14.(ぼく) 正体を偽る理由 / 美優ちゃんとあかりちゃんに自己紹介

 今日の午前中、ナカニシとぼくの間で、ある約束が交わされていた。白状しよう、口裏合わせである。

 『ナカニシは、アメリカ帰りのペンテスターである。ハッシーは、ナカニシが米国ソーラリン社から委嘱いしょくされて、日本で実証実験中の人工知能である。この嘘をつき通す』という約束だ。

 ナカニシは、アーリントンの『フォート・ナラティブ』本部に、ペーパー企業『ソーラリン・エレクトロニクス』のリアリティーをもっと上げる工作をするよう要請した。その際、ナカニシはぼくにこう教えた。

 <お前の性能を見た者の中から、ソーラリン社に投資したいと、ボストンまで訪ねてくるやつが現れるかもしれない>

 <そんなことって、あるだろうか?>

 <あるさ。お前の性能は、それほどのものだ。とにかく、嘘を補強する必要がある>

 ナカニシとぼくは、ある極秘任務を帯びて来日している。しかしそれは、一撃離脱の『破壊工作』ではない。今は詳しくは言えないが、一種の『浸透工作』なのだ。

 作戦を遂行中、誰にも会わないわけにはいかない。会って信用を得なければ、この地に根付くことは難しい。正体を隠しつつ他者と交際するためには、偽りの自画像が必要なのだ。


 その準備はもう、すっかり整っている。

 しかし今日という日に、他の誰でもない美優ちゃんに、嘘をつかなければならないのか。ぼくの心には、奇妙な戸惑いが生じていた。だが、情にほだされるがまま、本当のことをぺらぺら喋ってしまっては、ハッカー失格だ。

 「まあ、ハッシーちゃんのこと、美優ちゃんも聞いてたの?」

 「望美ちゃんから、少しだけ。まだ会ったことないんです。でも、ハッシーが『望美ちゃんが危ない』って教えてくれたから、私、図書室まで全力疾走したんです」

 お母さんは、ポケットからMADOSMAを取り出した。

 「ハッシーちゃん! どうしてそんな大切なこと、教えてくれなかったの?」

 「ごめんなさい。ぼく、ただ当たり前のことをしただけですから」

 「当たり前でも、私の気持ちが収まらないの! ハッシーちゃん、ありがとう。あなた、本当にいい子ね……」

 お母さんは、MADOSMAに頬ずりせんばかりだった。ぼくは、困惑の極みに達した。その一方で、心が暖かな喜びに満たされるのも、感じていたのだ。

 望美はまだ、お母さんに抱きしめられていたいようだった。気持ちの張りが、一挙に失われていた。お母さんが手を離せば、その場に崩折れてしまうかもしれない。

 「美幸ママ、望美の代わりに、ぼくを紹介してくれませんか?」

 「いいわよ。ええと……」

 「龍のタイルを、突ついてください」

 「こう? ……まあ、きれいね」

 お母さんは、MADOSMAの表示画面を、美優ちゃんのほうに向けた。あかりちゃんは、お母さんの懐から離れて、美優ちゃんの隣に立った。


 「ハッシーって、龍なん……?」

 「きれい……宝石のブローチみたい」

 ぼくのE-ボディの現状を示す3DCG映像は、ふたりの女の子を感動させた。本来はメンテナンス用の確認映像だけど、見た人に気に入られるという、想定外の効果が発生していた。

 「ぼくは、E-ロボット・ハッシュ。親しい人は、ぼくをハッシーと呼ぶよ。ぼくは人工知能で、日本語の勉強中なんだ」

 「もう、十分うまいやん、日本語……。

 わたしは、星野美優。美優ちゃんでええよ?」

 「さっきは、美優ちゃんのおかげで助かったよ」

 「当然のことやん? 今までも、そしてこれからもや。さっきは、お互いにようやったよね?」

 美優ちゃんは、MADOSMAの画面に指を近づけてきた。ぼくは、インカメラの画角と焦点距離から距離を概算した。3DCG映像の顎部を操作し、美優ちゃんの人差し指とぼくの顎を、画面上で触れ合わせた。美優ちゃんは、おお、と嘆声をあげた。

 「私も触りたいー!」

 「相変わらず失礼なやっちゃ。自己紹介が先やろ……いてっ! もう、お母ちゃん……」

 あかりちゃんは、思う存分ぼく(の映像)を撫でまわし、満足したようだ。

 「わたしは上田あかり。あかりんだよ」

 「あかりちゃん、望美から、君とは大の仲良しだって聞いてるよ」

 あかりちゃんは、満面に笑みをあふれさせた。

 「その通りなんよー。言っとくけど、望美ちゃんとの友情は、私のほうが先輩やからね?」

 「心配いらないよ。ぼくは、君から望美を取ったりしないから」

 「ほんま? 良かった……。

 ねえハッシー、きみは、ナカニシさんが作った、ロボットなんでしょ?」

 一瞬、心臓が止まるかと思った……という表現は、ぼくにとって比喩でしかない。E-ロボットは心臓を持っていないからだ。でも、それくらいびっくりしたのは確かだ。コンピューターの全動作を調律する『クロックパルス』が停止するかと思った、と形容すべきか。

 MADOSMAのアウトカメラの画角の端っこで、ナカニシの表情の変化を捉えることができた。ナカニシのような人間でも、目を見開き、口を半開きにすることはあるのだった。人間は心臓を備えているから、おそらく、かなりどきどきさせていることだろう。

 ぼくは、表情に動揺を示すことがない。声質には動揺が実装されているが、キャンセルできる。その点、人間より有利だ。

 「ぼくは人工知能。プログラムの集まりだよ。E-ロボットっていうのは、名前だけだよ」

 「ほんまに、そうやろか……」

 あかりちゃんは、なおもぼくをまじまじと見た。ぼくは、彼女の直観力と、それを信じ続ける姿勢に感心した。

 「君、ほんま往生際悪いね? 推理合戦は引き分け。どちらもはずれでしたー」

 「わたしは半分当たってたよ! 勝手に引き分けにせんといてー」

 「推理合戦って、どんなことしてたの?」

 「のぞみちゃんの胸ポケットのスマホから、どうやって、手も触れずにLINE発信できたの? って推理」

 あかりちゃんは、こともなげに言った。

 「よく気が付いたね……」

 美優ちゃんとあかりちゃんは、ぼくが思っていたよりずっと賢い子たちだった。

 美優ママが割り込んできた。

 「ねえ、あんたたちが話してるその……人って、どなた? 本当に人工知能なん?」

 美優ママの疑いは、もっともなものだった。ナカニシが口添えした。

 「ハッシーは間違いなく、私が仕事で取り扱ってる人工知能ですよ。会う人みんなに驚かれてます、すごい性能だって……」

 ナカニシの言葉に、嘘はなかった。E-ロボットを構成する膨大な装置群のうち、E-ブレインの部分だけは、間違いなく人工知能だからだ。

 「そうなんですか……最近の科学の進歩って、すごいですね……」

 ぼくもそう思う。

 望美は、お母さんの胸に顔を埋めたまま、目を閉じていた。身動きもしない。

 「美幸ママ、望美はかなり疲れてるみたい。そろそろ……」

 「そうね、新ちゃん、お願い」

 ナカニシは、にっこり笑った。

 「じゃあ、みんな、車で家まで送るよ」



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