小学4~5年生から中学時代
過去を振り返れば、そういえばあの時のアレってそうだったのかな?って思い出す事ってあるよね今思えばって事そんな話
自分の人生が、精神がおかしくなったのを思い返すと小学4~5年生位だったと思う
それ以前の自分ってどうだったろうって考えると割と普通の人生歩んでたと思う
小学4~5年頃その通っていた小学校の校門から校舎までの間に結構長い下りの坂道があって
近くに居た人に押されたような感じがあったようななかったような?
取りあえずゴロゴロ坂道を転がって後頭部を打ったらしい、本人普通にその後授業受けてましたが
その後の授業で休み時間かな?吐き気がしてゲーゲーしたら先生に家返されて
母親にも連絡が行ってたらしく病院へ連れて行かれて取りあえず何もないけれど念のため入院しましょうと
入院してからは吐き気収まったけど3日位様子見入院したのかな?
今思えばそのころから段々精神的に異常が出て来たんだと思う
何で、と言われるとそれ以前まではなかった、学校に行く度にお腹が痛くなるという事案発生
1時間目にお腹ゴロゴロいわせながら「先生トイレ行っていいですか」の人生が始まった
これが実に小学5年生~中学3年まで続いたのだよ、毎朝起きて学校行くとなるとお腹ゴロゴロしだして
漏らすのを我慢しながら学校へ行き続けた、何時だったか1度盛大に漏らした事がある、隠蔽に失敗した思い出
当然母親には「お腹痛い学校行きたくない」と駄々捏ねる、時には熱があると体温計をスリスリして温度を偽るテク
靴を隠して布団と布団の間に挟まって押入れに隠れるがスグに見つかったりする不思議事件
母親はお腹痛いのを嘘だと思い続け信じてくれなかった、ただ学校サボリたくてそう言ってるんでしょうという心理
なんせ20年以上前の話だから精神疾患?なにそれオイシイノな時代だったしね
しょうがないと言えばしょうがないが理解してもらえないこっちからしてみれば苦痛以外の何物でもない訳で
ちなみにお腹が痛いのは基本的に家から学校に付いて1時間目にトイレ行っていいですか、の恒例行事が終わった後はお腹も治まって普通に過ごせたのだよ
授業前に出せばって思うだろうけど出ない時が多くて仮に出ても、結局授業始まってから又ゴロゴロし出すっていう
だからかな、こんな引きこもり案件になってもおかしくない事態だったのに毎日学校行ってたのはあの当時頭のネジがユルかったんだと思ってる
次の朝またゴロゴロ言わせながら学校行く癖に帰りには友達と一緒に普通に笑って帰るって言う、これも後遺症ですかね?そう言いたい
備考①この頃から見えないストーカーが存在していた様子、自分で言うのもアレだが人形みたいに可愛いかったんです、テヘペロ
ああ、親父の話を挟もうか、小学生時代、親父は週末になると次女と末っ子の俺を毎週デパートに連れてってた、一見いい父親に見えるだろう?
デパートについたらひたすら大人の速度で自分の見たいものだけ見て決して後ろを振り向くことはなく進んでいくので俺はよく迷子になっていた
親父が良く言ってたセリフ「お前はいつも迷子になるな」はい、親が子供から目を離すとは説教もんですな
その後はデパートの食事処で昼食済まして帰るっていう、別に何か買ってくれる訳でもない恒例行事
ある日、宝石売り場で立ち止まり俺たち2人にこう聞いた「お前らならどれがいい?」当然俺たちはこう聞く「ママにあげるの?」
「馬鹿!違うよ!」・・え?浮気してるんすか?宝石売り場のお姉さんが苦笑していたのが印象的だった
ある日親父が先頭でチャリで走ってて俺が後ろでコケテ親父に待ってと泣きながら叫んだが親父は赤信号になりそうな信号を渡ってひたすら無視
近くを通りかかったおばちゃんが助け起こしてくれた「ひどいお父さんね」全くです
遠出したデパートで俺はかき氷を頼んだ、親父は先にラーメンを啜り言う「運ぶ時にこぼすなよ」フラグが立った!
ワザとじゃないよ?こぼしました、泣きました「だから言っただろ!!」怒鳴ってそのままラーメンを啜リ続ける、助けてくれない、周りのお客と店員さんの親父を見る目が印象的だった
比較的プールや色々連れてっては貰えたけど基本迷子、母親が居るときは平気、当たり前ですね、前々から気になってた、遠出以外で長女と長男は何時も居ない
週末は結構連れまわされたけど良かった思い出が1つもない不思議・・・
中学の時箪笥に隠す様にコン○ームさんが居た、使いかけだった、宝石店が頭によぎる1枚こっそり抜き取る、翌日には箱が消えていた、進行形か
20歳ちょいまで親父が何の職業についてるのか知らなかった、家事と育児に参加しない人のへの興味なんて0ですわ
親父と小学生編~はこの位で続きを書こう
どうすれば休めるんだと躍起になっていた小学校卒業~からの中学生になりました、思春期です羞恥心がガンガン上がるお年頃です
その頃になるともう母親は理解してくれないと諦めた、俺も中学になったら少しは隠れる以外にも考えるのさ!
となると次は保健室や!そうや保健室ってものがあったじゃまいか、とさすがに毎日じゃないけど週3位でお邪魔してた
どれ位だっただろう半年もなかったような気がするけど、ある日保健の先生が「精神的な物じゃないのそれ?」と言い出した
俺も俺で精神的な物なの?マジで?じゃ親にそういってくだしぁ信じてくれないんです!
駄菓子菓子!保健の先生はそれを母親には報告せず結局「もう保健室に来ない方がいいよ」と言われて避難先を失ったジーザス
引きこもりは当時もかなり少ないが存在はしていた
実際友人の1人が不登校で引きこもってた、それを何故マネなかったんだろうと思う今日この頃
強引にでも無理に引きこもれば解って貰えてたのかな?
それからは自分を守るために逃げた、つまりサボった、午前は逃げ回って午後になったら授業行く感じで周りからは不良扱いされてたが知るか
そんな事してたら学校から自宅に連絡が行くだろうと思い、家を出る前に電話線を抜いて出て行った、ちなみにこの時代黒電話が普通だった
親父が「今日家に電話したけど全然繋がらなくって」と聞いてひやひやした俺はここで誤魔化さないといけないと思い
「壊れてるんじゃないの?」そう繰り返し言ってみたら新しい電話になっていて内心笑った
そんな学校生活をしている内に中学3年の何学期だっただろう覚えてないけどいつの間にかお腹痛くなる事がなくなっていた
逃げ続けたのが功を奏した様だ!俺の勝利!だがサボってたのもばれたので母親にも不良扱いされた、解せるがムカツク
そしてそんな頃になってから何故か先生が体調に気を使って来る様になったという、え?今更?ねぇ今更、もう大丈夫なんですけどねぇ今更!?
お腹壊してトイレ行くことを次女は知っていた、だって見てたもんコソコソトイレに行くその姿、別の教室だったけど目合ったもんな?
それが毎日だか知らんけど噂にはなってたみたい、だがやはり母親には言わなかった、なんでやねん
そろそろ卒業位の時期に世間話の様に母親が「お腹ゆるいんだって?友達のお母さんから聞いたけど、そういえば末っ子の事好きな子がうんぬん~」
おま!!流すな!流すのはトイレだけにしろ!
備考②電車に乗ると気分が悪くなるのは小学生の時から今もずっと変わっていない、酔う感じじゃない、やはりお腹ゴロゴロ系
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。