15.(ぼく) 桐原家に帰宅 / 健気な回復 / 借りを作る

 美優ママは、美優ちゃんが自分の車に乗ろうとしなかったので、むくれてしまった。気持ちにむらのある人だ。

 「ナカニシさんとお話ししたいんや……5年ぶりかくらいに、日本に帰ってきたんやから。それに……」

 その先を、美優ちゃんは小声で付け加えた。

 「望美ちゃん、めっちゃ弱ってる。傍にいてあげたいんや」

 美優ママはうなずき、美優ちゃんの頭をくしゃくしゃと撫でた。ちょっと癖があるけど、良い人だった。

 「それでは、お先に!」

 美優ママを乗せた軽自動車は、夜の住宅地を、ちょっと心配になるような速度で走り去っていった。


 一方、ナカニシの運転はきびきびしたものだった。ハンドルさばきが早い。アクセルもブレーキも、必要なだけしか踏まない。無駄のない操作で、時間を節約している。

 古ぼけたアコードのヘッドライトの光が、住宅街のせせこましい路地を、右に左に薙いでゆく。体感速度は速いが、実際のスピードはむしろ控えめなので、運転に危な気がない。

 お手本にすべき運転だった。ぼくもいつの日か、自動運転車をハッキングして、このような走りを試してみたいものだ。

 望美は、お母さんの肩に頭をもたれかからせて、眠り込んでしまった。

 「ナカニシさんは、アメリカのどの辺りにいたんですか?」

 「主に東海岸だよ。北はマサチューセッツ州から、南はヴァージニア州までの間を、行ったり来たりしていた。おおまかに言うと、南北戦争の、北部にあたる地域だよ」

 「帰ったら、地図見てみます。西海岸には?」

 「行ったよ。西海岸にも、有力な工科大学はいくつもある。何よりシリコンバレーがあった。仕事で訪れる度に、合わせて少し休みを取った。カリフォルニア観光を楽しんだりした。観光地は早々に飽きて、後は海で遊んだ……」

 「いいなあ……」

 美優ちゃんの表情に、あこがれが宿った。

 「私もそんな風に、アメリカを旅してみたいです」

 「できるよ。今時、そんなに難しいことじゃない。やりかたが分からなければ、教えてあげる。

 それより、俺のことはナカニシ、でいいよ」

 「それは……ちょっとハードル高いです。そうや! 私も、新ちゃん……新さんって呼んでいいですか?」

 ナカニシは運転中だから、車の外を向いている。なのでぼくは、彼の表情の変化を見ることができなかった。

 「美幸さん、どうですか?」

 「もちろんいいわ」

 お母さんはさらりと答えた。ナカニシにとって、中西真一であった頃の思い出は、特別なものだ。美優ちゃんはそれに、少しだけ触れることを許されたのかもしれない。

 ナカニシは、美優ちゃんの家の前でアコードを止めた。

 「ありがとう。気をつけて」

 美優ちゃんは一丁前のことを言うと、美優ママに迎えられて家に帰っていった。


 「ナカニシさんは、どんなロボットを作ってるの?」

 あかりちゃんの質問に、ナカニシはそろそろと答えた。

 「以前は、マジックハンドにキャタピラが付いたようなやつとか、箱から足が4本生えたようなやつとかを作ってた。今は、別のことをしている」

 「今は、どんなロボット作ってるの?」

 あかりちゃんは、食らいついたら放さなかった。

 「それが……作ってないんだよ」

 「どうして?」

 「ロボット工学の仕事を、止めてしまったからさ」

 「えーっ! どうしてー?」

 「あかりちゃん、そのくらいにして?」

 お母さんになだめられたあかりちゃんは、ぷいっと横を向いてしまった。ふくれっ面をしていた。ナカニシの言葉を、信じていないようだ。ぼくは、ナカニシのことが気の毒になってきた。


 あかりちゃんを家まで送った後、望美の家に着いた。

 望美の父、桐原平太郎氏は、清治おじさんとその友人たちを嫌っていた。ナカニシも、それに含まれる。しかし、己れが仕事で不在中に、愛する家族の身に生じた災難を、ナカニシがさばき切り、解決に向かわせたのである。お礼も言わずに帰すことなど、考えられなかった。ナカニシは桐原家に招き入れられ、平太郎氏は丁重に感謝の言葉を述べ、ナカニシも礼儀正しくそれを受けた。

 このことが、平太郎氏と清治おじさんの関係を雪解けに向かわせる、最初の一歩になればいいのだが。

 ナカニシは、ぼくの装備が入った袋をお母さんに預けた。

 「望美の頭がはっきりしたら、渡してください」

 ナカニシは灰白色のアコードに乗り込み、夜の中へ消えていった。


 ぼくは、望美の部屋の中で、モバイルスタンドにもたれかかって、望美を待っていた。

 望美のお風呂は、ずいぶん長かった。心の痛みを、洗い流しているのだろうか。

 階段を上る足音がして、ドアが勢いよく開けられ、望美が戻ってきた。あの、くまの縫いぐるみのようなピンクのパジャマに着替えていた。手には、ぼくの装備袋を提げている。

 「久しぶりに、お母さんと一緒に、お風呂に入ったよ!」

 望美は、ひまわりのような笑顔を取り戻していた。身も心も、ほかほかしているようだ。保健室で、頬に貼ってもらった湿布を、もうはがしている。頬の腫れは、早くも引き始めていた。

 そうだ……ぼくは静かな感動を覚えた。望美はいつまでも、へこたれてなんかいないんだ。

 望美は学習机の椅子に腰掛け、モバイルスタンドからMADOSMAを取り上げた。龍のタイルをタップしてぼく(のCG映像)を呼び出し、頬ずりし、なんということだろう、ぼくにそっと、キスした!

 「ありがとう、ハッシー。ハッシーが助けてくれたから、わたし、今もこうして元気でいられる。ハッシーのおかげだよ。本当にありがとう、わたし……」

 あまりのことに、ぼくは言葉を失っていた。

 「……これ以上何か言ったら、また泣き出しそう。だから、これでやめるね。でも、わたし……ハッシーのこと、大好き」

 望美の目は涙をこらえ、きらきらと輝いていた。この世にこれ以上美しい宝石はなく、それをぼくは独り占めしていた。だけど……。

 ぼくに、望美のキスを受ける資格なんかない。ぼくの軽率な指示が、望美を危険にさらした。ぼくは、望美に「大好き」なんて言われる資格はない。でも、今更「ぼくのせいなんだ」と白状することなんて、できるだろうか?

 ぼくは、望美に、途方もない借りを作ってしまったのだ。

 望美は、ぼくをモバイルスタンドに置いて椅子から立ち上がり、布団を敷き始めた。

 「お話の続きは、お布団の中でしようね」

 「待って! その前に、やらなければならないことがある」

 「驚いた! 何?」

 「机の横に、タワー型のパソコンがあるよね?」

 「うん。お父さんの、お下がりだよ。そろそろ練習しろって……」

 「それ、インターネットに接続できる?」

 「光なんとかっていうので、できるよ」

 上等だ……。ぼくは望美に指示を発した。

 「ぼくを、そのパソコンに接続してほしいんだ」




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