10.(わたし) 三対一のいじめ / 一蹴
わたしを背後から捕まえたのは、二人組だった。左右から私の腕と肩を、押さえつけている。
頬を打たれた私は、呆然としていた。わたしは、暴力にさらされたことが、まるでなかったんだ。わたしの勇気は、風船が針で突かれたように弾けて、消えてしまった。だめだ、こんなことじゃいけない……思いだけが、空回りしていた。
口の中に、血の味がする……。
「手ぇ出したんは、まずかったんと違う?
右後ろから声がした。女の子の声だ。聞き覚えのない声で、誰だか分からない。
「……
先の成り行きを、心配しているようだ。
「この子、髪、むっちゃきれい……」
左後ろから、もう一人の声。こちらも女の子の声だ。そうだ、いつも日賀さんとたむろしてる、あの二人かもしれない。
「
日賀さんは右後ろの子の問いかけに、つまらなそうに返事した。こちらを見もしない。茅葺、と言ったのは、わたしたちの担任の、茅葺先生のことなのか?
「この子、子猫みたい……むっちゃ遊びたい」
左後ろの子は、わけの分からないことをつぶやいた。ひどくいらいらさせる口調だった。その子は、空いたほうの手指で、わたしの髪を梳き始めた。
「触らんといて!」
わたしは叫んだ。背筋がぞっとした。
六年生の図書委員さんが、駆けつけてきた。
「ちょっと、あんたら、何やってんの!」
二人組は、突然私と肩を組んだ。
「いや、うちら、仲良う遊んでただけですよ? な?」
わたしは、情けないことに、声が出なかった。唇を開いて、何か言いそうになって、閉じただけだ。たまらなく惨めだった。
図書委員さんは、回れ右して走り去った。
「あれは……先ちゃんにチクりに行きましたよ? どうすんの、日ぃちゃん?」
日賀さんはうつむいていた顔を上げ、わたしの右後ろにいる誰かを、まじまじと見た。
「びびったん?」
わたしの背後で、誰かが怯えていた。空気が凍り付いたようだった。
「帰ってええよ。うちは独りでも、こいつをどつき回して、分からせるから」
「ちょ、日ぃさん!」
誰かの手が、わたしの頭を無理やり、押し下げようとした。
「お前、早よ謝れ!」
嫌だ。
「むっちゃ見たい。どついてー」
こんなやつら、嫌いだ……。
わたしは、背後の手を振りほどいた。怯えた手は、あっけなく私を取り逃がした。髪の毛が何本か引っこ抜かれた。構わない。わたしは最後の勇気を振り絞って、日賀さんの目をにらみつけて叫んだ。
「あんたは、間違ってる! わたしは、謝らない! あんたなんか、大嫌い!」
わたしは、全身をぶるぶる震わせながら、なんとか身構えた。自分が、涙をぼろぼろこぼしているのが分かった。日賀さんは、石みたいな表情をしていた。
「ええ度胸やん。やれるとこまで、やってみ?」
日賀さんはゆっくりとわたしに近付いてきて、突然吹っ飛んだ。
「?」
わたしは、何が起きたのか分からなかった。さっきまで日賀さんが立っていたところに、別の誰かが立っている。それは、美優ちゃんだった。
「ごめん、遅くなって」
「美優ちゃん!」
美優ちゃんは、日賀さんの背後からものも言わずに近寄って、背中を蹴っ飛ばしたんだ。そして日賀さんは、吹っ飛んで、消えた……。
「美優ちゃん! 美優ちゃん……!」
わたしは美優ちゃんにしがみついて泣きじゃくった。全身を絞めつけていた恐怖が消え去った。
「もう大丈夫だよ。ちょっと待っててね」
美優ちゃんはわたしをそっと脇へ移した。床に転がっている日賀さんに向かって、歩き出した。
日賀さんは床の上でもがいていた。立ち上がれず、うんうんうめいていた。美優ちゃんの蹴りは、よほど痛いところに入ったらしい。悪のすごみも、へったくれもない姿だった。
美優ちゃんは、日賀さんの頭の傍にしゃがみこんだ。
「私は、めっちゃむかついてる。二度とやるな。やったら……小惑星イトカワまで、ぶっ飛ばす」
美優ちゃんは日賀さんの襟首をつかんで、引きずり立たせた。そして、棒立ちになっている二人組に押し付けた。
「連れてけ」
「はいっ!」
三人はこそこそ立ち去ろうとしたが、できなかった。何人もの先生たちが、図書室に駆け込んできたからだ。
「先生、あの子らです!」
図書委員さんの声が聞こえた。
美優ちゃんは戻ってきて、わたしを抱きしめ、支えてくれた。
「これからごちゃごちゃするやろうから、今のうちにお礼、言っとくわ」
「お礼? どうして……?」
「私、のぞみっちの役に立てて、うれしい。ありがとう」
「美優ちゃん……」
「のぞみっち、顔、ぐしゃぐしゃやん」
美優ちゃんは、ポケットからハンカチを取り出した。
「のぞみっちの涙は、私が拭いてあげる」
美優ちゃんは、わたしの顔をきれいにしてくれた。わたしの涙が止まらないので、なかなか拭き終わらない。わたしは、涙をこらえた。
「ところで、あかりんはどこにおるん?」
「えっ? ……ここにはいなかったけど」
「あかりんが、のぞみっちのスマホで、SOS発信したんと違うん?」
美優ちゃんが取り出したiPhoneの画面には、「望美が危ない。図書室に急いで!」と書かれたLINEのトークが表示されていた。IDはわたしのものだ。
わたしは、ようやく気が付いた。ハッシーが、美優ちゃんを呼んでくれたんだ。
「それやったら、いったい誰がトーク送ってきたんやろ?」
美優ちゃんは不思議がっていた。わたしはハッシーに、心の中でお礼を言った。
ありがとう、ハッシー。わたしを、見守っててくれたんだね。
先生たちが、こちらに近付いてきた。ハッシーに実際のお礼を言うのは、しばらく先になりそうだった。
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