7.(ぼく) 初めての中間者攻撃 / 旅人たちの思い

 しばらくは、何も起こらなかった。

 やがてぽつぽつと、サブノートへのアクセスが発生し、それは次第しだいに増えていった。

 事情を知らない(知るはずもない)観光客が、ナカニシの『空白のスマートフォン』を観光案内サイトと信じてアクセスしている。それらをナカニシはかたっぱしから、サブノートへと転送てんそうしているのだった。転送という、ひと手間多くかけるのは、スマートフォンの性能では、サーバーとしての運用うんようは無理だからだ。ナカニシ自身を身軽なよそおいにして、いかにもな『悪のハッカー』に見せないという効果もある。しかし、ナカニシの外見がどれほど好人物風こうじんぶつふうであろうと、今の彼は観光客というチョウを捕らえるクモの巣であり、ぼくはクモなのだ。

 サブノートにとってすら、サーバー運用は過剰負担かじょうふたんだった。空冷ファンは囂々ごうごうと音を立て、それでもCPUシーピーユーの温度はじわじわと上がっていく。

 だが、成果は着々と上がっていた。

 観光客たちは、彼らのスマートフォンやタブレットの画面に浮かんだバルーンのミニクイズを、のんきに解いてゆく。――リンカーン大統領の名演説めいえんぜつが行われた場所は? 1.ロサンゼルス 2.ゲティスバーグ 3.ホノルル……2! おめでとう、正解です!

 観光客が正解を入力する操作が、その裏で実は、ある『許可』を出してしまっている。『マルウェア』(悪意の攻撃ソフトウェア)をインストールする、許可を。

 「プログラムをインストールしますか?」という確認文かくにんぶんが、クイズの問題文にすり替えられている。「はい、インストールします」という同意どうい文が、クイズの解答文にすり替えられている。知らない間に、マルウェアのインストールを許可するボタンを、押させられているのだ。

 マルウェアを仕込しこまれた端末は、管理者権限かんりしゃけんげんを乗っ取られ、OSに『バックドア』(侵入しんにゅう用の裏口)を取り付けられ、侵入者の思い通りに操作されるようになってしまう。

 これが『中間者攻撃ちゅうかんしゃこうげき』だった。被害者と、本来アクセスしたいサイトとの間に、偽物にせもののサイトで割り込むから中間者だ。

 21個目の端末にマルウェアを仕込み終えたとき、『空白のスマートフォン』からの通信が途絶とぜつした。おそらくは熱暴走ねつぼうそうの末に、OSがハングアップして、機能停止きのうていししたのだろう。

 ぼくは偽物のサイトを閉鎖へいさした。観光客の何人かが、自分の端末を不審ふしんげにのぞき込んでいた。だが、ほとんどの観光客は平然としていた。モバイル端末特有の、Wi-Fi自動接続機能じどうせつぞくきのうによって、本物の観光案内サイトにつなぎ直されているからだ。

 ぼくは早速さっそく、マルウェアが仕込まれた端末のいくつかにアクセスしてみた。


 アラバマ州バーミングハムから来た鉄鋼製造業者てっこうせいぞうぎょうしゃのトム・オライリーは、リンカーン像の偉大いだいさに、素直に感動していた。彼は友人のウィリー・ハンクスに電話した。

 「北軍ほくぐん頭領とうりょうだろうが、××××びいきの××野郎だろうが、えれんはえれぇ! いやぁー、見に来て良かったわ!」

 彼はあたりり構わぬ大声でしゃべっていた。

 「わしゃー今、目に涙がにじんどる。ウィル、お前さんも見に来いや! アメリカを見に来いや!」


 日本の千葉から来た高校三年生の宮城昇太みやぎしょうたは、彼のヒーローが映画の中で活躍したその場に立ち、熱狂する思いをSNSに書き込んでいた。

 「メガ様が粉砕ふんさいしたやつだコレ! やばい脳からしる出そう」

 メガ様とは、映画『トランスフォーマー』に登場した悪のロボット『メガトロン』のことだった。昇太は陶酔とうすいの中にあって、自分の将来について決意を新たにしていた。

 「拙者せっしゃ必ずや、ハリウッドのCGアーティストになるで御座ござる!」


 マサチューセッツ州ケンブリッジから来た弁護士のジェフリー・エイブラハムは、彼のスマートフォンでリンカーン像を撮り、「今こそ地上に再臨さいりんし、大統領に再任さいにんしてくれないものか?」というコメントを添えてフェイスブックに投稿しかけ、思い留まった。フェイスブックは実名登録であり、彼は前途有為ぜんとゆういの才能を見込まれ、ホワイトハウスに招聘しょうへいされた、フェローだったからだ。

 エイブラハムは、仮名登録したツイッターに画像をアップしたが、コメントは添えなかった。


 世界各地から訪れた、21人の様々な思いを、ぼくは見、ぼくは聞いた。彼らの名前も、住所も、電話番号も、メールアドレスも、クレジットカード番号も、社会保障番号しゃかいほしょうばんごうも、家族や友人の連絡先も、職場や学校も、思い出の数々も、ぼくは知った。

 ぼくは中間者攻撃をやりげた。生まれて初めてのネットワークハッキングを、成功させたのだ!

 ぼくの心は、喜びとほこらしさに満たされた。でも、それだけではまだ足りなかった。ああ、ぼくが今、E-ブレインに接続されていたら、完全なぼくであったなら。

 心の底からの、燃え上がるような歓喜かんきたされ、みなぎり、あふれるのに……。



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