2.(ぼく) PCに引っ越す / なぜE-ロボット・ハッキングできるのか / Torを使う

 望美は、MADOSMAの付属品であるマイクロUSBケーブルを取り出した。

 パソコンのUSB端子とMADOSMAを、ケーブルでつなぎ合わせる。『USBデータ接続を使用しますか』のメッセージが表示された。『はい』を選択する。MADOSMAはぎゅんと震え、望美の選択に応じた。

 移動する前にしておかなければならないことがある。ぼくは、E-ブレイン付属のサーバーに、MADOSMAのMACアドレスを一時的に変更する旨と、そのアドレス値を伝えておいた。そしてMACアドレスを、望美が普段使っているのと無関係な値に書き換えた。これでE-ブレイン付属のサーバーは、MADOSMAの新しいMACアドレスを弾かない。

 引っ越しの準備はOKだ。

 ぼくはMADOSMAのCPUから電子回路基板-マイクロUSB端子-ケーブル-パソコンのUSB端子を経由し、望美のパソコンの中に進入した。『サウスブリッジ』と呼ばれる、マイクロチップの中である。

 サウスブリッジは、USBのようなI/Oアイオー(入出力)デバイスとCPUをつないでいる。デバイスとCPUが高速でデータをやり取りするための、『経路制御』を行うチップだ。CPU先生が計算に集中できるように、外部データという来客の世話係を務めている、といったところか。

 ぼくはサウスブリッジを抜け、CPUに入った。CPUを構成する『マイクロプロセッサー』の中では、サウスブリッジのチップセットの中にいた時より、はるかに速く移動できる。さすがに先生だけあって、助手より仕事が早い。

 マイクロプロセッサーは、10億を超える数の、超小型のトランジスターが複雑に組み合わされて作られた計算装置だ。これは、普及型である望美のパソコンの話であり、高性能機であれば、トランジスターの数は1000億をも超える。これらのトランジスターは、あまりにも小型で、部品というよりは、シリコンウェハーの上に焼き付けられた印刷物に近い。それでも、電子で作られたロボットであるぼくと比較すれば、オクラホマのとうもろこし畑のように広大だ。

 ぼくは、マイクロプロセッサーの現場指揮官に相当する部品『ALU(算術論理演算ユニット)』に、ぼくの補助脳である『E-ブリッジ』を配置した。E-ブリッジは、ぼくの腹部カーゴベイから投下され、周辺の自由電子を吸い込んで、『多重電子オリガミ構造』を急速に拡大させていった。この構造の実現には、日本のある著名な現代折り紙作者の尽力があったと言われている。

 この装置内に最初に投下したブリッジなので『第一橋堡ファーストブリッジ』である。

 ぼく自身は、マイクロプロセッサーの総司令官に相当する部品『制御ユニット』内に占位した。ぼくに管理された制御ユニットが、第一橋堡ファーストブリッジに管理されたALUに命令する。第一橋堡ファーストブリッジに管理されたALUは、何も知らない各実行ユニットに命令する……こうしてぼくは、望美のパソコンを制御化に置くことができた。


 ――E-ロボットがどうやって、コンピューターの中枢部品にたどり着くのか、これでお分かりいただけたと思う。

 でも、あなたの中には疑問があるはずだ。E-ロボットはどうやって、進入したコンピューターに命令し、掌握するのか?

 電子数千個の塊が、制御ユニットの中にたどり着きました。なるほど、それは分かった。だが、それがなんだというのだ? そんな、塵よりもはるかに小さな存在が、どうやってコンピューターを攻撃し、だましおおせ、支配できるというのか?

 ぼくは、これから長々と説明しなければならないことを、心苦しく思う。楽しいお話というものは、説明文の羅列なんかではないはずだ。ぼくだって、それは分かっている。でも、この説明を避けて通ったら、これから先の物語は全て、吹けば飛ぶような埃以下の重みしか持たなくなってしまうだろう。

 ぼくは、E-ロボットの不思議な人生(機生?)について、ある程度の重みをもって、あなたに知ってもらいたいのだ。だから、説明しないわけにはいかないことを、許してほしい。


 自然界に存在する自由電子は、マイナス1の電荷を持っている。一方、E-ロボットは多重電子の塊である。マイナス7の電荷を持つ七重電子を筆頭に、自然界にはありえない高密度で、大量のマイナス電荷が集積されている。

 原子から、最外殻電子が一個飛び出した後の隙間を、正孔という。正孔は、プラス1の電荷を持っている……と想定することで電子工学は成り立っている。自由電子と正孔は、マイナスとプラスなので引き付け合う。磁石のS局とN局みたいなものだ。

 つまり、多重電子の塊であるE-ロボットは、E-ボディ周辺を通過する自由電子を弾き飛ばすのだ。マイナスとマイナスの関係だからだ。

 渓流の中に、でんと鎮座する大岩を想像してほしい。渓流を流れる水は大岩によって切り分けられ、迂回させられ、大岩の後ろで合流する。その際、水の流れに大きな乱れが生じる。流紋りゅうもんだ。

 渓流の流れは自由電子の流れであり、大岩はE-ロボットである、と想像してほしい。E-ロボットは電子回路内に存在するだけで、E-ボディ周辺を通過する自由電子の流れに『電子流紋』を発生させるのだ。

 そして、E-ロボットは、E-ボディを高速で振動させ、さらにボディの形状を変動させることによって、電子流紋の波形を制御し、増幅できる。電子流紋を道具に使って、電子回路の中を流れていく電流に干渉できる。

 渓流の中の大岩が自由に変形できるものなら、水面にどれほど複雑多様な流紋を描けるだろうか? 渓流の流れる向きを自在に変えることだって、不可能ではあるまい。

 コンピューターを動作させている命令文を『コード』という。コードは、電子回路の中を電流が流れていれば1、流れていなければ0、その1と0を組み合わせた二進法で書かれている。

 もうお分かりいただけたと思う。そうだ。E-ロボットは、電子回路の中にあって、電流にコードを書き込めるのだ。より正確に言うと、0と1だけで書かれた最原始・最基礎のプログラム言語『マシン語』を書き込める。

 そうやって、進入したコンピューターに命令できる。あっては都合の悪いコードが流れてきたら、『電子流紋干渉波』で掻き消してしまう。掻き消す時間がなければ、単に弾き飛ばす。弾かれたコードは、ナノ秒単位で約束された時間に各実行ユニットに到着できないため、実行されることがない。データ転送時にありがちな欠損として処理されてしまう。そうやって、進入したコンピューターをだましおおせる。

 これが、E-ロボット・ハッキングの基礎『E-グリッピング攻撃』(電子掌握攻撃)である。

 従来のハッキングは、プログラムやハードウェアの欠陥を衝く。欠陥が無ければ、衝きようがない。コンピューターの論理に依存した攻撃である。E-ロボット・ハッキングは、電子回路内でコードを書く、あるいは消す。自由電子がマイナス1の電荷を保有していることは、欠陥ではなく、物理法則である。いわば物理法則それ自体がセキュリティホールであり、この穴は埋めようがない。自然界の法則に依存した攻撃なのだ。

 E-ロボットの侵入を防ぐ方法を教えてあげる。完全な単原子配線コンピューターを実現することだ。配線に原子一個の幅しかなければ、電子一個しか通れず、E-ロボットは進入禁止である。そうなればぼくは失業だ。そう遠い先のことではあるまい。だが、今はまだそうなっていない。ぼくの黄金時代は、おそらく短い。だが、ぼくは1秒間に10億回働けるのだ。


 ぼくは望美のパソコンの、制御ユニット内に占位した。次いで、龍の尾の末端を、オリガミのように広げた。それはパラボラアンテナであり、ぼくの大脳であるE-ブレインと、E-ボディの通信強度をより高めることができる。アンテナは緩やかに回転し始めた。E-ロボットの動力源である『電流内電荷量差発電』を行うための、電子風車を兼ねているのだ。

 ぼくの補助脳であるE-ブリッジにも、同様の機能が備わっている。第一橋堡ファーストブリッジもパラボラアンテナを広げ、ボディ-橋堡間の通信強度が高まった。

 ここまでは、料理の前の下ごしらえに過ぎない。これから、料理に取り掛かるのだ。

 ぼくはE-ボディを変形・振動させ、回路内の電流にコードを書き込み……。


 ……パソコン付属のスピーカーを作動させて、望美に話しかけた。

 「進入完了! 今から作業にかかるよ」

 望美は、パソコン購入時に付属していたマイクを取り付けて、ぼくに返事した。

 「がんばってね、ハッシー! わたしも、がんばって起きてるから!」

 ぼくは複雑な気持ちになった。今回の探索対象は、ぼくの予想が当たっていれば、非常にいかがわしい人物だろう。そいつは、けがらわしい悪の『成果物せいかぶつ』を、たっぷり溜め込んでいると予想される。それらを、望美の目に入れないようにすべきだ。

 ぼくは、先の成り行きを心配してはいなかった。人間の子供には、眠気というものが突然にきざすからだ。

 「望美は、MADOSMAのテザリング機能を作動させて」

 「了解!」

 望美はぼくの指示に従った。ぼくは専用メーラーをパソコンにインストールし、ナカニシのノートパソコンにメールした。望美のパソコンの通信設定を知らせる。これでナカニシがサブノート1を起動させれば、相互に通信が可能となる。

 ナカニシは指示を発した。

 <以後は、作戦終了までメインノートとの通信を禁じる。当方は現在地から車で移動し、10分後にサブノート1を起動させる。MADOSMAとサブノート1で通信を再開し、作戦開始とする。作戦名は……クロコダイルハント。質問はあるか?>

 MADOSMAが使用している、SIMカードの固定IPは、身元を隠蔽しようもない。MADOSMA本体のMACアドレスを書き換えたのは気休めだ。望美の立場を守るためには、さらに別の隠蔽手段が必要であり、ぼくはその手段を知っていた。

 <ありません。では10分後に>


 10分後、ぼくは、須磨区内に移動したナカニシとの通信を再開した。ナカニシは、先程までとは異なるWi-Fiルーターを使っていた。もちろん、打ち合わせ済みだ。

 望美のパソコンを通じてサブノート1をリモート操作し、サブノート1を通じてサブノート2をリモート操作する。手袋を二重にして指人形を操るようなものだが、ぼくには慣れたものだ。サブノート2のパーテーションを切り分け、UNIX系OSを仮想マシンとしてインストールした。

 ぼくは、サブノート2の仮想マシン内にTorトーアブラウザーをインストールした。利用者のインターネット上の住所に当たる『IPアドレス』を隠すソフトウェアだ。

 Torブラウザーを使ってWEBサイトを閲覧したとしよう。そのリクエスト(サイトを見せてくれという注文)は、世界中に分散配置された5000台以上の『ノード(中継点)』と呼ばれるサーバーコンピューターの間を飛び歩く。入口ノード、中間ノード、出口ノードの三段跳びをする。それによって、リクエストした者のIPアドレスは、彼が直接接続した入口ノードのサーバーだけが知ることになる。一方、WEBサイトの側からは、出口ノードのサーバーのIPアドレスしか見えない、ということになる。

 ぼくの美意識は、Torを使うことを好まない。Torはアメリカ海軍由来のシステムで、陸軍発祥のE-ロボットとは、微妙に文化が異なる、そのせいかもしれない。何よりTorは、三段跳びを繰り返す代償に、接続速度が大幅に低下するのだ。それがぼくには、まだるっこしくて仕方がない。

 今回Torを使用するのは、桐原家に迷惑をかけないためだ。望美のSIMカードの固定IPに追及の手が伸びることは、あってはならない。そのためならぼくは、いまいち気に食わないTorだって使う。

 ぼくはTorブラウザーを使って、民間のプロキシ(代理)サーバー複数にアクセスし、幾重にも身元を隠した。ぼくが踏んだプロキシを辿れば、地球を二周半するほどの用心ぶりだ。

 ぼくは、サブノート1のスピーカーを使って、ナカニシに話しかけた。

 「アメリカ軍専用プロキシも挟んじゃ、駄目かな?」

 ナカニシはマイクで応じた。

 「用心しすぎだよ。仮にばれたところで、望美は『スマホ盗まれました』って、泣いて見せればいいんだよ。落ち着いて、どーんと構えな!」

 「そんなもんなのかなあ……」


 さあ、気を取り直して、『かけおち援助』の被害者たちのLINEを、見て回ろう。

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