第17話 勝正④-5
「すいません、お待たせしてしまって」
「いいよいいよ、結構前から来てゆっくりしてたから。何飲む? いつもの?」
「お願いします」
立花さんが入って来てから、心臓の動きが早まるのを感じる。それをなんとか悟られないように、そしていつも通りを装って、立花さんと言葉を交わす。
立花さんの声色からは、特に僕への失望は感じられなかった。彼女もまた、平然なフリをしているのかもしれない。
マスターにオリジナルブレンドを少し大きな声で頼み、頷くマスターを見て椅子に腰を降ろす。
よし、謝ろう。
大丈夫だ、あの日ラインを送信してからの三日間、彼女の都合があうまで、ずっと謝る予行練習をしてきた。
――君の善意を台無しにしてしまって、申し訳ないと思ってる。その事について言い訳するつもりはないし、失望してくれて構わない。だけどもし立花さんが、まだ僕と顔を合わせようと少しでも思ってくれているのなら、これからもこうして、ここで話をしてくれないか。
これを言って、後は流れだ。ダイジョウブ、アドリブは得意、だと思う。
「へぇ、じゃあ今は実家へ帰ってるんですね」
「うん、弟の遺品を整理しに」
本当はコウと飲んだ後、流れで実家へ帰ることになったのだけれど。いや、そういうことじゃなく、言わなければ。
立花さんのコーヒーが届いてしばらく。僕は二杯目のコーヒーを頼み、立花さんのカップも、僕からじゃ陶器の色しか見えない程度に減ってきていた。
謝るチャンスは、何度かあった。だけども立花さんが僕の事を嫌っている場合を考えると、どうしても練習した言葉が口から出てこなかった。
きっと彼女も、あの日の事は心のわだかまりになっているに違いない。今日限りで彼女と顔を合わせられなくなったとしても、僕の行動のせいで、立花さんの感情にしこりを残すのは嫌だ。
僕は考え、
「立花さん、僕のクビに抗議してくれたって、本当?」
「突然ですね」
多少無理にでも、話題を寄せる事にした。
当たり前に彼女も驚いた様子だったけれども、この内容が僕の口から出る事を多少は予想していたのか、喜怒哀楽の表現が豊かな彼女でもリアクションは控えめだった。
彼女は手に持っていたマグカップをコースターに置く。
「私を助ける為に南篠さんがああしたのは、私自身が一番わかっています。もちろん塩崎さんを蹴った事は許されない事だと思います。でも、それでも南篠さんを助けたかった」
僕がもう少しだけ大人だったなら、彼女のこの言葉を全て肯定して、練習した謝罪の言葉をすんなりと言えたのだろう。
だけど、僕は子供だった。
「違うよ、立花さん。あの時の僕は、塩崎への憎しみで動いていたんだ。僕は立花さんが思っているより、醜い人間なんだ」
彼女の失望する顔が頭を過る。まぁしょうがない、ここで嘘を付ける程、僕は器用な人間じゃなかったのだ。
彼女は顎に手を当てて、唸った。予想とは違うリアクションに、僕は重ねて言う。
「君が僕の処分を、休職まで引き下げてくれたことだって僕は無駄にしてしまうんだ。塩崎みたいな奴を見ていると、怒りが湧いてくるようになってしまってね。この仕事を、続けられるとは思えない」
自分で言っておいてどうかと思うけど、この発言の後、会ってくれますかと言って、素直に頷く人はいるのだろうか。
僕は内心、彼女の事を諦めていた。僕は立花さんを異性として意識している。だけどもこの命がどうなろうとも彼女をモノにしてやる、なんて気概は持ち合わせていない。草食系男子だ、相手が引いたら、諦める。
僕はもう席を立とうとすらしていた。だけど彼女の言葉がそれを止めた。
「南篠さんが醜い人間だったら、あのセクハラ親父は何になるんでしょうね」
彼女の声には少し、怒りが混じっているような気がした。そして、それは僕に向けられたモノだというのがわかる。
「まず最初に、南篠さんがどういう心境で私を助けてくれたのかですけど、私にとってそれはどうでもいいんです。南篠さんが私を助けてくれたという事実が、何より嬉しかったんです。だからお礼の言葉は受け取って下さい。いつ言おうかって、ずっと考えてたんですから。上の人達に掛け合って、南篠さんの処分を軽くして貰ったのも私の勝手です。だから謝る必要は無いですし、むしろ辞める仕事を先延ばしにさせてしまった罪悪感で、こっちが謝りたいくらいですよ。いいえ、この際だから謝ります、ごめんなさい!」
言うと、立花さんは頭を深く下げる。
。
どうしてだ、どうして僕が先に謝られているのだろうか。
「い、いや! 僕のほうこそゴメン! 立花さんには色々雄太の事でも親身になってくれたのに、こんな事になっちゃって」
僕も負けじと謝る。
「いえ私の方こそ」「いや僕の方が」と押し問答を繰り返して数回、立花さんが笑い、エクボが浮かんだ。
――彼女の笑顔を見て、僕も笑う。僕が予想していたよりも遥かに、立花さんは優しい人間だったようだ。彼女とひとしきり笑った後、コーヒーを飲み干し、この店で初めてワインを頼、む。それにソーセージの盛り合わせと季節野菜のキッシュ。
今日は多くを話そう、そう思った。彼女もそれを、受け入れてくれた。
それから僕は、立花さんに今までの事を話した。ムラサキの事、それを通じて成長したコウ、賢治君、牧田さんの話。彼らが雄太の死を力に変えたという事も伝えた。
母さんの事も話した、以前彼女には母さんとあまり顔を合わせていないことを教えていたので、とても安心した表情で「良かった」と言ってくれた。
そして、彼女と話している内に、コウが言ったあるセリフを思い出した。
「僕も少しずつ、前へ進める様になった気がする。この休職中に、コウと母さんに会ったんだ。二人とも偉いよ、雄太の死を受け入れて、前へ進もうとしてるんだから。だから僕も、前に進みたくなったんだ。だから今日、立花さんを呼んだんだ」
アルコールが回っているのがわかる。だけど今の僕には、好都合だった。三分の一程度になっていたワインを一気に飲み干し、
「コウ、僕の従兄が言っていた言葉を今思い出したよ。お前が気付いていない所で、雄太の死は糧になっているかもしれないって。僕はそんなワケ無いってその時は思った。だけど、皆とは違う形で、雄太の死は僕の糧になっていた」
僕は立花さんを見る。彼女も僕と目を合わせて、柔らかい笑みを浮かべていた。
「立花さんが、僕にとっての糧だったんだ。雄太の死があったから、立花さんは僕を気にかけてくれた。そして立花さんはどうかわからないけれど、僕は君とまだ一緒に居たいと思っている。僕は人に暴力を振るって、これから職を無くす様な人間だ。だけどまた君と会いたい、もっと話をしたい。だから――僕と付き合ってくれ」
言ってしまった。本来の僕だったら、もっとずっとずっと先に言う予定だったセリフ。だけどアルコールのせいか、雄太のせいか、随分予定を早めてしまった。
立花さんは僕と目を少しの間合わせ、顔を僅かに俯かせる。
駄目だったか。でもまあいいや、気分は妙にスッキリしていた。
「私で良ければ……お願いします」
「え?」
お願いしますと、彼女は言った。それはつまり、僕の告白を受けるということだ。不慣れな僕は理解が追い付かず、聞きなおす。
「二度は言いませんからね!」
駄目だった。でも僕の聞き間違いじゃなければ、彼女はイエスと言ってくれた。間違いない、あの立花さんが僕にイエスと言ってくれた。
「南篠さん、すっごく変な顔してます」
「はは、ゴメンゴメン、つい嬉しくて」
ふと、彼女の様に笑える日は来るのか。そう思った事があるのを思い出した。
――今なら笑える。
僕は精一杯の笑顔を作った。それを見て、彼女も笑った。
雄太の死は、確かに僕の枷となった。
だけど同時に、糧でもあった。
皆の、雄太の死を知った人すべての枷になり、そして糧になった。
つまる所人の死と言うモノは、豊穣だった。
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