第15話 勝正④-3
チャッ、チャッ、ポチャン。
僕の投げた石は、二回だけ跳ねて落ちた。
「二十点って所だな」
「自分は一回も跳ねなかったくせに」
「俺が従兄弟の中で一番運動音痴なのは知ってるだろ」
と言って、僕の従兄であるコウはまた石を掴み、池に向かって投げた。
ポチャン。
「何点?」と僕はワザとらしく聞く。
「改善点は見つかった、四十点」
どうして僕より高いんだろうか。
僕達は都城にある公園の一つ、神柱公園へ来ていた。神社と公園が一体化している大きな公園で、ハトと鯉がいる池なんかもある。
「それにしても久々だな、ここに来るの。中学以来か」
「だね、僕らが先輩後輩だった頃以来だよ」
コウと僕は一時期、先輩と後輩の関係だった。同じ部活に入っていたのだ。
二人とも実力はイマイチだったけれども、それなりに先輩後輩として汗を流していたと思う。
特にここが思い出の場所というワケじゃない。部活の大会帰りに、たまたま寄っただけの公園だ。だからこそ、今の僕にはうってつけだった。
石の代わりにコンビニで買った食パンを千切り、池に放り投げる。
すると群がる様に、鯉がパンを食べようと集まって来た。
「寄って来た寄って来た」とコウは言いながら、スマホで写真を撮っている。
「ツイッターにでも上げるの?」
「ああ、賢治君も誘おうと思ったんだが、学生だしな、サボるワケにも行かんだろう」
今日は平日だった。コウも本当は仕事だったらしいけど、仮病を使ったらしい。コウはスマホをグレーのコートにしまうと、僕と同じようにパンを千切って撒き始める。
「なんかコウ、明るくなった?」
「相変わらず目は死んでるがな」
コウは否定しなかった。雄太の幼稚園に行ったとき以来コウとは顔を合わせていない。その時よりも確かに、コウの表情は柔らかかった。
もともとが無表情だから気付かない人が大半だろうけど、僕にはわかる。
「ムラサキの正体が痣だったなんてね、ラインで聞いた通りだと、確かに筋は通ってるし」
僕はパンを千切りながら、コウへ言う。
あの日、コウ達はムラサキの正体を突き止めた。結局、雄太の将来なりたかったモノは、牧田江美さんのような、優しい人間になりたかったという結論らしい。
コウは少し苦笑し、
「いや、無理矢理当てはめただけで、雄太の間違いって可能性の方が高いぞ。でも、俺達は必ずしも真相を突き止める必要は無かったんだ。各々が納得できる、最良の答えを見つけられればな」
「ムラサキの正体が牧田さんの痣って答えが、一番良かったってこと?」
コウは頷き、余ったパンを口の中に入れた。
どうしてこの答えが、最良の答えとなったのだろうか。もっと綺麗な理由を付けれたんじゃないか、雄太本人は居ない、高校生を言いくるめられる程度の頭は、持っているハズだ。
コウはパンを飲み込むと、再び喋り始めた。
「実は、牧田江美は不登校でな。不登校になった原因がその痣だったんだ。顔の痣で虐められたことがトラウマで、周りの生徒からの陰口に、過剰に反応してしまったらしい。今回のムラサキの一件で、少なくとも多少、トラウマを解消できたと思う」
僕はコウの話を、相槌も打たずに聞いていた。ただ鯉に餌をやるだけ。だけどコウは気にすることなく喋り続ける。
「賢治君は、雄太の為に何かをするっていう事自体が大切だったんだろう。何でも良いから雄太の為に行動して、雄太の死を乗り越えたかったんだと、俺は思っている。現にもう、あいつはお前らの実家に行ってないみたいだしな」
コウは口を止め、スマホを再び取り出した。多分これでこの話題は終わり、ということなのだろう。自分自身のことには触れずに。
「各々の中に、コウは含まれてないのかな」
コウは自分の事をあまり喋りたがらない。喋る時はよっぽどの時だ。体の空気を抜くように息を吐いていくコウ。
「まぁ、俺も賢治君と似た様なモノさ。ムラサキを通して、何もしないで生きる自分を変えたかったんだ。最初は自分の気持ちが、無力な自分が出来るせめてもの雄太への償いと思っていたんだが、どうやら違ったらしい」
確かに、ムラサキを追うコウはらしくなかった。自分や誰かの為に行動するコウを見て、違和感を覚えたのは確かで、雄太の死を通じて、変化していくコウを羨ましく思っていた。
一方僕は。
「コウ達は、雄太の死を力に変えたんだね」
自分を変える力に。
僕もある意味では変わった。だけどそれは、最悪な変化。
「僕は雄太の死を、枷にすることしか出来なかったんだ」
最後の一欠けらのパン屑を投げる。
鯉が餌が無くなったと気付き、散り散りになったのを境に、僕はまた口を開いた。
「今日は、無理に来てくれてありがとう。ちょっと誰かと話したかったんだ、なるべくどうでも良いような場所、今の自分を忘れられる様な所で」
コウが少し笑う。
「その話し相手に俺を選んでくれてありがとう。期待に応えられるかは知らんが、まぁ、ここに来た時よりは幾分かマシな顔にしてやる」
コウが言うのだから、相当酷い顔を僕は今しているのだろう。
僕はあの日起こった出来事、それが今どうなったのかを、コウへ話し始めた。
「集合場所に来れなかった時、ちょっと職場で問題が起こったんだ。利用者の一人が、職員に度が過ぎたセクハラをしている所を目撃してね。そこで僕は、セクハラをした利用者に暴力を振るった。本当は僕は退職するハズだったんだけど、セクハラを受けていた職員が必死に上司に頼み込んでくれて、とりあえず休職で済んだ……でも、僕はこの仕事を、辞めると思う」
少しだけ沈黙し、鳩の鳴き声と羽音が耳に入る。コウはただ次の僕の言葉を待っていた。僕は口に出す言葉を決め、再び言う。
「雄太が居なくなってから、僕には介護職を続ける上であってはいけない感情が芽生えてしまったんだ。どうして雄太が死んで、こんなゴミみたいな人間がただ生き続けているのか。長生きしているだけの奴等を、僕は憎むようになってしまった」
立花さんとは、あの日から連絡を取っていない。彼女は僕が職を無くさない様に尽力してくれたことは、上司から聞いた。休職期間は二ヶ月、塩崎が園を変わるまでの間だ。
それまでに僕は、新しい職場を探さなければならない。もう、あの場所に戻ろうとは思っていなかった。
「ただ生きてるだけのヤツなんて、腐る程いるだろ。それこそ俺だって。一日一日を無駄に過ごすのが精いっぱい、それが普通な奴だっている」
コウは水辺に投げる石を探しながら言う。
「そんな奴等を憎む様になった。なるほど、確かに枷だな」
ヒュッ、チャッ、チャッ、チャッ。
コウの投げた石は五回跳ね、沈んでいった。
「おぉ」と自分で感嘆の声を上げるコウ。
「確かに死は、枷になるだろう。俺達はこれから死ぬまで、ふとした事で雄太の存在を思い出しては、溜め息を零すんだと思う。だがそれと同時に、雄太の、いや、人の死は糧になると俺は確信している。勝正にだって、いつか」
コウは立花さんと似た様な事を言っていた。
きっと事実なんだろう。雄太の死が、僕の人生にプラスへと働くことは、いつかはあるのだろう。だけども。
「いつかって、いつさ。僕はこの悲しみと憎しみから、いつ解放されるんだよ。いつ前を見て生きて行けるようになるんだよ」
僕は声を震わせて言った。天職だと思っていた仕事が、就いてはいけない職に変わり、弟を失い、母さんも心を病んでしまっている。
「勝正、俺は雄太から死は豊穣なんだと学んだ。人の死は、心の血肉になるのだと知った。だがそれが、必ずしも良い方向へと向かうとは限らないのかもしれない。死は、薬であり、毒でもあるのだろう」
コウは自分の考えを口に出して、整理しているかの様に見えた。コウ自身が思っていることを、僕に共有させたいのだろう。
「どうやら俺には、お前の心を癒すことは出来ない様だ。だが勝正、一つ聞かせてくれ。お前は雄太の死を、どう思っている」
「……何も成せずに死んだ、無意味な死」
実の弟の死を、こんな風に言うなんて、兄として失格だ。だけどこれが僕の本心であり、事実なんだ。コウにどう思われたっていい、本音を吐き出したかった。
コウは「そうか」と言って僕の正面に立つ。
「俺を殴れ勝正。その後、俺もお前を殴る」
「え?」
一発殴られる事ぐらいは覚悟しての発言だった。けど何故僕が殴らないといけないのか。
「無意味な死なワケ無いだろうがよ! 俺は雄太が死んで、無気力な自分を変える事が出来た! 賢治君も、エミマキも、別の形で雄太の死を糧に変えた! お前だって気付かない所で、雄太の死が糧になっているかもしれない。それに、これを聞いた雄太は酷く悲しむだろう。だから俺はお前を殴る。だが、従弟と弟の死じゃ、感じる悲しみの大きさも違うだろうし、将来の夢だった仕事を辞めるかもしれないお前の心情を想像すると、同情の心と、何もしてやれない自分への怒りが生まれてくる。だから俺を殴れ! お前を救えずに、お前を殴る俺を!」
なんだ、結局僕がコウを殴る理由なんて無いじゃないか。コウの自己満足だ、僕を殴る罪悪感を、少しでも和らげる為の頼み事。
だけど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。今日コウを話し相手にして、本当に良かったと思う。僕の本音を聞き、それを否定し、だけどそう思ってしまう僕を肯定してくれたコウが話し相手で、良かった。
僕はコウの顔を思いきり殴った。
「マシな顔とは言えないかもな」
二人で一発ずつ殴った後、自販機で缶コーヒーを買って飲む。
「そうかな、ちょっとだけ心がスッキリした気がするよ」
「顔は無いだろ顔は、おかげで俺も顔殴らないといけなくなっただろ」
「ごめん、そういうモノかと」
「明日もバイトだぞ俺は……というか今日もサボって遥々電車でここまで来たんだ。どうして往復二千円を使ってまで、顔を殴られないといけなかったのか」
提案してきたのはコウだと思うのだけれど、そこにはツッコまないでおこう。
「ごめんごめん、代わりに奢るよ。二人でお酒、まだ飲んだこと無いし」
「じゃあ、子供の頃家族で行った居酒屋に行くか、まだ続いてれば良いが、潰れてたらチェーンで」
それから、二人で子供の頃に連れて行かされた居酒屋で、思いっきり飲んだ。
まだお酒に慣れていない自分だったけど、それでも吐くまで飲んだ。
そういう日だから良いんだと、二人で良い、お店で一番高い、魔王という焼酎を飲んだ。味は覚えていない。
途中、いつかはこの中に雄太が入るハズだったんだろうなと思い、酒の力を借りて思いっきり泣いた。これがコウの言っていた、死ぬまで雄太の存在を思い出すって事なんだろう。
なら良い、最高だ。
雄太の事を、一生忘れなくて済むのだから。
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