6.(ぼく) ハッキングの準備 / リンカーンも知らぬこと

 ナカニシは、バックシートにころがしてあったスポーツバッグを手元に引き寄せ、中から仕事道具を取り出した。

 「このスマートフォン、サブノートパソコン、Wi-Fiワイファイルーターは、俺が浮浪者ふろうしゃやとって現金で買わせたものだ。浮浪者名義めいぎ購入者情報こうにゅしゃじょうほう以外は、空白の状態だ」

 いずれの機器も、電源は切られていた。

 「これらは、俺たちにとって、トカゲの尻尾の役割をするものだ」

 ナカニシは、ノートパソコンとサブノートをイーサネットケーブルでつなぎ、サブノートを起動させた。ぼくはリモート接続によってサブノートを従わせた。次いでサブノートのパーテーションを切り分け、UNIXユニックスOSオーエス仮想かそうマシンとしてインストールした。さらにナカニシが起動させたWi-Fiルーターにサブノートを接続させた。

 これから先ぼくがやる事は、外から見れば『浮浪者の購入者情報を記録されたWi-Fiルーターと、サブノートのUNIX系OSがやる事』だ。そこから奥を見渡すことは難しい。

 「ハッシー、無駄な用心だと思うか?」

 「いいえ。用心に越したことはありません。E-ロボットの存在は国家機密こっかきみつですから」

 E-ブレインから切り離されたぼくの応答は、四角四面しかくしめんなものになった。

 「サイバー軍への制式採用せいしきさいようも視野に入った今、スキャンダルは禁物きんもつです。ナカニシ、この訓練は中止したほうがよいのではありませんか?」

 「馬鹿もん!」

 ナカニシはえた。

 「つまらんことを気にするな! どーんとやれ! 俺はなぁ、お前に、広い世界を見てほしいんだ!」

 「冗談だよ、ナカニシ」

 ぼくは笑った。

 「E-ブレインの助け無しでも、これくらいの冗談は言えるよ」

 「こいつ、俺をはめやがって……」

 ナカニシはしぶい笑いを浮かべた。

 「上出来じょうできだ。

 さて、俺は今から、リンカーン大統領のご尊顔そんがんを、間近まぢかおがんでくるぞ」

 ナカニシは『空白のスマートフォン』をポケットに入れた。軽く手を振り、ベル・エアのドアを開け、出て行った。ぼくは、車体の屋根を支えるピラーの一本に偽装ぎそうされたラジオアンテナに、ブルートゥース接続した。このアンテナは、モバイル端末のような、低出力の電波発信源でんぱはっしんげんを遠方から捕捉ほそくしたいときに使うものだ。

 これで、ぼくの仕事準備はすっかり整った。

 ナカニシは、青空の下、すっきりとそびえ立つリンカーン記念館に向かって、歩いてゆく。


 ワシントンDCは、さわやかな晴天に恵まれ、観光日和かんこうびよりであった。大勢の観光客が、リンカーン記念館を訪ねてくる。

 実際、素晴らしい見ものなのだ。リンカーン大統領は、野性的な風貌ふうぼう丈高たけたか痩身そうしんの取り合わせが、ダンディーでかっこいい。善行ぜんこうで知られ、人々の尊敬を集めている。彼が椅子にゆったりと腰掛け、おだやかにほほ笑む姿には、王者の風格ふうかくがある。ギリシャ風の円柱えんちゅうで構成された記念館は、アメリカの賢王けんおうの、永遠の居城きょじょうにふさわしい荘厳そうごんさだ。観光客はみな、満足そうだった。リンカーン像を背景に、写真撮影するグループは後を絶たない。ナカニシは観光客に混じって、『空白のスマートフォン』でパシャパシャ写真を撮っている。その姿は、まるでおのぼりさんだ。

 ぼくはサブノートを、ワシントンDCの観光案内かんこうあんないモバイルサイトにアクセスさせた。サイトのデータを、ソースまでもあまさずコピーする。UNIX系OSでサーバーを構築こうちくし、偽物にせものの観光案内サイトをでっち上げた。偽物のサイトに、本物には存在しない小細工をほどこす。バルーンに包まれたミニクイズをいくつか、出題させるようにした。『クイズを解くたびに、オリエンテーリングの達成ポイントが加算される』といったていのものだ。

 準備OKだ。ぼくはリモコンで、ベル・エアのクラクションを鳴らした。

 ナカニシは素早く、『空白のスマートフォン」のデータ通信機能を使って、サブノートにアクセスしてきた。偽物サイトのURLは、事前に打ち合わせ済みだ。両者りょうしゃの接続が確立された。

 ナカニシがベル・エアの車内で『空白のスマートフォン』の電源を入れなかったのには、理由がある。「ナカニシのノートパソコンや無線ネットワーク接続機器と、同一地点に存在する『空白のスマートフォン』」として、携帯電話会社けいたいでんわがいしゃに記録されたくなかったからだ。そうなっては、わざわざ浮浪者に買わせた意味がなくなる。

 新しいSSIDエスエスアイディー(サービス設定識別子せっていしきべつし)が出現した。ナカニシが、『空白のスマートフォン』のWi-Fiテザリング機能を解放したからだ。パスワード入力もID登録も無しでアクセス可能な『ホットスポット』の状態に設定されている。そして、そのSSIDは、本物の観光案内モバイルサイトと、同じものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る