6.(わたし) トイレで作戦会議 / ヤマザル少年

 五年一組が、わたしの教室だ。

 そして、神戸市立熊見坂小学校に、五年生のクラスはひとつしかない。生徒数は25人。男子11人。女子14人である。

 長い廊下の奥まで、一度も使われることのない教室、一度も開かれることのない扉がずらりと並んでいる。いつ見ても不思議に思う。昔、これらの教室全てが、30人以上の生徒でにぎわっていた時代があったというのだ。

 それが本当のことなら、なぜ今はそうなっていないのだろう?


 1時間目は、坂崎先生の国語の授業だった。

 「オツベルはなぜ、白象に時計と靴をプレゼントしたのでしょうか? ……井沢君」

 「はい、白象の足に百キロの鎖と、四百キロの分銅をはめるためです」

 「その通りです。皆さんも誰かからプレゼントをもらうことがあるでしょう。その時は、プレゼントの中に鎖と分銅が混ざっていないか、確かめるようにしてくださいね」

 「はーい」

 わたしは先生の言葉を、ぼんやり聞いていた。授業の内容が、頭に入らない。理由は分かっていた。ずっと後ろの席にいる、日賀紅ひがくれないちゃんのことが気になっているんだ。

 ――美咲ちゃんいう女の子が、好きな男の子と駆け落ちして、お金に困ってるんや。援助してや。――

 彼女はどうして、あんなLINEトークを送ってきたのだろうか? 五年一組に、美咲ちゃんという名前の子はいない。わたしは、会ったこともない女の子の無謀な行動に異議を唱え、援助の頼みを断った。それは正しかったのか?

 いつまでも同じことを考え過ぎて、胸が悪くなってきた。胃の辺りがむかむかする。でも、それがきっかけで、わたしはあることを思いついた。

 わたしは手を挙げた。

 「あの、先生」

 「何ですか、桐原さん」

 「すみません、ちょっとトイレに……」

 教室の中が、くすくす笑いで満たされた。坂崎先生は、平然としていた。

 「早く行ってらっしゃい」

 わたしはランドセルの中から小物入れを取り出し、足早に教室を出ていった。誰もいない廊下を、ひとりで歩いていく。

 思い付きのきっかけになった胸のむかむかは、とっくに収まっていた。でも、トイレに行くという約束で授業を離れたのだから、そうしなければならない。

 わたしは、人気のない女子トイレの一室で、小物入れからMADOSMAを取り出した。

 「こんなところでごめん。ハッシーに相談があるの……」

 わたしは手短に、ハッシーに事情を説明した。

 「――というわけなんだけど」

 ハッシーは平然としていた。

 「恥を忍んで、相談の時間を作ったのは、良かったね。こうして作戦会議ができる」

 「さ、作戦会議……そうだよね」

 「君のやることは簡単だ。美優ちゃんに、質問の続きをする」

 「答えてくれるかな?」

 「急かさないで、ていねいに訊ねれば、きっと答えてくれる。

 美優ちゃんが黙ってしまったのは、あかりちゃんのお母さんに聞かれたくなかったからだ。美優ちゃんはおそらく、話を大きくしたくない。若しくは、子供たちの間の『仁義』みたいなものを重んじている」

 わたしは驚いた。ハッシーは、わたしのわずかな説明で、状況をすっかり飲み込んでいるようだ。

 「おそらく、君のLINEのIDを『くれない』さんに教えたのは、美優ちゃんだろう。彼女はそのことを負い目に感じてる。だから望美、君は美優ちゃんに堂々と質問していい。そして、優しく質問するんだよ」

 「うん……分かった。そうする」

 ハッシーの冷静さは、わたしのかっとなった頭を冷やし、どきどきしていた心臓を、落ち着かせてくれた。わたしは少しずつ、考える余裕を取り戻していった。

 「言っとくけど、『くれない』さんが日賀さんだって証拠は、まだひとつも無いよ?」

 「でも、あかりちゃんが……」

 「あかりちゃんは、そう思うってことを言っただけだ。あかりちゃんに、なぜそう思ったのか聞いてみるといいよ。君自身が、証拠を見て納得するまでは、日賀さんに強気に出てはいけないよ。

 そもそも、誰かに援助を求めること自体は、罪でもなんでもないんだから」

 ハッシーの冷静さは、小憎らしいくらいだった。でも、頼もしかった。

 「もし、日賀さんから話しかけてきたら、どうしよう?」

 「堂々としてればいい。

 いいかい? 悪い子の大好物は、孤立と沈黙なんだ。望美、君は孤立も沈黙もしない。君は、言いたいことがあったら、誰にだってはっきりと言う。分からないことがあったら、誰にだって尋ねに行く。日賀さんがどんな子だろうと、君を止める権利なんかないよ。

 望美、君はどうしたいの?」

 「えっ?」

 「『くれない』さんにお金渡すの? 渡さないの?」


 わたしは、自分の心の中を見つめた。

 「お母さんは、わたしの結婚費用と、清治おじちゃんの生活費を稼ぐために、週に何日もパートで働いてる。わたしは、お金の大切さを、分かってるつもり……」

 わたしの心の中には、怒りがあった。

 欲しければねだる。断られたら凄む……そんなやりかたへの怒りだった。

 「わたしは、納得いかないお金は、一円も出さないよ」

 「よし、決まりだね。他に何か質問は?」

 「今はこれでいいよ」

 「最後にひとつ。ぼくを身に着けておくことはできる? 何かあったら、会話を録音したい」

 「ブラウスに胸ポケットがあるよ」

 試してみたら、少しきつめだけど、なんとか入りそう。集音マイクが表を向くように入れた。ポケットのふたのボタンがはまらなくなったけど、小物入れから安全ピンを出して、止めることができた。

 「ぼくたちはチームだ。共にがんばろう」

 「ありがとう、ハッシー。わたし、がんばるね」

 ハッシーの心づかいが、うれしかった。わたしは早足で教室に戻った。


 「先生、戻りました」

 「席に着きなさい」

 わたしがいそいそと自分の机に向かうと、勇也のやつが大声で茶化してきた。

 「えらい長いトイレやのお!」

 教室が、どっと笑いに包まれる。

 「すいかの食い過ぎちゃうかー?」

 追い討ちをかけてくる。教室の笑い声は止まない。女の子たちも「ゆうや、げひんー」とか言いながら、くすくす笑い合っている。坂崎先生さえも、勇也がどんな子か知ってるので、あきらめて放置気味だ。

 わたしは悔しさと恥ずかしさで、顔が真っ赤になった。でも、勇也にからかわれるのはこれが初めてじゃない。わたしも根性が据わっている。

 「うるさい! ヤマザルは黙っとき!」

 大声で怒鳴り返してやったが、勇也は平気な顔だった。

 「おおこわ……」

 まさに、蛙の面に何とやらだ。

 「桐原さん、早く座りなさい。勇也は静かにしなさい」

 「先生、ぼくは武田君です。呼び捨てはあかんやろ?」

 教室がどっと沸く。坂崎先生も怒るに怒れない……というか、勇也のことを、憎めないやつと思ってるのではないか?

 武田勇也は、そういう立場を手に入れている子だった。その勇也が、なぜかわたしをからかうチャンスは、逃がそうとしないんだ。もっと万民平等に、クラスのみんなをまんべんなくからかってくれたらいいのに……まったく、わたしはとんだ災難だよ。


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