act.4 地球の罪

act.4-1

 2035年1月。人類は大きな決断を迫られている中、また新たな年を迎えた。

医療技術の発達により、先進国では寿命が延び超少子高齢化社会が加速。一方で発展途上国では増え続ける人口。国連の調査によると2034年には人口が105億人を超えたらしい。地球上に人が住める場所は限られている、そしてその場所はもう、ほぼ無い。墓石を立てる場所も無くなるのではないかと心配になる。



西暦2035年1月3日 10時05分

アメリカ合衆国

メリーランド州


 タバコを咥え、テレビのニュースを眺めながらソファーで脱力している。

「もーパパ~。ジムの服買いに行くんだから、早く出る準備してよ~」

「はいはい。パパは家でも休む暇ナシだ」

「も~~」

タバコの火を消し、ソファーに掛けていたジャケットを羽織る。タバコだって今では超高級嗜好品だぞ、と心の内で愚痴る。小物入れからサイフと車のキーを取り、パンツのポケットへ突っ込む。

「さぁてジムボー、出かけるぞ~」

息子を両手で抱え上げ、妻のエリーと共に家を出る。


 自宅を出て、街のショッピングモールを目指す。ジョン・F(フレディ)・エマの休日。


10分程車を走らせた。

後部座席では、エリーと息子のジムがおもちゃで遊んでいる。バックミラー越しに見て、少し口元が緩む。

車のテレビから流れていた音が途切れ、着信音が鳴る。

「すまない、上司からだ」

「あら」

そう一言断り、テレビモニターをタッチして電話に出る。

≪ああ、おはようエマ。休日の朝にすまないね。運転中か?≫

「課長、おはようございます。大丈夫ですよ」

≪そうか。すまないが、明日8時に本部へ来てくれないか? 上から直でのお呼び出しだ。私もどういう案件なのか分かっていないのだが……≫

「国からという事ですか? なんですかね、大丈夫ですよ」

バックミラー越しにエリーの呆れた様な視線が刺さる。

≪すまんね。明日の休みを明後日に振り替えとくから、それじゃあ≫

「分かりました」

そう言い、通話を切る。

「明日はうちの実家に一緒に行く予定なんですけど?」

「ごめん、明後日にしよう。そうご両親にも俺から言っておくから」

「仕事が大切なのも分かるけどさぁ~もうちょっと家庭を大事にして下さらないかしら?」

エリーがシートの後ろから手を伸ばし、ジョンの両頬をつねる。

「国から直で来た話だ、何か重要な案件かもしれない」

「はいはい」

「国の為に働く事は、君たちを助ける事に繋がっているんだ」

「はいはい、分かっております~」

ジョンの右側から顔をのぞかせるエリーと目が合い、軽いキスをする。



西暦2035年1月4日 7時50分

アメリカ合衆国

アメリカ合衆国環境保護庁(EPA)本部

ロビー


「ジョン・F・エマくんだね? 会えて光栄だ。私はクリント・エラ」

そう男は言いながら右手を差し出してくる。

「どうも。NASA(アメリカ航空宇宙局)のパイロットが何故ここへ?」

首に提げられたIDカードを視た。

「スカウトさ」

「?」

「エマ、こちら――」

「NASAの戦略課所属、デリッター・デップだ。宜しく」

課長を遮り、この男も右手を差し出してくる。

「はじめまして……」

不審な表情を浮かべながらそれに応じる。

「君、火星に行きたくないか?」

クリントが聞いてくる。

「え?」

「え?」

ジョンも課長も同じ言葉を返す。

「2040年計画。40年までの国家戦略の中枢は、地球外への本格的な移住だ。月、スペースコロニー、そして火星だ」

「はぁ……?」

呆気にとられる。

「君の経歴が中々面白くてね。地質学と大気化学に精通しており、更に高校・大学では飛行機で空を遊びまわっていた。それなのに今じゃ環境保護庁のオフィスで能力を燻らせている。これ程宇宙(そら)に出るのにピッタリの人材なのに? 勿体無いね!」

デリッターへ視線を向けながらクリントは笑い、更に言葉を続ける。

「経歴から考え、君には火星での環境調査、及び生活環境構築のリーダーになって貰いたい」

脳みそが動き始める。少し残っていた眠気が飛び、背筋から全身に鳥肌が立つのが分かる。自分の中に眠っていた何かが再び燃え上っている。

やりたい、宇宙に行きたい、火星に行きたい!

今にもYESと答えてしまいそうだ。

「ハハ! 今にもYESと答えてしまいそうな顔だな!」

クリントは笑っている。

「えぇ、まさか30を迎えた男にこんなストーリー展開が待っているとは。脚本家(ライター)が狂ったかな?」

口角が上がるのを押えながらジョンは答える。

「どうかな、俺は書き間違えた覚えはないが! まぁここで今すぐ答えを聞こうなんて思っちゃいない。“なるべく早く”答えは欲しいが」

そう言いながら名刺を差し出してきた。

「どうか宜しく頼む」

さっきまでの表情から一転、真剣な眼差しでクリントが言う。

「へへっ……。地球に墓石を立てられる場所が無いんじゃないかと心配していたが、その必要は無くなりそうだ」

「よく家族と相談するんだな、んじゃ俺は他の人間にも会わないとならんので。また会おう」

「ありがとうございます。良い返事が出来る様に」

「頼んだよ」

デリッターもそう言い残し、EPAの受付へ向かっていった。

「エマ君、君本気で……?」

課長が問う。が、エマの耳には入っていない。

こんなチャンス、逃すわけにはいかない。好奇心が、ジョンの体を乗っ取る。

 これが、彼らとのファーストコンタクトだった。



西暦2035年2月15日 8時40分

アメリカ合衆国

メリーランド州

ジョン・F・エマの自宅


「あなた本気?」

エリーが真剣な眼差しで問いかけてくる。

「あぁ」

ジョンもはっきりと短く答える。

「ジムは? 私はどうなるの?」

「君たちは連れて行けない。家で待っていて欲しい」

「イヤよ! どうしてあなたが火星なんかに行かないといけないの?」

「これからの人類の為、君とジムの為だ。もう地球に人は住めなくなるかもしれないんだ。俺は火星に人が住める環境を作る為に力を貸したい、何か人類の役に立つ事をしたいんだ」

「あなたが行かなくても他の人が行けばいいじゃない! 住めなくなるかもって、現に今こうやって普通に生活できてるじゃない!?」

「今は良くても、ジムが大人になる頃を考えてくれ。君だって同じ職場で働いていた人間だろう?」

「……。どうしてそんな冷たい事が言えるの? 私は普通に、一緒に暮らしていきたいだけなのに」

「すまない、まさかこの歳でこんなチャンスに巡り合うなんて思ってもいなかった。もし火星に行く事が5年前に決まっていたら、結婚もしていなかっただろう」

「……よくそこまで言えるわね……」

エリーは黙り込んでしまった。

「君たちはここで待っていて欲しい。俺に帰る場所を用意しておいてくれ」

ジョンは思ってもいない事を口に出してしまったと気付いた。

「なら、私も火星に行くわ」

「は? ダメだ、ジムはどうする?」

「両親に預けるわ」

はぁ? ともう一度声を漏らすジョン。

「お願いだ。正直この計画はとても危険だ、君を連れてはいけない」

「ジムがどうでもいい訳じゃない、それ以上にあなたを愛しているの。一緒に行かせて」

エリーの目は真っ直ぐジョンの眼球を刺す。ジョンは曖昧に目を泳がせる事しか出来なかった。

なんと弱い男だろう。



西暦2035年9月10日 13時00分

月面都市 セレニティ・シティ

第一工業区画 第一造船所


「これが火星船団旗艦、“マーズ・ペリーヌ”だ」

クリントの説明に、宇宙港に鎮座する船を眼下に収め、一同が目を輝かせる。

「国連が建造しているペトロネール級巡洋艦を超長距離航行用に改修した船だ。同型艦があと18隻、それにプラス輸送船が12隻の全30隻で火星を目指す」

地球での訓練を終えたジョンら“火星船団”の主要乗組員達は、月にて建造されている艦の見学に来ていた。

ドック脇の会議室の窓から皆が覗き込み、感嘆の声を上げている。

「これで火星に行くのね」

エリーが横で声を漏らす。

「ああ」

2036年1月の出航まで、火星船団メンバーは月面都市、及び月周辺宙域にて無重力・低重力下での訓練が行われる。

地上での訓練以上に様々な課題が課せられるであろう。

主に各々の専門分野に特化した訓練であるが、生活自体も月軌道に浮かべられた船で過ごす事となり、無重力かつ密閉空間での生活に慣れる為の訓練も兼ねられる。

ジョンは低・無重力下での環境調査の方法を体に染み込ませる必要がある。

「皆さん、地球での訓練完了、おめでとうございます」

会議室に入るなり、言葉を発した初老の男。

その男を見るなり、クリントがビシと敬礼する。困惑する他の団員達。

「お久しぶりです、ドウェイン大佐殿!」

「やめんかクリント、ここは軍じゃないんだ」

「ハハ、この癖はもう暫く抜けません」

このドウェインと呼ばれた男が呆れたように苦笑いしながらクリントを見送りつつ、会議室前方の演台に立つ。

「私が、火星船団団長兼、このマーズペリーヌ艦長に任命された、ドナルド・ドウェインだ。宜しく頼む」



西暦2035年11月5日 12時50分

静かの海 南50km地点


≪“エソー”展開完了、成分調査へ移ります≫

≪了解≫

「エソー、成分分析開始」

モニター越しに月面の様子を見ながらジョンが無線を受け取り、報告する。

月面に鎮座する白い箱、“エソー”と呼ばれている箱。4つの足で土を捉えそびえ立っている。箱の上部・側面が開き、通信用アンテナや月面の大気や地表の構成物質を計測する為の機材が伸び出てくる。まるで触手の様だ。

ジョンら指揮官は、月面に停泊している国連軍訓練船“ゲッコー号”第三艦橋に居た。今日は地球より運び込まれたエソーの運用試験兼、低重力下での作業訓練を行っていた。まぁ火星の方がもう少しだけ重力は強いはずではあるが。

「地層調査開始します」

エリーが報告を入れてくる。妻ではあるが、ここでは同僚だ。火星船団へは技術者の2等身内の親族の乗り込みが許可されているが、妻は一技術者としてこの船に乗り込む事を決めた。家族としてではなく、同僚として火星へ行く。それがせめてものジムへの配慮だったのか。僕は直接妻に聞いてはいない。

「この辺りは地盤がユルいな。あまり地層分析のテストにならない」

「まぁ今日は初日だし、ゆっくりでいいんじゃない? 作業の方は順調に進んでいるし」

「そうだな……」

妻の声は、いつも僕を冷静にさせてくれる。

 ふと艦橋の窓へ目をやる。北の方では、巨大なドームが建設されているのが見える。月面都市“セレニティ・シティ”に次ぐ第二の都市“トランキィ・シティ”の開発が進んでいた。地球からも多くの労働者が雇われ、“ムーン・ドリーム”等と呼びはやされ地球からはるばる出稼ぎに来ているらしい。一部では不当な労働等の黒いうわさも聞くが、今の僕には分からなかった。



西暦2035年12月31日 14時50分

月面都市 セレニティ・シティ

第三宇宙港 出発ロビー


「本当に火星へ行っちゃうんだねぇ」

エリーの母が、エリーを強く抱擁しながら溢す様に言う。

「ごめんねお母さん。ジムを頼むわ……」

エリーも涙をこらえている事は明白だ。自分自身も泣きそうである。ここまで来て急に襲い来る不安。目の前の自分の息子を抱きかかえる。

「ジムボー、パパとママは少しの間だけ旅に出てくる。すぐに帰ってくるから、おばあちゃん達の所で良い子にしてるんだぞ」

「たび……?」

純真に真っ直ぐにこちらを見てくる真ん丸な青い瞳は、心の奥底、海底まで差し込む光の様に刺さる。

「あぁ。地球のみんなを助ける為の、大切な旅だ」

「パパはヒーローなの?」

「……あぁ、パパはヒーローになるんだ」

自分がヒーロー? 火星に行きたい探究心で動いているだけの自分が何を言うか。心の中で、自分の放った言葉が鋭い棘を持って動き回っている。

「そっか……。大好きだよパパ」

「パパもだ」

思わず涙が溢れ出てくる。止められない。

「ほら、ママにも」

そう声を震わせながらエリーへジムを手渡す。泣いている俺を見た所為か、エリーも涙を隠さず溢し始めた。

「ママ、泣いてるの?」

抱きかかえられたジムが聞く。強くジムを抱きしめるエリー。

「ごめんね。すぐ帰ってくるからね」

「ママ、苦しいよ……」

「ごめんね、ごめん……」

そう言い、ジムを下へ降ろす。

「お義母様、ジムを宜しくお願いします。そして、エリーをお預かりします」

「ジョンさん、がんばってね」

「お義父様にも、宜しく。良い2036年を」

そう伝え、エリーの母と手を繋がれた息子を見送る。

≪15時30分発、ワシントン国際空港行き、搭乗開始時間となりました――≫

アナウンスが流れ、言われたゲートへ向かう2人。ジョンとエリーは、二人寄り添いながら、偶に振り返り手を振ってくる息子を目に焼き付けた。

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