第2話 誰が象を歩かせるのか
「象は、もう少し生かすことになった」
課長の言葉に、思わず安堵のため息が漏れた。
「嬉しそうだな」
「いえ、そんなことは」
油断して態度に出てしまった。
その後、課長から街のストレスレベルのデータを見せられた。資料に目を落とすと、交通事故の件数がどの街でも微増している。
「まだ誤差の範囲内だ。街は正常に回っている」
事故の他にも信号無視やスピード違反の件数も微増していた。これは、街の気分が高揚していて、緊張が緩んでいる状態を表している。ただ、それもまだ許容の範囲内だ。
もう少しストレスレベルが下がっていたら、おそらく殺されていた。
象のニュースも、市民の気の緩みの歯止めに貢献していると判断されたのだろう。
「少し、象を元気にさせましょうか?」
俺は、ストレスの緩和にまだ余裕があるのを確認し、課長に提案してみた。
「そんな事をしてどうする?」
課長は鋭い視線を俺に向けてきた。
「まだ生かしてはいるが、あくまでも殺す方向で作ったニュースだと、最初に説明しただろ?」
「ですが毎日、同じ内容では世間も飽きるのではと……妻も今日、『またこのニュース』と愚痴っていたので」
咄嗟に弁明したが、
「一度、元気にして殺したら、反動でストレスレベルが予定よりも上がる。そんな事も解らないなら、担当から外すぞ」
と、釘を刺されてしまった。
回復はないが、現状維持。
悪くはないが、良くもない。悪くはないという事は、むしろ悪い。
その間に、沙優の風邪が治ってくれればいいが。
本物のニュースは予想ができない。
これ以上、明るいニュースが続けば、すぐに「殺せ」と御達しが来る。喉元にナイフを突きつけられたまま、あの象は生かされているだけ。
と言っても、あの象はこの世のどこにも存在していないのだが。
デスクに戻り、すぐにニュースの制作に取り掛かった。
『AMP(全自動映像作成プログラム)』の誕生以来、ニュースはわざわざ現場に映像を撮影しに行くものではなくなった。
AMPは、もともと建築の分野で使われていた、建物の立体映像を作成する技術から来ている。
二枚の別の写真、例えば『校庭を歩いている少女』と『バス停で待っている少女』という画像データを読み込ませると、間の『学校からバス停まで歩く少女』という部分は、ネット上の膨大な映像データから、AIが自動で違和感のない映像を作ってくれる。
今ではさらに改良され、文章、またはト書きを入力すれば、誰でも簡単に映像が作れるようになった。
現在、メディアに流れているニュースの八割は、このAMPによって作られた、この世に存在しないニュースだ。
今や、ニュースは情報を伝えるものから、人々のストレスをコントロールする為のものに変化した。
逐一、調査されている各街のストレスレベルに合わせて、街の雰囲気が暗くなれば、明るいニュース。街の人々の気が緩んでいると判断されれば、『近所で殺人事件が起きた』といった映像を作ることすらある。
どうせ、一ヶ月もすれば、ほとんどの人間はニュースの内容など忘れてしまう。
俺は、たった今できあがった、象のニュース映像を確認した。
「お、象、どうなるって?」
できたばかりの象の姿が流れている画面を先輩の一人が覗き込んできた。
「保留です」
「そっか……保留かぁ」
先輩は残念そうに言った。
「うちのガキ、このニュース、結構気にしてんだよなぁ」
先輩は、「まぁ、死ぬよりはマシか」とため息を混じらせ、去って行った。
朝、頑張って薬を飲んでいる沙優を思い出す。
明日には沙優の風邪も治っているかもしれないが……少しだけでも、歩いた映像が入れば、きっと沙優も喜ぶだろう。
ほんの一瞬だ。
文章に「ゆっくり歩く」と追加してみた。もともと、表情の解らない象だからか、元気なのか病気なのか、その歩く姿では解らなかった。
予測ストレス値を計測すると、他のニュースと兼ね合いを見ても、許容値を超えることはなさそうだ。
これなら、大丈夫だ。
俺は、歩く映像を追加した映像データを報道各社に送信した。
今日の夕方から、これがニュースとしてテレビから流れてくることになる。
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