5.(わたし) 学校への道 / 美優ちゃんとあかりちゃん

 「行ってきまーす!」

 わたしは家から飛び出し、坂道を駆け下りた。青空の下にある熊見坂小学校に向かって。背中からお母さんの「行ってらっしゃい」の声が、追いかけてくる。

 住宅地内を通る道路は、ぎりぎり二車線。通学路を示す緑色の舗装は、ほとんど幅がない。頼れるのは自分の目と耳だけ……なーんてことはありません。朝の通学時間帯は、どの車も遠慮してくれます。

 いつもの待ち合わせ場所には、もうみんな揃っていた。といっても、美優ちゃんとあかりちゃんと、年少組の子がふたりだけだけど。三年の雄大ゆうだい君と一年の健太君。

 「のぞみん来たー。のーぞみーん」

 年少組は、わたしをのぞみんと呼ぶ。わたしはこの呼びかた、少し気に入っている。自然に広がっていけばいいなあ……と思っているところ。

 「のぞみっちぃ遅いよー」

 だいたい、この美優ちゃんが、のぞみっちを広めた張本人なんだ。年少さんたち、悪い色に染まらないでね……。

 今日の付き添い当番は、あかりちゃんのお母さんだ。いつもは森のくまさんみたいにのんびり、朗らかだけど、今はちょっと不機嫌。もちろん、わたしが遅れてきたせいだ。

 「もう、置いて先に行こうかって話に、なりかけてたんよ? ルール違反、あかんよ?」

 「ごめんなさい……」

 わたしは謝った。現代を生きる小学生にとって、朝の遅刻のペナルティは重い。大人を待たせてしまう結果になるからだ。

 お父さんが子供だった頃は、毎朝の登校に大人が付き添うことなどなかったという。子供たちは遅刻しそうになると、畑の真ん中でも人んの塀でも庭でも、平気で突っ切っていったそうだ。途中、盆栽を棚から落っことして、怖いおじいさんに「バカモン!」と怒鳴られ、頭をぼこぼこに殴られることも、当たり前のようにあったとか。今では想像もつかない、不思議な世界だ。

 わたしたちはゆるやかな列を作り、小学校への坂道を下り始めた。


 つばめたちが青空を舞っている。

 彼らは遠い南の島から、海を渡って神戸にやってきた。今は、ブーメランのように空中を滑りながら、小さな昆虫を捕らえることに夢中だ。真っ黒な背中が、空中でターンするたびにきらりと光っている。

 つばめたちを置き去りにして、わたしたちは坂を下る。わたしの隣を歩いているあかりちゃんは、なぜか怒ってるようだ。

 「のぞみちゃん、まさか、LINE全然見てない?」

 「あっ、忘れてた。ごめん……後で見るわ」

 あかりちゃんのお母さんが見ている前で、歩きスマホなんかできない。

 「もー!」

 さらに怒るあかりちゃんを、美優ちゃんがなだめた。

 「あかりん……書いたこと、今ここで話したらええやん……」

 「あっ、そうか」

 わたしたちは笑い出した。

 「のぞみっちは、本当はLINEとか、好きやないんちゃう?」

 わたしはふと、と胸を突かれた気がした。

 「嫌いじゃないけど、うーん、なんか、自分とは遠いことのような気がする……」

 「のぞみちゃんは、『未読スルー』やもんね。半日くらい後に、いきなり既読がずらっと付いて、びっくりするわぁ」

 「ええ度胸やん。うらやましいわ」

 美優ちゃんは笑いながらわたしを見た。

 美優ちゃんは背が高く、手足が長い、すらっとした子だ。長い髪が、天然でゆるやかにうねっている。ほっそりして、整った顔は、どこか王子様っぽい。

 「私も、のぞみっちみたくおおらかにLINE、使いたいわ」

 わたしは、何と言っていいか、分からなかった。自然体で使ってるだけだからだ。それに……美優ちゃんはわたしをほめてるのか、茶化してるのか微妙だった。

 「みゆちゃんの既読は、まめ過ぎひんし、さぼり過ぎひんし、いい感じに付くね、うん」

 あかりちゃんは、LINEの未読か既読かに、すっごくこだわるのだ。

 「この美優様は、LINEの対応には抜かりないよ? 人様を怒らせたことは……」

 美優ちゃんは、なぜだろう、不意に口ごもった。わたしは思い切って聞いてみた。

 「LINEの『くれない』さんって人、知ってる?」

 「わあっ!」

 美優ちゃんは突然、頭を抱えた。

 「どうしたの!」

 あかりちゃんのお母さんが駆け寄ってくる。年少さんたちはびくっとして、立ち止まった。

 「何でもないです! ちょっと、LINEで失敗してもうて、それ、思い出して」

 「困ったことあったら、おばちゃんに言うて?」

 「もう謝って、それで済んだことやから。思いだしてもうて、うわっとなっただけで……今はもう、大丈夫です」

 美優ちゃんは、なんとか立ち直ったみたい。

 「遠慮せんと、話してええんよ? おばちゃん、美優ちゃんのお母さんと、仲良しなんやから」

 「はい……」

 小学校への行列は、再開された。

 わたしは、美優ちゃんが当然、その先を話してくれるものと思って、待っていた。でも、美優ちゃんは前を向いたまま、黙って歩いている。

 わたしは、美優ちゃんの脇を、肘でちょこんと突いてみた。反応がない。もう一回……避けられてしまった。

 うう、気になる……。


 不意に、わたしの脇が突っつかれた。

 あかりちゃんだった。わたしに耳打ちして話したがっている。わたしは少し頭を下げて、あかりちゃんに合わせた。

 「『くれない』さんは、日賀さんだよ」

 そうなのか……。

 「日賀さんは、携帯2個持ちだよ。悪いほうの『くれない』さんだよ」

 あかりちゃんの言ってる意味が、よく分からなかった。わたしは、分かることだけ質問した。

 「もしかして、あかりちゃんとこにも、その、かけおちの……」

 「来たよ、トーク。かけおち援助」

 あかりちゃんは、探るような目でわたしを見た。

 「わたし、断った。あかりちゃんは?」

 「のぞみちゃんも? 良かった……私も、断ったよ」

 ふと思いついたことを、訊ねてみた。

 「どうやって断ったの?」

 「ごめん、お金無いって」

 ああ……わたしは、心の中でうめいた。これが正しい断わりかただ。断わるときは恨まれないようにしなさい……遠い昔の、おじいちゃんの忠告が、心をよぎる。おじいちゃん、ごめんなさい。望美は、あなたの忠告を無にしました……。

 「のぞみちゃんはどうやって?」

 「小学生のかけおちなんか、うまくいくはずない。帰って、親に真面目に訴えなさい、って」

 「すごいー!」

 あかりちゃんは、感動していた。つぶらな両目を、さらに真ん丸に見開いていた。

 「私もいつか、のぞみちゃんみたく、言いたいことはっきり言える子になりたい……」

 あかりちゃんは、なんとわたしの右腕に寄り添ってきた。

 「のぞみちゃんは、私のヒーローやわぁ……」

 わたしは、照れくさいような、恥ずかしいような気持ちになってしまった。どうにも対応に困ってしまう。

 「そろそろ早足で行かんと、間に合わんよ!」

 あかりちゃんのお母さんに注意された。

 「はーい!」

 わたしたちは、視界に入ってきた小学校の校門へと急いだ。結局、わたしのLINEのID、つまり携帯電話番号を、日賀さんがどうやって知ったのかは聞きそびれてしまった。



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