4.(ぼく) ナカニシの慰め / FACEBOOK画像検索 / ナカニシの怒り
ぼくは望美に告げた。
「ついに見つけたよ。彼が、クロコダイバーだ」
望美は、ぼくの手際の良さに感心したようだ。
「すごいよハッシー! 悪い人のうわさを聞いただけで見つけ出せるなんて! それも、部屋の中から一歩も動かないで!」
望美は嘆声をあげ、ぼくは大いに気をよくした。実際には、この成果に辿り着くまでに、ぼくが
「インターネットって、すごいね……ところで……あのね、クロコダイバーって結局、何をする人なの?」
ぼくは、答えに詰まった。
望美は小学五年生だ。男女のことは、望美にとって未だ、漠然とした概念でしかないらしい。クロコダイバーの悪事は、大人ならば説明されずとも察しが付くものだが、望美には実感することができない。
「おそらくは、女の子たちに意地悪して喜んでる、悪い大人だよ」
「ふうん……」
望美の声音は、不審げだった。適当にごまかされている、と思ってるのかも。
ぼくは、ナカニシに探索の成果を告げた。この人物を、クロコダイバーと見て先へ進みたい、と
ナカニシも、ぼくの見立てに同意した。
「その男、栄養は足りてる。まともな食生活をしてそうだ。ダイバーズウォッチも、いい物を付けてる。人に命令し慣れてる人間の顔だ。まるっきりのヤクザじゃなく、社会人としての表の顔を持っていそうだ。FACEBOOKの画像を検索してみろ」
「了解」
「望美とつないでくれ」
ぼくは望美に呼びかけた。
「ナカニシが話したがってる。つなぐよ」
「ナカニシもいるの?」
「ハッシーのいるところ、常にナカニシの影あり、だよ。つながったよ」
望美は、パソコン付属のスティック型マイクにかじりついたらしい。バリバリと衝突音がした。
「ナカニシ!」
その声はほとんど悲鳴だった。
「今、イカ墨スパゲッティーを食ってる。なかなかいけるもんだ」
「一緒にいてくれたんだ……」
「望美をひとりぼっちにはしないさ。俺は、望美を危険の中に、放ったらかしになんかしない。今は、探索の最前線にいるから一緒には居られないが、この通り、望美を見守ってるから安心しろ」
「うん! ありがとう、ナカニシ……」
「子供には夜更かしは禁物だ。お眠むになったら、素直に寝ろよ」
「わたし、そこまで子供じゃないよ!」
「今思い出したが……望美がまだ幼稚園の頃、初詣での夜のことだ。お前は『今日と明日のつなぎ目を越えたのは初めて』と言って感動してたよな」
「そんなこと、あったかなあ……」
「あったさ。お前は道中、起きていられなくなって、お父さんや清治おじさんにおぶわれて、眠ったまま初詣でしたのさ」
ナカニシの声は、子守唄を歌うように穏やかなものになった。
「そうなんだ……」
「俺もお前をおぶったよ、帰りの坂道を登るときな……あの日のように、ゆっくりお休み」
「うん……でも、もうちょっとだけ、がんばってみる……」
「じゃあ、これでな。
ぼくは、ナカニシの声音の微妙な変化から、彼の意図を察した。ナカニシ-望美間の接続を切る。
現在のナカニシは、須磨の海岸沿いにあるイタリア料理店の中にいる。ドライブイン形式の、半ばファミレスのような店構えだ。国道沿いという立地条件を生かしたものだろう。ナカニシは使い捨てのモバイル端末をサブノート2にWi-Fi接続して、ぼくと通話している。サブノート1と2は、イーサネットケーブルで接続されているので、車外に持ち出せない。
ナカニシは、イカ墨スパゲッティーとムール貝のリゾットで食事中だった。ナカニシが胸に付けたボタン型WEBカメラで視認できる。
「望美が寝るまでは、危険度の高い探索は後回しにしろ。望美の見てる前で『ダークウェブ』に入って検索を始めたりするなよ?」
「もちろんだよ。ぼくだってもう、それくらいの配慮をすることはできるよ」
ダークウェブについては、のちほど説明する。
「今日は月曜の夜だ。クロコダイバーの表稼業が客商売なら、ここで遅めの夕食をとる可能性もあるかと思ったが……今のところ、空振りのようだ」
「ぼくたちの仕事に、空振りは付き物だよね」
「食事がすんだら、国道沿いを流しながら、海沿いのマンションが見える度に『
Wは
「……それにしても、現状では目標の絞り込みが足りない。さらに一歩、踏み込んでくれ」
「了解。ところで、FACEBOOKの画像を検索しても、出てこないよ」
「今ある画像に、眼鏡をかけさせてみろ。髪型は、ポマードでべったり寝かせてみろ。首から下にワイシャツを着せろ。真面目人間風のポートレートを何パターンか作って、それで……」
「出た! さーすが」
ナカニシの指示は、的確だった。しかし彼は、浮かれることはなかった。
「調子に乗るな。今のところ、かなり似てる人物ってだけだ」
「はいはい……名前は、
「まあ、よかろう」
「眼鏡は、度が付いてない。伊達眼鏡だ」
「表の生活のほうで、仮面をかぶってる男だったか」
「表のメールアドレス、表のTwitterアカウントは分かった。自宅付近とみられる画像のEXIF情報は……EXIFを消してる。そもそも、住宅地が背景の画像が一枚もないよ。自撮りもしてない。用心深い奴だね」
「だが店から尾けられたら
「ぼくが華麗なるハッキングで全て突き止めるから、ナカニシはゆっくり食事しててよ」
「アホ! それよりクロコの自宅イコール海岸沿いのマンションとは限らないぞ」
ナカニシは笑い声を残して通話を切った。
普段用いるIT機器と、悪事に使うIT機器を隔離するのは、ハイテクに適応した悪人にとっては基本だ。ぼくは、あかりちゃんの言葉を思い出した。すまのかいがんぞいに マンション じゅうしょは よばれたこだけがしってる……。
『海岸沿いのマンション』を押さえなければ、クロコダイバーの悪事の首根っこを押さえたとは言えないのだ。
ナカニシは彼のアコードを駆り、国道2号線を東進している。
ぼくは、クロコダイバーの表の人格である曲原喜十朗氏の、FACEBOOKとTwitterを調べたが、何も出てこない。二重生活しているサイバー犯罪者は、ごくまれに、表用SNSと裏用SNSの使い間違いをしでかすことがある。わずかな可能性でもなおざりにせず調査したが、結果は空振りだった。
曲原氏の友人の、FACEBOOKとTwitterを調べる。『曲原さんのマンションでパーリィー』みたいな写真が目当てだ。出てきた。ただしマンションではなく『曲原邸』だった。写真の背景には、きれいに刈り整えられた黒松と南天と、
ナカニシの失笑が聞こえてきた。
「なんと、高倉台か」
かつて、須磨区の高級住宅地であったところだという。曲原氏がここで大麻を栽培したり、小学生の女の子を連れ込んだりなど、まずやらないだろう。
今回の探索には、時間制限がある。日賀さんとクロコダイバーが密に連絡を取っていたら、彼は証拠湮滅に走るかもしれない。仮にそうなったとして、ぼくたちに何の損失があるわけでもない。ただ、望美が殴られる遠因を作った男が、今後も野放しで悪事を行い続けるだけのことだ。クロコダイバーが何の罰も受けることなく、少女たちの人生をねじ曲げ続けるだけのことだ……。
「俺の部下を一人、曲原邸に派遣した。クロコが家に帰ってるか見させる」
「彼らはサイバー軍の兵士でしょ? ナカニシの私兵じゃないでしょ?」
「人間の世界はな、持ちつ持たれつなんだよ。私事で頼れん奴は、公事でも頼れん奴だ。
人生全てが訓練なんだ。俺が部下にやらせることは、すべて部下の明日の血肉となる。人間という生き物はな、こうやって先輩から後輩へと、暗黙知を伝授してきたんだ」
「そんなものですかねえ……」
「なあハッシーよ?」
ナカニシの口調が改まった。
「望美の心は、今、危機に瀕しているんだよ」
ぼくは、ナカニシの言葉を聞き続けるしかなかった。
「望美は今日まで、正義とか真面目さとか優しさとか、そういった価値観を信じて生きてきたんだ。お前や俺が思ってるより、はるかに強く信じてな。
考えてもみろ。あの年齢で、引きこもりのおじさんの世話を続けている子が、この世に何人いる? それも、笑顔で続けている子が? 信念がなければできないことだ。
それが、その心が、糞餓鬼の鉄拳一発で、ひびが入っちまった! 望美は今、正義、真面目さ、優しさは、弱い力なんじゃないかと疑い始めているんだ」
ナカニシの声は、ぼくが今まで聞いたことのない振動を発していた。
「望美が何で、眠い目をこすりながら起きているか、分かるか? 信念を取り戻したいからだ! 悪と戦って、勝って、信念を取り戻したいからだよ!
日賀さん? どうでもいい。死んでも構わん。だが、嘘をついて金を集め、望美を殴った落とし前はつけさせる。クロコダイバーが俺たちの予想通りの人物なら、両手首に冷たい手錠をはめてもらう。牢屋に入ってもらう。俺たちは、望美の心に信念を取り戻させるために、やるんだよ、ハッシー!」
ナカニシの声が発している深い振動、それは、憎悪だった。ぼくに心臓があれば、鷲掴みにされたように感じただろう。
「俺とお前は、日本を手に入れるためにやってきた。でもな、俺たちが日本を手に入れて、意気揚々と帰ってきたら、望美は飛び降り自殺していた、では何にもならんのだ。
ハッシー、お前は、日本と望美と、どっちが大事だ?」
ぼくは、わずかな時間、考えた。考えるまでもなく、答えは決まっていた。だが、ぼくは、自分を見つめる時間が欲しかったのだ。
ぼくはロボットだが、心の中を、澄みきった風が吹き抜けていくように感じた。
「もちろん、望美に決まってるでしょ?」
ナカニシは沈黙していた。
人間がこのように沈黙するとき、そこには深い意味がある。単に『無言である』という以上の意味が。そのことをぼくは、人間たちとの付き合いから、学び始めているところだった。
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