7.(わたし) 友だち自動追加設定 / クロコダイバーの影

 授業が終わった途端、男の子たちは、つむじ風みたいに教室を飛び出していった。運動場へ遊びに行くのだ。

 少し遅れて、活発な女の子たちが続く。美優ちゃんも、いつもはそうなんだけど、今日は机でぐずぐずしていた。

 わたしは思い切って、小走りに美優ちゃんに近寄り、声をかけた。

 「美優ちゃん……お願い」

 美優ちゃんはくちびるをとんがらかせて、目を伏せた。

 「やっぱり……話さんといかん?」

 「ごめんね。わたし、何があったのか知りたいの」

 「うう……やり切れんわ……いったい、後なんべん謝らなあかんの……」

 美優ちゃんは、何事かに深く傷付けられ、そしてうんざりしているみたい。わたしは、美優ちゃんの肩にそっと手を置いた。

 「謝るとか謝らんとか、そんなこと全然考えてないよ? 美優ちゃん苦しそうやから、心配で。よかったら、わたしにも話して……」

 あかりちゃんが、おずおずと近付いてきた。

 「けんか、してるん? あかんよ……」

 「いや、そんなことはしてへんよ」

 美優ちゃんは苦笑いした。苦くても、笑いは笑いだった。

 「ここでは嫌や。どっか別のとこが……」

 「校庭の、藤棚に行こ?」

 「そうやね」

 美優ちゃんは椅子から立ち上がった。


 梅雨の晴れ間の青空は、朝九時を過ぎて、徐々に日差しを強め始めていいた。

 でも、藤棚の下にいれば、まだ涼しい。長年かけて広がった藤の太枝が、陽光を遮り、日陰を作ってくれる。六月も終わりに近かったけど、藤の花はまだ残っていた。淡い紫色の花房が、鈴なりに垂れ下がっている。

 わたしたちは、藤棚の下にある、太い木製の、背もたれのないベンチに腰を下ろした。美優ちゃんを真ん中にして、わたしたちは寄り添った。

 話すと決めてからの美優ちゃんは、ためらうことはなかった。

 「わたし、LINEの設定、ずっと間違えたままやったんよ」

 「どんな設定?」

 「例の、友だち自動追加設定。ONのままにしてた」

 LINEアプリは、利用者の端末から、アドレス帳の内容をLINEのサーバーコンピューターにアップする。その連絡先情報を使って、LINEのサーバーは、各利用者間の通信をつなげている。LINEは『無料アプリ』と呼ばれているが、実際のところ、利用者は自分のアドレス帳をLINE社に預けて、その情報使用料で電話代を払っているようなものだ。

 アドレス帳の情報を、LINEアプリがどう取り扱うのかの設定が、いくつかある。友だち自動追加設定は、そのひとつだ。

 「わたしがLINEに加入した時、『友だち追加』の設定が、最初からONになってたの、そのままにしてた……。

 だって、友だちを追加せえへんなんて、おかしいやん? 友だちは増えていくものやん? あんな文章やったら、本当の意味、分からんよ……」

 美優ちゃんはうめいた。苦しげに眉をしかめ、頭を振った。わたしはとっさに、美優ちゃんの背中に手を添えた。あかりちゃんもそうしていた。

 『友だち追加』の設定をONにしたままだと、端末のアドレス帳に登録されている電話番号が、LINEのサーバーに自動で追加される。美優ちゃんの友だちリストとして。そして、美優ちゃんとLINEのIDを交換して『友だち』になった人は、美優ちゃんの友だちリストを、自分の『友だち候補』として見ることができてしまうのだ。

 「ゆる設定やね」

 あかりちゃんが、簡潔な感想を述べた。

 「言わんといて……」

 美優ちゃんは、見ていて気の毒なくらい落ち込んでいた。

 この設定でもいいだろう。LINEを使う人たちが、全員いい人なら。でも、実際にはそうじゃない。LINE社の人だって、そんなことは分かってるはずなのに……。

 わたしはようやく、何事が起きたのか察しがついてきた。

 「『くれない』さんが、美優ちゃんに友だち申請してきたの?」

 「そうや……顔見知りやったから、承認してしもた……それからなんや、あの『かけおち援助』のトークが、私の知り合いの子全員に送られてきて……」

 美優ちゃんは、言葉を詰まらせた。目に涙がにじんでいた。あかりちゃんは美優ちゃんの背中をさすりながら、「悪うないよ、美優ちゃんは悪うないよ……」と、おまじないのように呟いていた、わたしはポケットからハンカチを出して、美優ちゃんの涙を拭いてあげた。

 「のぞみっちや、あかりんにまで、あんなトーク送られてしもうて、私どうしたらええんやろ……」

 「美優ちゃんは悪くないよ。悪いのは、美優ちゃんの親切につけ込んだ人だよ。わたしは、美優ちゃんの味方だよ? 美優ちゃんは、元気を取り戻してほしい……」

 美優ちゃんは突然、わたしの肩を抱いた。

 「のぞみっちは優しいなあ」

 美優ちゃんの髪の毛とほっぺからいい匂いがして、わたしは戸惑った。

 「のぞみっちの口から『頭の下げ方が足りひん!』なんて言葉が出てくることは、決して無いんやろうなあ……」

 わたしは、なんと返事したらいいのか、分からなかった。

 「ふたりだけくっついてずるいー!」

 「おっと、おちびちゃんのこと、忘れてたわ」

 「おちびちゃん違うー!」

 美優ちゃんは、あかりちゃんの肩を抱き寄せた。わたしたちは、お互いの肩を抱き合い、頬をくっつけ合い、くすくすと笑い合った。

 始業のチャイムが鳴った。

 「戻ろうか」

 涙を拭き、立ち上がった美優ちゃんは、笑顔を取り戻していた。


 校舎に向かう途中、わたしはあかりちゃんに尋ねた。

 「『くれない』さんが日賀さんだって、どうやって分かったの?」

 「お金渡した子は、みんな日賀さんに渡してたよ」

 やりきれないくらい、明白な証拠だった。

 「日賀さんが、携帯2個持ちだっていうのは?」

 「日賀さんは、LINEのIDのぞき見するときも、悪い大人と話すときも、いつもと別の、黒い携帯使ってるよ。悪いほうの『くれない』さんだよ」

 「あかりちゃん……」

 わたしは驚きを隠せなかった。

 「どうしてそんなにくわしいの!」

 「私、あんまり目立たへんから」

 あかりちゃんは、かすかな笑顔を浮かべた。

 「私が隅っこに座って、じっとしてたら、いろんな人が、私の周りで、すごいこと平気で話すよ。こんなこと話していいの? ってことまで……」

 わたしは、絶句した。わたしはあかりちゃんのことを、幼なじみで何でも知ってると思ってた。でも、知らなかったことが、こんなにあったんだ……。

 「悪いほうの『くれない』さんに、LINEのID見られた子は……『クロコダイバー』に食べられちゃうんだよ。

 みんなが美優ちゃんのへま、めちゃくちゃ怒ったのは、そういうことだよ」

 あかりちゃんは、薄気味の悪いことを言った。わたしは、その言葉の意味が分からなかった。



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