついているだけですよ。》

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