いじめの女王、鞘師璃子
「で、わたしには何のメリットがあるのかな、奈々ちゃん」
「なぁーちゃんでいいです」
「じゃあ、私もりこでいいよ、なぁーちゃん」
この人はもう私たちの味方。沢良木奈々はそう確信しているようだった。
「璃子さんはどうしてこの大学に入ったんですか?」
実は私もその事には少なからず興味があった。うちの大学は名ばかりは総合大学だけど都内の他の大学に比べると比較的小規模な大学で、クリスチャン系で保守的。お嬢ちゃんお坊ちゃまが通う学舎を絵に描いたような大学。
彼女が来るまでは学生運動とは全く無縁で、集会どころかビラを配る学生の姿さえ見ることはなかった。
なんであの子、うちの大学に入って来たんだろうね、あゆさんが彼女を見る度にそう言っていたのを思い出す。
「みんな聞くのよね、そうやって」
そう言って璃子は少し西日が差しはじめた窓の方に目を向けた。
そこからみえる煉瓦づくりの正門を背にした大きな楡の木。
大学のパンフレットの表紙も飾っているその木を璃子が初めて見たのは高校三年の夏休み。
オープンスクールを利用して大学を訪れた時だった。
「あの木を見て思ったのよ。私はここで高校時代を取り返す、私の三年間をここの4年間でちゃらにする。あの木の下で友達と他愛のないことでふざけあったり、お弁当食べたり、勉強したり、時には恋ばなもあるかもしれない・・」
「いじめにあってたんですか?璃子さんは」
「奈々!}
思わず奈々の口に手を当てた。
「いいのよ、さやか。でもその逆」
いつの間にか私はさやかと呼ばれていた。彼女がここに来てからまだ一時間も経っていない。私の人生のなかで名前を呼び捨てにされたのはこの時が最速だった。
「やりたいことばっかりやってた、地元の大分では。もともと打たれ弱いんだよ、私はこう見えて。だからやられる前にやる、いじめられる前にいじめてた。
なんにもしてないおとなしい子に、ただルージュを塗って来ただけでみんなでしかとしたり、髪形を気に食わないから、校舎の裏に呼び出したり。そんな事ばっかり、学校側に目をつけられない程度にやってた。
陰湿だよね。けど私はもう前へ進むしかなかった、自分を守る為に。
いじめなければ自分がそっち側の人間に貶められる。以前その恐怖を味わっている私には選択肢は一つしかなかった。
いじめの真ん中に居座って心の壁を築く、誰も入ってこれないほどの大きくて高い壁をね。
それが私の高校生活の全て・・
そして卒業の日、クラスの子の一人に、元気でねって声かけたら、何も言わずに頬っぺたをはたかれた。あんたのことは死んでも忘れないからって。その時のその子の顔は今でも忘れない。
それでぼうっとしてて、気が付いたらもう私の周りには誰もいなかった。窓の外を見たらその子はみんなに囲まれて写真撮ったりふざけあったりしてるのよ。みんなが私を罵り嘲笑っているように見えた。その時の私の絶望感と敗北感、
分る?あなたたちに 」
「分かる・・・ような気がする」
思わず出た言葉に自分でも驚いた。
「さやかさん・・・」
奈々の驚く顔を横目で見ながら璃子が小さな声で笑った
「だよね、いじめてそうだもんね、あんた」
「逆や。」
「逆?」
「あんたの気持ちやない、その子の気持ちを私はわかるんや」
「・・・」
「あんたがその日に味わった気持ちを、その子は三年間、ずっと受け続けてきたんや」
言いすぎたのかもしれない、そう思って奈々の目を見た。
奈々はその大きなうるんだ黒い瞳で私をまたにらむ。
けどいじめた人間といじめられた人間、その間にある垣根は奈々が想うほど簡単なものじゃない。いじめた人間がいくらその事をちゃらにしようとしても、いじめられた人間は死ぬまで忘れない、その顔も、そしてされたことも。
「そうよ、さやか。私は逃げてきた、この大学に、東京に。あの日を忘れるために逃げてきたのよ。あの日のあの子の顔を忘れる為に」
「・・・」
「あの楡の木の下で璃子って、呼ばれたかったのよ」
「鞘師さん・・」
「だから・・・なぁーちゃん。璃子でいいって」
「りこさん・・」
もうそれ以上、その時は何も璃子は話さなかったし私たちも聞かなかった。
のちに親しくなってから彼女はこう語った
──── いたのよ、大分の高校から来た人間が。ほんの数人だけど。で、言いふらした、私がいじめの常習犯だって、大分のいじめの女王だって、あることないこと、いっぱい尾ひれを付けてね。大学ってさぁ、もう大人だから、高校みたいないじめはないんだよね。
でも私が教室に入ったらはっきりわかるのよ、空気がとまるのが。音がなくなるのよ、私の周りだけ。あとはおきまり、流されるように学生運動に入っていった。
どう、絵に描いたような青春ドラマでしょ。
ハッピーエンドにはなりそうにないけどね。
璃子は、今は何とも思ってないよ、そう言ってその話を笑い飛ばした。
けど彼女は二度と私たちの前でその話をすることはなかった。
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