13.(ぼく) 過去: どうやって作ったのか

 多くの大学や研究機関けんきゅうきかんは、ロイディンガー博士とDARPAの申し出をことわった。軍事科学に協力することの是非ぜひ以前に、粒子加速器を長期独占使用ちょうきどくせんしようしたいというレンタル条件に、無理があったからだ。

 結局、陸軍りくぐん粒子りゅうしビーム兵器研究部門へいきけんきゅうぶもんから、旧式化して最先端の研究にてきさなくなった加速器を敷地しきちごと買い取り、改造することで間に合わせた。後から見れば、E-ロボットの機密きみつを保持するうえで最良の選択だったが、当時の関係者の多くは、意気消沈いきしょうちんしていたという。

 「21世紀にもなって、直線型リニアですらないのか……」

 ロイディンガー博士ひとりが、元気一杯だった。望んでいた研究を、ついに実行に移せるのだから。博士の意欲の高まりは、次第に、スタッフにも伝染していった。いつまでもしょんぼりしているより、元気を出したほうが楽しいに決まっている。


 博士はスタッフを指揮しきし、粒子加速器に改造をほどこした。

 加速された電子と陽電子ようでんしが衝突する位置を、1台の小型真空チェンバーでかこい込んだ。電子と陽電子の突入口とつにゅうこうが開いているので、高速シャッターを取り付け、粒子の突入に合わせて開閉かいへいを繰り返させた。完全な密封みっぷう状態にはならないが、無いよりましだ。

 さらに外側から、もう一回ひとまわり大きな真空チェンバーで囲い込んだ。いささか駄目押だめおしのかんがあったが、博士はこだわった。

 粒子加速リング内の空間は、つねにエアポンプで空気を吸い出され、『超高真空ちょうこうしんくう』の状態に保たれている。電子や陽電子が、加速の途中で空気分子に衝突したら、実験が台無しになるからだ。でも博士は、超高真空ではまだ不足だった。超高真空ではまだ、真空として不純だと考えていたから、衝突地点を二重に隔離かくりした。


 ロイディンガー博士が求めていたのは、電子(正物質せいぶっしつ)と陽電子(反物質はんぶっしつ)が衝突して対消滅ついしょうめつした後に残る、真空だった。ここまでの程度ていど吸引きゅういんが進んだという真空ではなく、抹消まっしょうの結果、完全に何も無くなった後の真空だ。

 博士は、二重式真空にじゅうしきしんくうチェンバーの最奥部空間さいおうぶくうかんを、対消滅に由来ゆらいする真空だけで満たしたいと考えていたのだ。人類が手に入れることのできる最高純度の真空。そこでなら、電子と電子の真空溶接を行うことができるかもしれない……それが、博士の最後の望みだった。


 ついに、実験が開始された。

 陸軍ゆずりの粒子加速器『古兵オールドマン』は、順調に作動していた。超高真空のリングの中を、電子と陽電子がそれぞれ逆向きに周回しゅうかいしながら、加速されていく。そして、二重式真空チェンバーの最奥部空間で、狙いすまして衝突させられ、ガンマ線を放出しながら対消滅する。

 それまで最奥部空間に満たされていたのは、単に空気を抜かれたというだけの『一般真空』だ。それが、より徹底的な『対消滅由来真空ついしょうめつゆらいしんくう』に、少しずつ少しずつ、置き換えられていく……。

 最奥部空間は、極めて狭い。人間の目には見えない。それどころか、銅原子10立方個りっぽうこほどの大きさしかない。

 対消滅由来真空は、1回の衝突で電子1個分しか作れない。広大な空間を設定することは、予算面では許されず、時間的には不可能なことだった。

 10日後、電子と電子の衝突を試みた。互いが持つマイナス1の電荷によって反発し合い、衝突せずにすれ違っていった。ロイディンガー博士は淡々たんたんと指示を発した。

 「対消滅由来真空の生成せいせい蓄積ちくせきを、再開するぞ」

 20日後、再試行さいしこう。結果は同じで、電子と電子はすれ違った。30日後も、40日後も変わらなかった。3ヵ月が過ぎ、4ヵ月が過ぎた。実験開始から6ヵ月目に入った時、DARPAの担当官は博士を問い詰めた。結果は、いつになったら出るのか? 続けるのか? 止めるのか?

 博士は、堂々と答えた。

 「続ける」

 「では、新たなスポンサーを探しなさい」

 ロイディンガー博士にとってこの時期が、肉体的にも、精神的にも、経済的にも、最も苦しい時だったろう。


 座礁ざしょうしかけた計画に、救いの手が差し伸べられた。ロイディンガー博士がロボット工学者だった頃の弟子の中に、のちに事業で成功をおさめ、大富豪だいふごうになった者がいたのだ。彼は博士の窮境きゅうきょうを見るに見かねた。彼が匿名とくめいを条件に影の出資者しゅっししゃになることで、実験は続行された。

 そして、12ヵ月目のことだった。

 衝突させられたふたつの電子は、はじき合いも、すれ違いもしなかった。ふたつの雪玉ゆきだまがくっつき合って雪だるまになるように、真空中で結合し、安定した。

 『二重電子にじゅうでんし』の誕生であった。

 『電子真空溶接でんししんくうようせつ』が、成功したのだ。

 この時、ロイディンガー博士は、深く、静かな満足感を覚えたという。それは、次なる、静かな闘志とうしであったとも。スタッフは口々に歓喜かんきの声を上げ、駆け寄って博士を祝福しゅくふくした。もはや博士を疑う者はいなかった。DARPAは不明を恥じ、さらなる投資を申し出た。博士は鷹揚にこれを受けた。博士とスタッフは希望に満ち、実験を続けた。


 それからは、とんとん拍子だった。三重電子、四重電子、五重電子……いくらでも作れた。それらの電子を、日本製の精緻せいち寄木細工よせきざいくのように組み合わせることが試された。多重電子じく、多重電子軸受じくうけ、多重電子接手つぎて、多重電子歯車……それらは、電子だけで作られたロボット『E-ロボット』を創造するための、基礎研究きそけんきゅうの第一歩であった。

 アメリカ国防総省こくぼうそうしょうはその頃、ヴァージニア州アーリントンのとある古ぼけた倉庫ビルを、ダミー企業を使って秘密裏ひみつりに買い取っていた。そして、大規模だいきぼ改築工事かいちくこうじに取り掛かった。『闇予算ブラックバジェット』と呼ばれる国防総省の秘密資金が、その蛇口じゃぐちを全開にした。

 E-ロボットの研究・製造・訓練施設である『フォート・ナラティブ』の建設が、開始されたのだ。



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