第4話  誰が象を殺すのか

 嫌な夢を見た。

 いつも見ているのとは別の陰鬱な夢だった。


 俺は衰弱していく象をガラス越しに眺めていた。「これで象は死ぬんだ」と、もう俺は解っている。


 気づくと、俺の隣に沙優と妻、その他にもギャラリーたちが突然現れた。動物園の動物を眺めているように、みんな弱っていく象を眺めている。


 すると、ガラスの向こうに突然、阪本が現れた。阪本は象に駆け寄り、俺たちに向かって何か大声で叫んでいる。

 ガラス越しで何を言っているのかは解らないが、「おい! 滝田!」と俺を見て口が動いたのが解った。


 俺は思わず目をそらした。


 次に象を見ると、阪本が背中をさすりながら立ち上がっていた。そして次第に歩き出し、象は元気になってしまった。

 そして、沙優が阪本を見た後、チラッと俺に目を向けた。その視線が怖くて、俺は無理やり、閉じていた目を開けてしまった。



 翌日。会議室に入ると、俺が座る席に資料が置かれていた。


「座らなくていい」


 椅子を引いた俺に課長は目を向けることなく言った。


 立ったまま資料に目を通した。緊急のスポーツニュースのせいで、街のストレスレベルは、俺が測った時よりはるかに下がっていた。


 資料の『病気の象』の部分の数値が赤く表示されている。


「象を殺せ。始業までにできるだろ?」


 課長が俺に言った言葉はそれだけだった。叱られもせず、怒鳴られることもなく、惨めな思いで部屋を後にした。



 人がまばらなオフィスの席につき、パソコンを立ち上げる。すぐに課長もやってきて、俺を監視するように自分の席についた。


 入院している沙優の顔が浮かんだ。病院にいれば、テレビは見ないだろうか? 付き添いの妻が暇つぶしにつけている可能性もある。


 キーボードを動かさなければ……課長の位置からじゃ、葛藤が丸見えだ。


 ブゥゥ。ブゥぅ。


 その時、ポケットのスマホが震え出した。二度、三度。気まずい中、スマホに表示されていた名前に、チラッと課長を見た。


「あの、課長。電話に出て来てもよろしいでしょうか?」


 課長の視線が鋭くなる。


「なぜ、俺に聞く?」


 質問で、むしろ、相手を疑わせてしまっただろうか?


「娘さんの体調が悪いんじゃないのか?」

「え……ええ」

「なら、出てくればいいだろ」


 俺はホッと胸をなでおろし、その場を離れた。



 階段を上がり、この時間は誰もいない喫煙所に入った。


「もしもし」

「滝田か?」


 電話の向こうの阪本の息は上がっている。それ以上に後ろから子供の声、大勢の人がいるところのようだ。


「何かあったのか?」

「滝田、頼みがある……」


 一瞬で、血の色が黒みを増したような嫌な予感がした。


「少しだけ報道の時間をくれないか? こっちでワクチンが足りていないんだ。宣伝して、有志に金を送金してもらいたい。頼む!」


 時計にチラッと目をやった。八時五十分。家族に聞かれないように、俺が出社してくる時間を逆算してかけてきている。昔から、細かいところにまで気の回るヤツだった。


「こっちは夜中の一時なんだが、ガキも大人も眠れないんだよ。頼む……数秒でいい」


 なんでこのタイミングなんだ。


「流せるわけないだろ、そんなの」


「こっちも命がかかってるんだ。だから友人として、無理を承知で言ってる。頼む、なんとかしてくれ」


「無理だ」


 なんで、なりふり構わず、俺たちに頭を下げられるんだ。お前が「あんなのになりたくない」って軽蔑してた奴らだろ。


「このまま、死なせたくないんだよ!」


 夢の中の沙優の目が、また俺の方を見ている。


「だから……無理なんだよ」


 なんで、お前だけ平然と、助ける方を選べるんだよ。


「お前しか、頼める奴がいないんだ。お願いだ、滝田!」

「無理だって言ってるだろ!」


 俺の怒鳴り声で、ガラスドアの向こうの出社してきた人達が驚いた顔で、こっちを見た。


「いいか、そんなもの流したら、街のストレスはメチャクチャになる。事故やら、悪影響が起こる。そんなニュース流せるわけないだろ」

「どうしても無理か」

「……無理だ。お前たちのニュースは街の人の生活を脅かす恐れがある。それに……」


 そこで俺は言葉を止めた。


「それに?」


 電話の向こうから、穏やかな声が聞こえてきた。


「それに……お前が今見てるものを流したとしても、もう、誰も本当のことだって信じない。作り話だってことにされて終わる」


 しばらく、阪本は無言だった。


「そうか、わかった。無理なこと頼んで悪かったな……お前にも守るものがあったんだよな」


「えっ」


「断ってくれて、ホッとした。お前がそう言う奴だから、友人になろうと思ったのかもな。俺も頑張って、他を当たることにするわ」


 阪本は「じゃあな」と世間話でもしてたかのように電話を切った。


 電話が切れたとき、直感が働いた。

 俺と阪本はきっと、これからも友人だ。だけど、俺たちが会うことも、話すことも、もう二度とないだろう。


「守るもの、か」


 俺は、喫煙室の灰皿を蹴り飛ばして、デスクに戻った。


 そして、すぐに象を殺した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る