9.(わたし) 図書館で調べもの / 美咲ちゃんは何て言ってるの?
昼休みになった。
みんなで机を寄せ合って、給食を食べる。ブロッコリーと鶏肉のクリームシチュー、ひじきと大豆とこんにゃくの煮物、グリーンピースと卵あんかけご飯。作る手順を思い巡らせてみたけど、わたしにはまだ、全部こなしきれそうにない。あんかけの代わりに白ご飯ならなんとかできそう。
給食を食べながら、考えた。この中の何人が、『かけおち援助』のお金を出したんだろうか? 美優ちゃんの友だちリストなら、男子だって何人か含まれていただろう。出した子たちは、どこかに集まって、不満を述べ合っているのだろうか? 学校でこんなことがあったのを、何人の親が知っているだろうか?
わたしが今、心配してもしかたのないことだった。卵あんかけご飯の手際よい作りかたを考えたほうがいい。
お昼ご飯の後、わたしは図書室に向かった。別棟への渡り廊下を歩いていく。そよ風が心地よかった。
図書室の窓は開けられ、涼しい風が吹き通っていた。わたしは受付を訪ね、六年生の図書委員さんにあいさつした。
「昔の行事の記録は、ええと……この辺よ」
図書委員さんは、本棚が団地みたいに立ち並んでいる一画に、わたしを連れていった。
「個人情報保護で、コピーや持ち出しは禁止になってるから、気をつけてね」
「はーい」
わたしは、お目当ての本を探し始めた。
わたしたちの卒業アルバムは、もちろんまだない。運動会や遠足や、校外学習の記録から、総当たりで探していくしかない。わたしは幼稚園の話を持ち出したことを後悔した。あれで、美優ちゃんもあかりちゃんもどん引きして、手伝ってくれないのだ。
名前付きの顔写真は、卒業アルバムの中にしかないことに、わたしは気が付いた。若しくは、理科の自由研究や、図画工作の表彰記事。日賀さんがそれらの表彰を受けた話は、聞いたことがない。
他には、運動会の時、体操着の胸に名札を縫い付けている。運動会の記録を、集中して調べていくことにした。日賀さんの2年前の写真は手に入れているから、5年前……わたしたちが小学一年生だったころの記録から始めよう。一年生なら、幼稚園の年長組よりひとつ上なだけだから、ハッシーの注文に、ほぼ応じられる。
美優ちゃんの写真を見つけた。運動会の、昼食風景だった。美優ちゃんはパパママと一緒に、キャンピングシートの上でお弁当を食べている。にこにこ笑いながら、おにぎりにかぶりついていた。わたしは美優ちゃんと、幼稚園に入る前から仲良しだ。たとえ名札が無くても、見間違えたりしない。
勇也のやつも見つけた。徒競走で先頭をを走ってるくせに、カメラに向かって
おっと、任務に集中だ……。
日賀さんの写真を見つけた。写真の中の日賀さんは、お父さんらしい人と肩を並べ、大きなスプーンをふたりで捧げ持っていた。スプーンの上にはボールが乗っている。落っことさないように走りながら、次の走者のスプーンに受け渡すリレー競技だ。正式な名称は知らない。
小学一年生の日賀さんは幼な過ぎて、胸に名札が無ければそうと分からなかった。日賀という名字は他に聞かないから、多分本人だろう。
日賀さんのお父さんは、背の低い、筋張った体つきの人だった。眉間が狭まった顔つきは怒りっぽそうだ。でも、カメラが捉えたこの時は、うれしそうな表情をしていた。
わたしは、目的の品を見つけ出したのだ。充実感と、達成感があった。わたしは、ふう、と吐息した。
この写真を、なんとかしてスマホカメラで撮影しなければ。わたしは適当な隠れ場所を探そうとした。
「何こそこそ調べとんねん?」
心臓が飛び出るほどびっくりした。
それでも、わたしの手は無意識のうちに、運動会の記録を本棚に戻していた。わたしが何を調べていたか、その人が気づいたら、彼女はわたしを憎むだろう。
「何こそこそ調べとんねん? ポリ署か、お前は……そう、聞いとんやで?」
ざらざらの、石みたいな声だった。わたしは、その声のするほうを向いた。そよ風になびいていたカーテンが静まると、そこには、日賀さんが立っていた。真っ黒な鳥が、空から降り立ったみたいだった。
わたしの両足は、勝手に日賀さんのほうへ踏み出していた。おそらく、わたしが調べていた本棚の位置を、日賀さんに気づかせないためだろう。そして、怯えに囚われそうなわたしの心に、強い足踏みで喝を入れているのだろう。わたしの両足は、わたしより賢かった。
「おお?」
日賀さんは身構えた。わたしは、潰れそうな胸に空気を取り入れ、自分にできる力一杯で押し出した。
「日賀さんこそ、わたしに何の用!」
日賀さんが何か言おうとする前に、わたしは先回りした。
「かけおち援助やったら、断ったはずやけど?」
わたしは日賀さんの目を、ぐっとにらみつけた。少し見上げる姿勢になる。わたしの目の前に、現在の日賀さんの顔があった。
不機嫌に取り憑かれたような表情をしていた。人を疑い、だまされないぞとにらみつけるのが、当たり前になった顔だ。穏やかになることを忘れてしまった、目と眉だった。唇は、終わりのないいらだちが刻み込まれた、への字の彫刻のようだ。
わたしは、心にうつろな衝撃を受けた。あの写真の中の、笑顔の日賀さんはどこへ行ったのか。
「話しそらすな。人の噂、半日こそこそ嗅ぎまわって、けんか売っとんか? おぉ!」
「かん違いやわ、全て、日賀さんの」
わたしの口から、自分でも信じられないくらい、強気な言葉が飛び出した。
「知らない人からLINEが来たら、誰がID教えたか、聞いたらあかんの? 美咲ちゃんってどこの誰なん? 助かったん? 今も困ってるん? どうなん? せっかくやから教えてよ!」
わたしの言葉には、すごい怒りがこもっていた。
日賀さんは、つかの間だろうけど、あっけにとられていた。うさぎだと思って食らいついたら石の地蔵さんで、歯が欠けた狼のような顔をしていた。
「お、お前……!」
「日賀さんはみんなの援助集めて、美咲ちゃんに渡したよね? 美咲ちゃんはどう返事したん? お礼言うたん違う? 日賀さんはみんなに、美咲ちゃんからのお礼、伝えたん? どうなん?」
わたしの剣幕は、自分でもぞっとするほどだった。わたしが日ごろ抑えている、ねちねちこだわる心が噴き出していた。でも、これは必要な怒りだった。日賀さんのような子に立ち向かうためには。
日賀さんは、言葉を失っていた。わたしは、深いため息をついた。
「わたしは援助してない。だから、美咲ちゃんのお礼は、伝えてもらわなくていい。でも、援助した子たちには、美咲ちゃんのお礼、伝えるべきやと思う」
わたしは日賀さんの目を、もう一度強く見つめた。
「わたしが言いたいんは、それだけ」
わたしは、逃げ出したと思われないように、ゆっくりと日賀さんの横を通り過ぎようとした。
その時、わたしの頬が鳴った。
痛みは、後から遅れてやってきた。日賀さんが、わたしの頬をひっぱたいたんだ。わたしはよろめいた。その背中を、後ろから誰かが捕まえた。
日賀さんは、壁にもたれかかり、わたしから目を背けた。
「そいつ、何も分かってえへん。頼むわ」
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