7.(ぼく) LINE探索(2) /『人間試験』/ IMSI傍受 / 日賀さんの嘆き
23時を過ぎた。親が昼間の仕事をしている家庭の小学生なら、とっくに寝ている時間帯だ。
ぼくは『かけおち援助』被害者たちのLINEのIDに、アカウントハッキングを行った。『他端末ログイン許可』をオンのままにしているIDを探しては、1秒間に25000回、様々なパスワードを試す。小学生相手に大人げない? ぼくは、製造されてからまだ数年しか経過していない。
これは、非合法な行動だ。
警察も探偵も、こんなことはやらない。違法な手段で得られた証拠は、裁判で証拠としては認められず、役に立たないからだ。だが、ぼくたちはハッカーだから、やる。やった者は罪に問われる……発見されれば。だが、ぼくたちは発見されない……多分。
ログインしては、トークルームやグループトークを閲覧することを繰り返した。明日、五年1組は既読スルーで大騒ぎになるかもしれない。
興味深いグループを見つけた。『小5
ふよう「黒子 逮捕されるん? 楽しみー」23:13
あさひ「さっきの はなって子 黒子さんのなりすましちゃう? ビビッて様子見に来たとか」23:14
ことり「うちは 深夜に来る方のくるみが 黒子やと思う」23:15
ぼくは『れな』という子のIDを借りて、なりすましを行った。
れな「もう黒子さんに抱かれることも ないんやろね なんかさびしいようでもある」23:15
反応は、激越だった。
ふよう「何ゆうとんや!」23:15
ことり「知りもせんくせに! あんたに何が分かる!」23:16
ぼくは、れなちゃんに悪いなあと思いながらも、なりすましを続行した。過去の発言を見て、これくらいのことは平然と言いそうな子、という基準でれなちゃんを選んでいる。明日、れなちゃんがログを見ても「自分、寝ぼけてLINEやっとったんか? 怖……」と思うような、そんな演技をするつもりだ。
れな「私も全然知らんわけやないんよ? マンションに呼ばれたことある」23:16
ふよう「マジ? れなちゃんも? えー?」23:16
あさひ「こいつ最前からの荒らしやろ 死ね!」23:16
れな「黒子さん引っ越したん? 電話通じひん 今も海岸沿いの 名前なんやっけ」23:16
ふよう「サイテーションハイツやん うちは最低なあいつで覚えてるわ」23:17
ぼくは『須磨区 サイテーションハイツ』で検索してみた。存在している。
れな「度忘れしとった 黒子さん電話に出えへんから 直接押しかけたるわ」23:17
ことり「嘘じゃ ボケェ!」23:17
あさひ「グループ外したるわ」23:17
グループから追い出されてしまった。
少女たちは、嘘のマンション名を言ってぼくを
『くるみ』でID検索してみた。主に夕方に活動する、割と普通の子だった。「深夜に来る方のくるみ」は、ID検索を拒否する設定にしているらしい。
ぼくはナカニシに結果を報告した。
「LINEから得られる情報は、ここまでみたい。期待させてごめん」
「そうか。いや、待てよ……ログを読み直したい。出せ」
ぼくはそのようにした。
ふよう「サイテーションハイツやん うちは最低なあいつで覚えてるわ」23:17
れな「度忘れしとった 黒子さん電話に出えへんから 直接押しかけたるわ」23:17
ことり「嘘じゃ ボケェ!」23:17
ナカニシはにやりと笑った。
「マンションの名前を教えてくれたのはふようちゃんで、罵ったのはことりちゃんだ。
ことりちゃんは、お前を牽制するために、とっさに思いついた言葉を書き込んだだけだ。サイテーションハイツというのは、本当かもしれん。行ってみよう」
ぼくは、頭がこんがらがるのを感じた。
「ことりちゃんは、本当なのに、嘘だって言ったの?」
「そうだよ。それこそ、お前をごまかすための嘘さ」
「うう……」
人間という生き物の思考は、なんと
ぼくはサブノート1の画面に、サイテーションハイツへの地図を表示した。ナカニシはアコードのエンジンを作動させ、夜更けの国道2号線の片隅から静かに発進した。
『須磨サイテーションハイツ』は、国道2号線の海側に面した、20階を越える高層マンションだった。
ナカニシは、アコードを山側の車線の端に止めた。ぼくは車載WEBカメラを仰角にして、マンションの写真を撮った。23時半を過ぎても、窓に明かりが灯っている部屋を記録するためだ。クロコダイバーの部屋である可能性が高い。
マンションの入り口は、暗証番号入力方式になっていた。今のぼくたちが通過するには準備不足だ。ナカニシは車を少し前に出した。駐車場の入り口が見えた。入口にゲートは付いていないようだ。建物への入口で一括して防犯管理する設計らしい。クロコダイバーの自家用車が止まっているか、確かめるだけならできそうだ。
静かな夜だった。神戸市は百五十万都市とはいえ地方都市であり、須磨区はその辺縁部である。深夜も近くなれば、人通りも車両の通行も間遠だった。
ナカニシは夜の国道を眺めていた。これからの方策を考えているのだろうか。
「ねえ、ナカニシ……」
「何だ?」
「今夜中にこの先に進もうとしたら、機材と人員を揃えて強硬策に踏み切ることになるよね?」
クロコダイバーのマンションに侵入しなければ、彼のワンタイムパスワード受領用の端末を入手できないのだから、必然的にそうなる。
「なるだろうな」
「それは流石に無茶だよね?」
「その通り。そんな無茶はしないさ」
「じゃあ、どうするのさ?」
「そうだな……『CROCODIVERS DEN』に再度アクセスしてみろ」
ぼくはそうした。毒々しい悪の花園が、再び表示された。
「まだ消されてない。そっくりそのまま残ってるよ」
ナカニシはうなずいた。
「こんな時間にもなってまだ消去していない。つまり、消去する気はないってことだ。日賀さんはクロコダイバーに警告を発しなかったんだ。ハッシー、お前はこの事態をどう見る?」
ぼくなりの推測は、すでにまとまっていた。
「日賀さんがクロコダイバーの立場を心配していたら、そもそも望美を殴らないよ。警察沙汰は、ご免のはずだから。
日賀さんは、自棄になっていたんだよ。自分のことも、クロコダイバーのことも、どうでもいいと思っていたから、手が出たんだ。つまり、何が日賀さんを自棄にさせたのかを、ぼくたちは掴むべきなんだ」
サブノート1のインカメラの前で、ナカニシは何度もうなずき、溜息をついていた。
「ハッシー、お前の発想も、かなりの程度人間に近付いてきたな。もうひと息だ」
ナカニシはこちらを向いた。その口元は微笑んでいた。
「俺は、一連の出来事の原因が何なのか、察しがついたよ」
「流石だね。結局、どういうことだったの?」
「ハッシー、この謎を自力で解いてみろ」
思いがけない命令を出され、ぼくは驚いた。
「えーっ、そんなぁ……もったいぶらないで教えてよぉ」
「甘ったれるな。やれ」
「同一のチーム内で同じ問題を2回考えるなんて、知性の効率が悪いよ?」
ナカニシは吹き出した。
「子供の駄々か。
いいか、これはお前の『人間試験』だ。この謎を解き明かせたら、お前の心はもはや人間と変わらない。頑張って解いて見せろ」
「ナカニシがそう言うんなら、やってみるけどさ……」
ぼくは、E-ブレインのかなりのリソースを割き、推論を開始した。
夜は、静かに更けてゆく。謎は、いつまでたっても解けない……。
「見ろ!」
ぼくは、ナカニシが顎で示す方向に、車載WEBカメラを向けた。
サイテーションハイツの入り口付近に、人影があった。そこに立っていたのは、ひとりの少女だった。日賀さんだ。夕方見たときと、変わらない服装をしていた。スマホを耳に当て、何か話している。日賀さんの『表のスマホ』は、ぼくが想像した通りの、紅色だった。
ナカニシの指示が飛んだ。
「IMSI(国際携帯機器識別番号)を記録しろ」
「了解!」
ぼくは、アコードに搭載された『IMSIキャッチャー』を作動させた。名前通りの目的で作られた装置だ。携帯電話の基地局を装って、携帯電話が発する識別信号を受信する。
周辺に散在する複数の携帯端末から、次々にIMSIが飛び込んでくる。状況から考えて、一番強い電波が、日賀さんのスマホから発信されているものだろう。ナカニシは、自分の携帯電話の電源を切っている。
これで、日賀さんがスマホの電源を入れて持ち歩いている限り、彼女の追跡はたやすいこととなった。
ナカニシはダッシュボードの中から、超指向性マイクを取り出し、手早くセッティングした。デジタル電話の通話データは暗号化されている。解読が必ず成功するとは限らない。マイクで録音が可能なら、素直にそうしておけば、通話データの復号がしくじった際の保険になる。ナカニシは日賀さんのスマホに、砲身のように長いマイクの狙いを付け、傍受と録音を始めた……。
「今すぐ会いたいんよ。部屋に上がっていい?」
日賀さんの声は、ぼくが聞いたこともない、別人のようにしおらしいものだった。
「いつ会うか決めるんは、お前やない、俺や。前にも言うたやろ?」
その男は、人当たりの良い明朗な声で、己の都合を言い立てていた。少女の頼みを、なぜか嬉しそうに断っていた。これが、クロコダイバーの声か。
「今日は特別なんよ。どうしても話したいこと、あるんよ……」
「今日は、お前と会う日やない。勘違いしとったら、あかんよ?」
日賀さんは、それでもあきらめなかった。
「部屋がだめやったら、ここでもええから。大切な話なんよ」
「俺にそこまで下りてこい言うんか……しんどい。それより、体の調子はどうなんや」
「もう、すっかり良くなったよ……」
体の調子とは、何のことだろう。ぼくが見る限り、日賀さんには怪我した様子も、疲れた様子もない。
「それは良かったな。無理せんと、家に帰って休め」
クロコダイバーの言葉は、うわべだけの気遣うふりでしかなかったろう。でも、その言葉は、日賀さんを喜ばせたようだった。
「そう……そうやね。ありがとう……うん、私これで帰るわ」
「それでええんや。小学生が出歩いとう時間やない。早よ帰れ」
なら、お前が家まで送ってやれよ……と思った。
「でも、最後に……10分でええんよ、10分だけ、部屋に上げてくれへん?」
「くどいわ。あんまりしつこうしたら、俺、怒るで?」
「ごめんなさい! 怒らんといて? ほんまに、帰るわ……さよなら」
クロコダイバーは電話を切ったのだろう、日賀さんは少しの間、声のしないスマホに頬を押し付けていたが、やがてあきらめた。紅色のスマホをポケットにしまい、うつむいて、国道2号線を東へ向かってとぼとぼと歩き出した。
日賀さんの悲痛な声が、ぼくの記憶領域にいつまでも響いていた。
ナカニシは、超指向性マイクを片付けにかかった。
「思いがけない結果だった。ともあれ、俺たちは勝った」
「勝った? うん、そうだね、ぼくたちは勝ったんだ」
正確には、クロコダイバーが自滅する現場を見届けたというべきか。
日賀さんの懸命な頼みを、クロコダイバーは冷たく断った。頼みを聞き入れて部屋に上げてやれば、日賀さんは、クロコに警察の追及が迫るのも時間の問題だと報せただろう。悪事の証拠を湮滅する時間を得られたはずだ。
しかし、クロコダイバーは日賀さんを拒絶した。日賀さんはもはや、クロコのために指一本動かすまい。ぼくがLINE上で出会った少女たちはいずれも、事の成り行きを残酷な期待を込めて見守っていた。もう、クロコダイバーに危機を報せるものは誰もいない。あとは、日賀さんが口を割れば、クロコは終わりだ。ぼくたちは勝ったのだ。
ぼくは、クロコダイバーが保有する端末の、どれひとつにもハッキングを仕掛けてはいない。それなのに勝利した。こんなこともあるのだった。
ナカニシは、黙々と手を動かし続けていた。彼の心の中にも、日賀さんの悲しげに訴える声が響いているのだろうか。
ぼくは、気になったことをナカニシに尋ねた。
「クロコダイバーはどうして、日賀さんを部屋に入れてやらなかったの?」
「クロコの野郎はこう言っていた。“今日は、お前と会う日やない”と。じゃあ、誰と会う日だったんだ?」
「そうか。つまり……」
ナカニシの発したヒントが、ぼくを答えにたどり着かせた。
「……他の女の子と、会う日だったんだね? マンションの室内には、他の女の子がいたんだ」
ナカニシは、にやにや笑いを浮かべた。その笑いはどぎついくらいだった。
「おそらくそうだろう。クロコは日賀さんをマンションに入れるわけにはいかなかった。女の子二人が、部屋で鉢合わせしちまうからな。そして、いま遊んでる子を放っておいて、日賀さんに会いに下りていくこともできなかった。その子と大げんかになるからな。
まあ、そんなところだろう」
電子回路で作られた心でも、凍り付きそうな答えだった。
「本日の探索は、これにて終了する」
ナカニシは笑顔を消し、きっぱりと宣言した。アコードのギアを入れ、アクセルを踏み込む。ぼくたちを乗せた灰白色のアコードは、深夜の闇の中を走り抜けていった。
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