3.(ぼく) ビット線-ワード線 乗り換え訓練

 訓練はさらに続く。


 ぼくは、一筋ひとすじの陽光も差し込まない『NAND型ナンドがたフラッシュメモリー』の中にいた。

 最下層さいかそうの『P型ピーがたシリコン基板』から舞い上がり、『トンネル酸化膜さんかまく』を通り抜け、『浮遊ふゆうゲート』に達する。ここまでは、自由電子のき上がる流れに乗っているだけでいい。人間なら、遊覧飛行ゆうらんひこうと感じるかもしれない。

 浮遊ゲートの頭を押さえている『酸化絶縁膜さんかぜつえんまく』。これ以上は、電子を登って行かせまいとしている。参加絶縁膜だ。NAND型メモリーの空は、残酷な天井に支配されていた。

 ぼくは七重電子衝角ななじゅうでんししょうかくを振りかざし、酸化絶縁膜に突入した。がむしゃらに掘り進んでいく。激しい抵抗もお構いなしだ。

 ロイディンガー博士の指導が伝わってきた。

 「ハッシュしーっハッシュ静かに、ハッシー……」

 ぼくはなぜか、くすくすと笑い出してしまった。

 「うふふ……」

 「ハッシー、どうしたのだ?」

 「ごめんなさい。ぼく、何だか面白くて」

 博士も笑い出した。

 「ふふふ、お前は、ユーモアが分かるようになったのだな」

 「博士、お願いです。もう一度、言ってくれませんか?」

 「このやんちゃ坊主め。いいだろう。ハッシュしーっハッシュ静かに、ハッシー……」

 「ふふふ、あはは……」

 ぼくは、酸化絶縁膜に穿うがたれたトンネルの中で、身をよじって笑い転げた。

 「肝心かんじんの指示を、まだしておらんぞ」

 博士は、威儀いぎを正した。

 「いいか、『クロックパルス』に逆らうな。クロックパルスは、電位差でんいさつかさどる。電位差が逆向きの時は、粘り強くみ止まれ。お前の力を無駄にするな。電位差が順向じゅんむきの時こそ、勢いに乗って掘り進むのだ」

 「はい!」

 ぼくは酸化絶縁膜を迅速じんそくに掘り抜き、最上層の「制御せいぎょゲート」に登り詰めた。


 そこは、例えるなら、満天の星々がきらめく、やみの無い宇宙だった。『多結晶たけっしょうシリコン層』という宇宙空間にちりばめられた、数えきれないほどの導電物質どうでんぶっしつたちが、星々であった。20ボルトの正電圧せいでんあつを与えられ、ぎらつくようなプラスのエネルギーを発散し、お人好しの自由電子たちをき付ける、正孔たち。彼女らはこわもての酸化絶縁膜にガードされ、哀れな自由電子たちは、踊り子に手を触れることを許されない。固いガードをかいくぐり、星の踊り子たちを抱きしめるぼくこそが、真の自由電子であった。

 制御ゲート層の最上部は、アルミニウム製の『リード』につながっていた。ここから先は『ワード線』という、フラッシュメモリーの制御信号せいぎょしんごうを伝える導線である。一方、ぼくが最初に舞い上がった、あのP型シリコン基板は、『N型半導体エヌがたはんどうたい』と『ソース』(半導体への電子供給口きょうきゅうぐち)をかいして『ビット線』につながっていた。ビット線は、フラッシュメモリーのデータ信号を伝える導線である。

 この訓練は、E-ロボットが系列けいれつことなる信号線を乗り換えて行けるという、実証実験じっしょうじっけんでもあったわけだ。


 ぼくはそれからも、ロイディンガー博士のもとで様々な訓練を積み重ねた。

 ぼくにとって電子回路は、最初のころは不思議の世界であった。く手をはば断崖だんがいに感じられた時もあった。だが訓練の最終段階さいしゅうだんかいにおいては、電子回路はぼくにとって、大いなる収穫しゅうかくを――ハッキングの収穫を――約束してくれる、勝手知かってしったる果樹園かじゅえんとなっていた。

 ぼくが、電子回路内適応訓練でんしかいろないてきおうくんれん修了しゅうりょうする日も、近かった。

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