11.(わたし) 藤棚の下で / 茅葺先生の悲鳴

 「私も呼んでよー!」

 あかりちゃんは大声を出した。

 「ほうきでもゴミバケツでも消火器でも、何でも持って助けに行ったのにー! なんで呼んでくれんかったのー」

 「それは、のぞみっちに言うても、仕方のないことやん? LINEのトーク送った、誰かさんに言わんと……」

 「そうや!」

 あかりちゃんは自分のランドセルを膝の上で開き、中をごちゃごちゃ探ってスマホを取り出した。

 「あーっ! 私にも来てるわ、謎のトーク。なんで気付かんかったんやろ?」

 「ランドセルの中で、マナーモードやったからやろ? 私はiPhone、ポケットに放り込んでて、ラッキーやったわ」

 「うう、悔しいー」

 あかりちゃんがぐずるのを、美優ちゃんがなだめている。

 ここは、わたしたちのお気に入りの藤棚。美優ちゃんとあかりちゃんは、左右からわたしに寄り添っている。時は、放課後。わたしのお母さんは、今も校長室の隣の応接室で、校長先生たちと話し合っている。

 なぜ相談室じゃなく、応接室なのか。それは、日賀さんが『美咲ちゃん』の連絡先を話そうとしないからだ。もしも『美咲ちゃん』が実在しなかったら、日賀さんのやったことはとんでもないことになってしまう。

 お母さんを、パートの職場から熊見坂小学校まで、車で送ってくれたのは、ナカニシだった。あの灰白色の古ぼけたアコードは、学校関係者専用の駐車場の中。ナカニシは、お母さんに付き添ってくれている。

 わたしの心は、少しずつ落ち着きを取り戻してきた。

 わたしの目の前には、誰もいない校庭と、夕焼け空が広がっていた。赤い夕陽は、六甲山系の西の端っこにある高取山と鉢伏山はちぶせやまの間に、静かに浮かんでいる。

 わたしの目から、涙がこぼれてきた。体が、ぞくりと震えた。どうしてだろう、今は、何も怖いことなんかないはずなのに。

 美優ちゃんが、わたしの涙を拭こうとした。

 「私に拭かせてー!」

 「しようのないやつやな、あかりん……」

 あかりちゃんはポケットからハンカチを取り出し、わたしの涙を拭いてくれた。かわいらしい刺繍のされた、木綿のハンカチだった。お花畑に寝転がった、うさぎさんとくまさん。美優ちゃんはわたしの背中を抱いて、震えを止めてくれた。


 「いやー、しかし、茅葺かやぶき先生があのようなお方やったとはねえ」

 美優ちゃんがぼやいた。わたしも同感だった。

 日賀さんがうそぶいた言葉を思い出す。あのひどい言葉は、嘘ではなかった。わたしたち五年1組の担任である茅葺先生は、いじめられる子にも問題がある、と考えている人だったんだ……。

 「桐原さんはどうして、日賀さんの身の回りのことを調べて回ったんですか?」

 茅葺先生は甲高い声でそう言った。お母さんたちが到着する前、担任の先生と生徒だけで、相談室で話し合っていた時のことだ。

 「わたし、そんなことしてません」

 「でも、日賀さんはそう言っているんですよ!」

 「わたしの話も信じてください」

 先生は、不機嫌さを露骨に示した。

 「先生はどちらの話も、公平に聞いています! そのうえで桐原さんに質問しているんです!」

 わたしがいくら説明しても、茅葺先生は聞く耳持たなかった。理由は分からないけど、先生は最初から決めてかかっていた。『無神経な桐原さんが、繊細な日賀さんのことをあれこれ穿鑿せんさくして、心を傷付けた。日賀さんはたまりかねて、つい手を出してしまった』と。なぜか、その見立てを変えようとはしなかった。わたしの頬は、日賀さんの拳に打たれて赤く腫れあがっていたのに、見て見ぬふりだった。

 茅葺先生に言わせれば、美優ちゃんのしたことは、『友だち思いの度が高じて、状況をよく確認もせず、過剰な対応をしてしまった』のだそうだ。

 美優ちゃんは、おだやかな声で言った。

 「確認しました。日賀さんは、望美ちゃんを『どつき回して、分からせる』と言ってました」

 「……そんなひどい言葉、女の子が使うなんて、先生はちょっと信じられません」

 美優ちゃんはこらえきれず、吹き出してしまった。日賀さんたち三人組でさえ、あきれたことに、顔を背けて必死で笑いをこらえていた。

 そうだ。茅葺先生は、相談室の中に、わたしと日賀さんたちを同席させていたんだ。ついさっきまで、わたしのことをいじめていた三人組とわたしを、机越しに向かい合わせて。もしも美優ちゃんがいなかったら、わたしは、先生と日賀さんたちの四人がかりで、責め立てられていたのではないか?

 美優ちゃんに笑われて、先生はかんしゃくを起こした。

 「何がおかしいんですかっ!」

 わたしは、胸ポケットからMADOSMAを取り出した。三人組の顔から、にやにや笑いが消えた。わたしの期待通り、ハッシーは、図書室での一部始終を録音してくれていた。バッテリー残量は30パーセント台に入っていたが、あえて再生した。

 「茅葺はなんもできへん。いじめられるほうにも……」

 三人組の額からこめかみにかけて、玉の汗がびっしり浮いてきた。茅葺先生の顔色は、真っ青になった。先生は突然椅子から立ち上がり、叫んだ。

 「もう嫌ーっ!」

 先生の表情はあまりに恐ろしく、わたしは目をそらした。先生は両手を振り回しながら叫び続けた。

 「なんでうちのクラスは悪い子ばっかりなの! なんで今の子は乱暴ばっかりするの! なんで……なんで……。

 会話を録音した! 盗っ人みたい! 私が真面目にやってるのを、みんなで馬鹿にする! なんで! 高学年の子なんか、大嫌い! 低学年の担任になりたかった!」

 それは絶叫だった。茅葺先生の、むき出しの本音だった。先生は、いじめられる子にも問題があると考えていた。先生は、いじめる子にも問題があると考えていた。先生は、子供たちはみんな問題があると考えていた。先生は、わたしたちのことが、大嫌いだったんだ。

 教頭先生が、何事かと、相談室に飛び込んできた……。



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