4.(ぼく) 新しい教官ナカニシ / 初めての外の世界

 ぼくのE-ボディが試作2号機に更新こうしんされて間もなく、その男はやって来た。

 男は、ナカニシと名乗った。

 「お前は、電子回路内でのまわり方を、身に着けた。今後は、お前が人間社会に適応し、ハッキングを成功させるための訓練を行う。それにともない……」

 ナカニシは、にやりと笑った。

 「お前の教官きょうかんはロイディンガー博士から、このナカニシに変わる。了解りょうかいしたか?」

 「了解しました!」

 ぼくがナカニシの笑顔を見ることができたのは、ぼくがナカニシのノートパソコンの中にいて、そのインカメラを利用できたからだ。

 ナカニシは、背の高い男だった。

 せて見えるが、体の節々ふしぶしはごつごつしており、肩幅かたはばは広く、手足は長い。骨格こっかくの発達が見て取れる。動作は素早すばやい。実験機材を遅滞ちたい無く取りあつかう姿勢から、強靭きょうじんな筋肉の持ち主であると推測すいそくされる。

 総じて……『おおかみ』のような印象をもたらす人物だった。

 服装ふくそう綿めんのシャツ、ジャケット、綿のスラックス……『カジュアルファッション』だった。独自性を主張していない。


 ナカニシは、ノートパソコンを折りたたんでショルダーバッグに放り込んだ。ナカニシの改造で、折り畳んだ状態ではキーボードとモニターだけがスリープモードに入る。

 「では、校外学習と行こうか」


 ナカニシはぼくを連れ、建物の1階から出た。さり気なくたたずんでいる私服の警備員けいびいんに、わずかな頭の動きで答礼とうれいする。通りを渡り、振り返った。

 褐色砂岩かっしょくさがんで建てられた、倉庫ビルだった。第二次世界大戦前からそこにあった。部分改築かいちくされ、オフィスビルに仕立て直されている。ビルの銘板めいばんには「PCサプライ ダニー&ベイリー アーリントン第3ビル」と彫られている。だが、そのビルを、関係者はひそかに『フォート・ナラティブ』と呼んでいた。E=ロボットの研究・製造と訓練を目的とした施設しせつである。

 ぼくは、ショルダーバッグの側面そくめんに取り付けられたかくしカメラを使って、フォート・ナラティブを見ていた。

 これが、ぼくの生まれた場所か。ぼくの家か。

 外から見るのは、初めてだった。

 ナカニシは駐車場に向かった。白い塗装のつやせた、シボレーのベル・エアに乗り込み、走らせ始めた。ナカニシはダッシュボードからWEBウェブカメラを取り出し、窓を開け、カメラを屋根に取り付けた。

 道路は、ゆるやかな下り坂になっていた。坂の彼方かなたには、ぼくの知らない何かがあった。

 「ナカニシ、あのきらきら光る、平らで広いものは何?」

 「ポトマック川だ」

 「ポトマック川は……ちりちり揺れながら、動いている!」

 「そうだ。川は、海へと流れていく。ポトマック川は、チェサピーク湾へと向かっている」

 ポトマック川の水面を、きらきらと輝かせている、これが『光』なのか。

 外は、光のある世界だった。ぼくは光が差してくる方向へ、WEBカメラをパンした。

 そこには、青くみわたった何かが、どこまでも広がっていた。それは、透き通っていながら、どこかしらちりちりした散乱を宿らせていた。遠方は、より深い青みを帯びている。

 「これは……『空』だ! そうだね、ナカニシ!」

 「ああ、その通りだ、ハッシー」

 空には、白い……『雲』が、いくつも浮かんでいた。雲……『綿雲わたぐも』たちは、のんびりとくつろいでいるように見えた。そんな雲たちを……『風』が、ゆるやかに吹き流している。雲と風は、楽しそうに遊んでいた。

 雲の上には、何があるのだろう?

 ぼくがさらに上方にカメラをパンすると、突然、世界がぎらぎらする白光びゃっこうに満たされた。カメラの光電素子こうでんそし露出過剰ろしゅつかじょうを訴え、ソフトウェアはISO値アイソーちを急速に下げた。だが、下限かげんの50まで下げても対応しきれていない。ぼくはカメラの向きを変えた……『太陽』だ。これが、ぼくと太陽の、最初の出会いだった。

 「ナカニシ! あの空の向こうには、何があるの?」

 「宇宙がある」

 「もっと、あるんだ……」

 「宇宙を見たければ、夜が来るのを待て。今は、昼という時間帯じかんたいだ」

 「まだあるんだ! どこまであるの?」

 「どこまでも、どこまでも、果てしなくある。この世界の果てを見たものは、俺たち人間の中にもいない」

 ぼくは、おどろきのあまり、口も利けなかった。

 ショルダーバッグの中が、熱くなってきた。

 「熱いよ、ナカニシ、焼けちゃうよ!」

 電子回路にとって、熱は天敵てんてきだ。導線や回路部品かいろぶひんを構成する金属原子がね回り、電気抵抗でんきていこうが上がり、回路が焼き付いてしまう。

 「早く出して、熱暴走ねつぼうそうする!」

 ナカニシは、ベル・エアを路肩ろけんに寄せた。ぼくが入ったノートパソコンをショルダーバッグから取り出し、助手席の上で開いた。空冷くうれいファンが、効果を示しはじめた。

 「知恵熱ちえねつってやつか」

 ナカニシは、あきれていた。

 「こいつは水冷……いや、液冷えきれいに改造せにゃならんな」

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