そしてある夏の日、私達はひとつになる




「演劇部に~変わった子が入ったらしいから~見に行こうよ~、さやかさ~ん!」


そんな奈々の声に目を覚ます。季節はもう秋、部室の窓からは枯れ葉混じりの心地よい風が通りぬけていく。




「寝てるんでしょ~、早く起きて~、さやかさ~ん!」


外から聞こえる彼女の声はまるで鳥たちが奏でる旋律のよう


心地よいまどろみの世界に再び私を引き戻してくれる。


たとえていうなら、カナリアの歌声、鶯のホーホケキョ、雲雀のピーチクパーチク。




「こら~!さやか~!起きろ~」


カナリアがカラスに変わった。やっぱり次期部長候補、沢良木奈々、声量も大したもんだ。




「はい、はい、今降りていこうと思てんねんから」


私を囃し立てるようにサンクチュアリ教会の鐘が鳴る。何故かみんながそう呼ぶ学内のチャペルの定期時報。 腕時計に目を落とすと、もう午後4時を過ぎていた。8月の終わりとはいえ、まだこの時間でも空は高く青い。まだ半分夢の中の私にはその青空が目に染みた。



起き上がろうとして、部室の隅を見てはっとする。


「みほさん・・」


誰もいないと思っていた部室に宮垣みほがいた。軽音楽部二代目部長。

窓に持たれながら腕を組んでこちらの方を向いていた。起きているのか、寝ているのか、ちょうど午後の日差しが逆光になり全く分からない。


眠気け眼をこすりながら取りあえず頭だけを下げる。お盆のこの時期だけに聞こえる,ミンミンゼミとツクツクボウシの共演が少しだけわたしの緊張をほぐしていく。



(寝てるみたいや)


できれば話したくなかった。先日のあゆさんの一件はもうこの人には知られているはず。時間が経てば、この人もわかってくれる、今向き合うのはできれば避けやんと・・

軋むオンボロソファを体全体で抑えながらゆるりと起き上がる。


奈々が再び大声を出さないことを祈りながら、まるで泥棒猫のように抜き足差し足で親指を立てて出口へと向かう。そのときツクツクボウシの声がひと時止まる。



「別に何にも言わないよ」


背中に電流が走った。


「鞘師からちゃんと説明してもらったから」


「・・・」


「なかなかいい子じゃない、あの子」


「みほさん・・」


「いたんだよね、あんな子がうちの大学にも」



鞘師璃子、私たちの学内ではもうそれはちょっとした伝説になりつつあった。学内での学生運動はまだ全面的に規制されていて彼女の姿を見ることは少ないけど、すくなくとも私たち仲間の間では、彼女はもうすでに完全復活していた。





※※※





二ヶ月前の七月末日、私とさしこは丸の内にいた。璃子の格好と言えば相変わらずのヘルメットにタオルマスク。

それはなんぼなんでもあかんやろ、そう何度言っても彼女は聞かなかった。


これが私の今の正装だから 心の鎧とも璃子は言った。



「それより、あんたもなんでギターなんか担いでんのよ、その男に歌でも歌って聞かせる気?」


「これはうちの体の一部やから」


「結局わたしと一緒じゃん」


「あんたとは違う」


「何が違うのよ」


「・・・」


「ほら認めた。ふふっ」



璃子の笑い声がオフィスビルにこだまする。


「言っとくけど私はなんにも口を出さないよ。黙って後ろで腕組んで睨んでいるだけ。なぁーちゃんにもそう約束したし」


「わかってる、それで十分や」



有楽町の駅を出て西へと歩く。帝国劇場を右に折れると視界の向こうには皇居の森が広がる。そのお堀端を左に見ながら、北へと進む。2~3分もしないうちに周りを威嚇するような地上八階建ての丸の内三菱ビルが姿を現す。


「ここが三菱ビル?」


「八重洲ビルともいうんやけど」


その石段造りの玄関の威容に圧倒される。いかにも人を選びそうな大理石の床に石積みのアーチ。

少したじろぐ私を尻目に、自分の姿も顧みずスタスタと歩みを進める鞘師璃子。ここへ来るまでに、二回も職務質問を受けた身なのに、そんなことは彼女にとってなんの歯止めにもならないらしい。


腕組みをしながら待ち構える警備員のおじさん。


───だめだよ、そんな格好で来ちゃあ、帰って帰って


聞き慣れてるのだろう、そんな言葉にも彼女は努めて明るく振舞う。

ヘルメットの下に覗く大きな瞳がおじさんの警戒心をそぎ落としていく。


「じゃあ、ここで来週にでも仲間を呼んでシュプレヒコールでもあげよっかなぁ」

そんな璃子の声に彼が一瞬怯む。


「うそ、うそ、嘘だよ、おじさん}


彼の口元がわずかにゆるむのを見逃さない璃子、あとはもう満面の笑顔を作るだけでよかった。



「あんた、いっつもそうやって、男を誑し込んでんねんやないやろな」


「だとしたら、どうなのよ、さやかちゃん」


後ろで腕組んで睨んでいるだけ。もう彼女はその時点で奈々との約束を早々と破ってしまっていた。



「行くで、璃子」


後ろを振り返るともう彼女は笑っていなかった。

仲間の大切な想いを取り返しに行く、今日知り合ったばかりの鞘師璃子が私たちのそんな思いを共有してくれているようにも、わたしには見えた。


越後新潟の夏は短い。9月に入れば越後三山には早くも雪が舞うだろう。


「さやか、今年の初雪を私はどこで見たらいいんだろう」


先日届いたあゆさんの手紙の答えを今日、わたしは必ず手に入れる。


「だから、私は黙って見ているだけだって」


踏みしめる大理石の上で璃子のアディダスのスニーカーがキュッキュッと音をたてて笑っていた。

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