第七話 お肉とアイス♪②
県教委にいた頃、県内外のそんな教育困難校の話を耳にもしたが……。まさかそれほど乱れた環境にリンもいたとは。
リンは瞬きもせず、気だるげ垂れた前髪を耳にかける。
『教師なんて舐められてた学校でね。
担任が気の優しそうな若い男で。
それに結婚したばかりの奥さん、妊娠したって言うから、
毎日冷やかされてたわ。
出来ちゃった婚か? どんな格好でやったんだ?って。』
「嫌ではなかったのですか?」
『……古谷はまたそんなふうに私のこと、気遣ってくれるのね。』
リンは小さくそう呟くと、穏やかな顔を外灯から私に向けた。
「性に対して抵抗はない」と言ってはいたが、それは死を、転生を繰り返したことを自覚できる今だから言えることだろう。
その記憶もなく生きていた当時なら……。
するとリンは私から視線を外し、うつむいた。
『ほんとはね。
その時は虫唾が走るくらい嫌だったから、目を閉じ、耳を塞いでた。
でもその担任は馬鹿正直にそんな連中の生活指導に振り回されていたわ。
飲酒、喫煙、そして窃盗、暴行……。
体も、心も壊しながら、ね。』
「もしや同情から……ですか?」
『私がその男を愛した理由?』
どの前世においても、周囲から辛い仕打ちを受けた指導者たる男に、心惹かれてしまっていたというリンだ。それは即ち、リン自身も共感できるものがあったからに違いない。
リンは軽く、首を傾げた。
『同情ね……そうなのかな?
その時、私の両親は離婚調停中で別居しててね。
私は母に引き取られて、それでその学校に転校していたの。
でも母からは、それよりずっと前から無視されていた。
きっとあの人は母親としてではなく、女として私を疎んじていたんだと思う。』
やはり。
普通の家庭で育ったとは言い難いだろう。若干十七歳で、家族がそんな状況であったなら、心穏やかでいられたはずはない。
『だからかしらね。
ぽっかり穴が開いていた私の心に、あの人は入ってきた。
最初は放課後、一人で教室の掃除をしていた私に、疲れた顔で「悪いね」って。
それからクラスの愚痴をこぼして。
それがだんだん奥さんの愚痴に変わっていって。』
リンはどこを見つめると言うではなく、その視線を地面に落とした。
前髪が下がり、微かに震える口元だけが見えた。
『ある日、いきなり先生に唇を奪われたの。
そんな経験、初めてで。
その時……私がこの人を守らなきゃって、思ったの。』
そして「とんだ勘違いもいいところよね」と小さく笑った。
『でも、本当は先生を奪いたかったのかも知れない。奥さんから。
だから私、求められるまま、先生としたの。
制服のまま、下だけ下ろされて。
ストッキング、破れちゃて。
それで……痛かったけど、嬉しかった。』
私はもう赤面もしなかった。
目の前の少女は、そんな風にしか人とのふれあいを持てなかった、ということだろうか。
『それから毎日のように、誰もいなくなった放課後の教室で、先生は私を抱いた。
私は声を殺しながら、先生の熱で自分が溶けていく快感に溺れていった。
そんなことを何日も、先生の汗と、精液の匂いに酔いしれて……。
あんなに嫌だったはずの匂いなのに……。
そう、匂いよ……突然それまでの前世の記憶が蘇ったの。』
「それは!
……その男に殺される一月前ということですね?!」
リンは、こくりと小さく頷いた。
全ての前世においてリンは愛した男に殺されてきた。その記憶は全て重なりあって突如蘇えったという。
殺されるまでの猶予はわずか一月、という時に。
『私は先生に殺される。それは避けようがない運命だと分かった。
私を殺すほど先生が苦しんでるとすれば、それはクラスの奴らや奥さんのせい。
そうとしか考えられなかった。
だから私は、先生に殺されるとしても、なんとか先生を守る算段を立てた。』
自分の死が避けられないことを受け入れ、なおかつその相手に罪を着せぬように考えたというのか?
それが当時のリンの、「愛情」だったというのだろうか。
リンは目を細め、冷たく笑う。
『クラスの奴らを嵌めるために、「遺書」を書いたわ。
実際、酷い嫌がらせは毎日受けていたから、何人もの名前を書き連ねてね。
それを苦にしての自殺。
先生は止めようとして、叶わなかった……そうすればいいって。』
そして一度、深くため息をつき、目を伏せた。
『奥さんには……すでに勝ったと思っていた。毎日抱かれていたんだもの。
でも、何度も家に無言電話をかけた。
外に女がいるんじゃないかって、疑心暗鬼にさせたの。
別居前に母がされていたようにね。
……っていうか、私の存在を示したかっただけかも知れないけど。』
さらに「私って浅はかな女よね」と小さく呟き、リンは静かにその顔を上げた。
『そしてついにその日はきたわ。
先生は私を後ろから責めたあと、服を着直す私に、
顔も見ずにもう終わりにしようと言った。
身重の奥さんが、心が不安定になっているから、そっちを大事にしたいって。
私の電話でそうなったのかも知れないのに、そんなことに気づきもしないで。
先生が可哀そうに思えた。』
「その男を信じていた、というのですか?」
その男にしたところで過去の男ども同様、恐らくは……。
リンは静かに首をふると、私が言わずにいたことを口にした。
『今ならわかるわ。
お腹が大きい奥さんとセックスできないから、
単なる性欲の捌け口のために私を抱いてたんだって。
でもその時私は、殺されることも忘れて……。
ただ先生を繋ぎ止めたい一心で……。
言わずにいようと思っていたことを言ってしまった。』
「何を?」
『生理が一か月以上来てないって。
でも、先生は真っ青になるだけで何も言ってくれなかった。
それで私、タガが外れてしまって。
別れるなら、奥さんにもクラスの奴らにもばらして死んでやるって、
用意していたカッターナイフをかざしたの。』
「そんなことをしたら……。」
追い詰められたと感じた男は……。
『ええ。
動揺した先生は私の首を絞めた。
それで気が遠くなって、倒れてしまった。
意識を失う前に、先生が私の腕にカッターナイフを当てるのが見えたわ。』
そういってリンはセーラー服の左袖を、ゆっくりとめくりあげる。
その細い手首の内側には、肉を断ち、骨まで見える傷が。リンはその傷を震える右の指でなぞる。
『血が抜けていって、やがて幽霊になって、傍で眺めながら思ってた。
これでいいって。
だって先生、冷たくなっていく私の体で、またしたんだもの。
死んでもまだ愛してくれているんだって、その時は思ってた。』
そんなものは……リンへの冒涜以外のなにものでもない。自然、私は怒りすらその男に覚えていた。リンを殺した。その男の罪は罪だからだ。
だが当のリンは淡白なままだ。
『それから例の「遺書」もすぐ見つけられたから、
結局私の筋書きどおりになった。
母も私をようやく捨てられて、せいせいしていたみたい。
死亡診断書だって、今思えばいい加減なものだったのかもね。
私のあそこちょっと調べれば、あの人の精液だって残ってたでしょうに。』
「その男は? それから?」
男への怒りを押し殺し、リンを見つめる。
『あの人、お葬式で泣いてた。それで満足して、私は去ったわ。』
「そんな涙など!」
『そうね……どんな涙だったんだろうね。』
「では今も、その男はのうのうと?」
『そうね……あれから十八年だから、もう四十半ば……。』
気のない返事をしながら、リンは顔を上げた。
ベンチを取り囲むように、先程の少年たちが近づいて来ていたのだ。
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