第9話 エミマキ⓶

 普通とは違う。

 ほんの少し、ほんの少しでも周りと違うだけで、簡単にそれは侮蔑の理由になる。

 私は十五歳でこの事実を 無理矢理あの人達に教えられた。

 ベッドの横に置かれているボード。そこに置かれてある手鏡を手にして、自分の右頬を見る。


 すっかり消えたソレがあった場所を手でなぞって、溜め息を吐いた。

 私は、生まれつき痣が残りやすい体質で、一度出来た痣は三ヵ月は残ってしまう。

 高校に入る少し前、私は自転車で思いっきりこけてしまい、自転車は中学を区切りに新しいママチャリに変わり、同時に右頬に痣が出来た。



 私だって思春期の女子だ、顔に痣が出来てそのまま過ごすワケにはいかない。

 だけども私が行く学校は化粧禁止で、濃いファンデーションで誤魔化したりは出来なかった。

 そこで私はマスクを使うことにした。マスクなら校則に違反するわけでもないし、不自然でも無い。

 幸い痣は大人用のマスクで隠れる場所にあって、痣が消えるまでの何か月かマスクを付けっぱなしにして過ごそうと決めた。



 けど、 

『マスク女子』

 これが私の最初のあだ名だった。

 入学式から二ヶ月経っても私が一度もマスクを外さないものだから、クラスの中で私はそう呼ばれていた。もちろん私に聞かれない場所で、結局聞こえていたのだけれど。

 これだけで治まっていれば良かった、だけど事件は起きた。



 私の学校は、授業の初めに起立して先生に礼をする。その時、マスクを着用して礼をすることを快く思っていない先生が居た。

 事件の時、その先生は機嫌が悪かったらしく、マスクを外して礼をするよう私に言ってきた。

 私は自分で言うのも何だが、素行は悪くない。ただこの時ばかりは、素行の悪い生徒になりたかった。

 だけども人間そんな簡単には変われないし、演技力もない。

 私はマスクを外した。



 一瞬、クラスがシンとなったかと思うと、すぐざわつきに変わり、私のあだ名が新しいものに変わった。

『痣オバケ』

 こっちは直接言われた事もある、この日から、イジメは始まった。

 イジメの内容はあまり思い出したくない、

 元々パッとしなかった私の高校生活はたった三ヶ月で幕を閉じた。



 お父さんとお母さんに、私が学校に行かなくなった理由は伝えていない。

 だけども私が最後に学校から帰って来た日、学校のスリッパで玄関を開けた私を見て、大体は察したんだと思う。

 夏休みに入る少し前だから、七月のあたり。

 痣も消えかかってはいたけど、私が頬を見せても苛めは終わらなかっただろう。



 気付けば五カ月も経った、あと少しで半年。

 冬休みに入る前、担任の先生が家に来て留年の話をされたけど、私は焦らなかった。

 その時はもう、このままで良いと思っていたから。

 鏡を置いてパソコンの画面を見ると、SNSの通知、コットンさんからだ。



コットン『今時間ある? あったら聞きたいことがあるんだけど』



 コットンさんが自分から何かを誘うなんて珍しい、ゲームでも大抵私が話しかけて、流れで一緒にプレイするのが殆ど。

 まぁでも多分、ゲームのことだろう。



エミマキ『大丈夫ですよ、どうしましたか?』



 ゲームのアイコンをクリックして、ログイン画面を開き、IDとパスワードを入力してエンターキーを押す。

 まだコットンさんはログインしていない、

 SNSに戻るとコットンさんから返信が来ていた。



コットン『わるい、こっちで話せる内容じゃないから、ダイレクトメッセージの方で』



 ダイレクトメッセージ、個人間でしか見えないプレイベートチャットのことだ。

 そっちを見てみると、既にコットンさんからのメッセージが。



コットン『今雄太が幼稚園生の頃に一緒だった生徒を探しているんだけど、心当たりはないか? 今探しててな』


 雄太君と同じ組だった人を、私は知っている。


エミマキ『私、雄太君と同じ組でしたよ。小さい頃のことなので、あまり覚えていませんけど』


こっとん『マジ?』


エミマキ『マジです』



 ――ピンポーン。

 当たり前だけど唐突にインターホンが鳴り、それを誰かか受ける。足音が静かだから、お母さんだ。

 インターホンが鳴るとイヤな気持ちになる。担任の先生が来たり、生徒指導の先生が来たりするからだ。

 コットンさんからの返信は来ない、珍しく予想外の事態に戸惑っているんだろうか。



 気を紛らわせるために、私からコットンさんへメッセージを送ろうとキーボードを叩いていると、

「江美ちゃん、お友達よ」

 扉越しから母の声。

「出たくない」

 そもそも私を訊ねてくる友達なんて思い浮ばない。中学の頃だって、親友と呼べる友達は居なかったし。

 多少仲の良い友達はいたけれど、とてもじゃないが今の私を見せたくなかった。



「江美ちゃん、出てくれないかしら。凄く真剣な顔だったの彼」

「彼って、男?」

 私には男の友達は居ない、ネットなら居るけど。

「ええ、雄太君の事で聞きたいことがあるって」

「南篠君の……」

 もしかしたら、コットンさんの聞きたい事と関係があるのかもしれない。そもそも私と南篠君の共通点って殆ど無いし。



「わかった、出る。十分くらい待って貰って」

 っていうか、

「名前は聞いてないの?」

 お母さんは「あっ」と言うと、すぐに階段を降りて行った。少し抜けている。

 ただ、大体の予想はついていた。南篠君について知りたくて、私と関わりがある人と言えばかなり限られてくる。



 コットンさんと、南篠君とよく一緒に居た、祝田君。

 会うのは嫌だ。直接祝田君は虐めてこなかったけど、それでも私が不登校なのは知っている。会いたくない理由には十分。

 でも。

 祝田君の聞きたいことが何にしろ、私が協力する理由もある。

 私はコットンさんに会ってみたくて、葬儀に行った。行かないよりはマシだって言い聞かせたけど、理由が不謹慎だったことには変わりない。

 この罪悪感が一つ。



 あと一つは、キッカケになるかもしれない、そう感じたから。

 私が一歩前に進むための、キッカケに。

 どうしてかはわからない、だけど、無性にそんな気がした。

 私は部屋のドアを開けた。



「じゃあ、ドリンクバー二つと、大盛りフライドポテトお願いします」

 周りは子連れの家族、仕事帰りっぽいサラリーマン、制服を着崩した高校生、勉強中の人と様々。

 そんな中へ私達は見事に同化していた、ファミリーレストランに親以外と来るのは初めてだったけど、意外と私達と同じくらいの歳だけで来ている人も多い。



 対面の祝田君は注文を受けて去って行くウエイトレスさんを目で見送っている。と思いきや不意に周りをキョロキョロし始めた。祝田君も来るのは初めてっぽい。

「あ、あったあった、飲み物注いで来るわ」

 うんと頷く、私は席が取られるかもしれないから待機だ。祝田君が戻ってきたら紅茶を注ぎに行く。



「行かねぇの?」

 うんと頷く。

「うい、じゃあ俺が注いでくるから、何飲む? コーラ?」

 いやいや、そんな人に飲み物を取りに行かせるような身分じゃない、首と手を横に振る。

「ん? 別の飲みたい?」

 そうだけど、そういうワケじゃなくて。



 私は祝田君に口を開けずにいた。半年近く親以外とのコミュニケーションを取っていなかったせいで、思うように言葉が出せない。コットンさんとも全く喋れなかったし。

 確かに元々人と話すのは得意じゃなかったけど、ここまででは無かった。

 私たちの間に沈黙が少しだけ生まれ、祝田君が口を開く。



「ジンジャーエ―ル?」

 首を横に振る。

「んじゃ、カルピス」

 手を横に振る。

「お茶?」

 惜しい。

「紅茶とか!」

 首を縦に動かす。

 祝田君はグッとガッツポーズをし、

「っし、じゃあちょっと待ってて。飲みながら話そうぜ、暗い感じにはしたくないからよ」



 愛想笑いをしようとしのだけれども、上手く顔が動かなかった。そもそもマスクをしているから、祝田君に表情は見えない。そう気付いたのは祝田君が紅茶とコーラを持ってきた時だった。

 軽い礼をしながら紅茶を受け取る、氷は入っていない。

「氷入れるか迷ったんだけどさ、入れるの嫌いって人多いじゃん? 入れなくて怒るヤツは居ないだろうから、そんまま持ってきた」

 合理的だ、失礼だけどツンツン頭と剽軽な顔からは想像しにくい。



 祝田君は座るとコーラを少し飲み、厨房がある方を見ながら、

「ポテトだからすぐ来ると思うんだけどな、結構込んでるし、時間かかるかもしれないけど」

 私は体を揺らすようにして頷いた。いい加減口を開け、私。

 正確には口は開いている、喋り方を忘れたかのように、声が出てこないのだ。

「飲まねぇの?」



 祝田君に促され慌ててグラスを両手で取り、飲もうとする、けど。

 マスクが邪魔だ。当たり前だけど、マスクを取らないと紅茶は飲めない。

 でも、取ったら祝田君にどう言われるだろう。冷やかしの一つや二つ言われるかもしれない。

 祝田君を見る、祝田君は祝田君で落ち着きが無く、またキョロキョロし始めた。雄太君の事を早く聞きたいんだろう。

 私が紅茶を飲んだのをキッカケに、口火を切ろうとしているのかもしれない。

 そう思うと、マスクのゴム紐に手をかける事が出来た。



――何も言われませんように、何も言われませんように。

 私は外す最後の瞬間までそう願い続けた。傍から見れば、痣はとっくに消えてるんだから躊躇する意味がわからないと思われるだろう。

 だけども私は不安でしょうがなかったんだ。痣が無くなったら無くなったで、また別のあだ名、蔑称が付けられるんじゃないのかなって。

 でも、

「ポテトまだかなぁー、まだ夜飯食ってないんだよ。来たら追加でなんか注文すっか」



 それは杞憂に終わった。

 祝田君は蔑称を付けるどころか、私がマスクを外したことに眉一つ動かさない。

「……んで」

「ん?」

「何で、私がマスク外しても、何も思わないの?」

 久々の画面越しじゃない、他人との会話。その会話は、私が一番嫌いな話題だった。

「マスク外したくらいで驚く程リアクション芸人じゃねぇよ俺、いやまぁ、マスク外して何か出てきたらビックリするけど、何もねぇし?」

 祝田君は続ける。

「つかやっと喋ってくれたな、無理矢理喋らせるのもヘンだしよ、良かったぜ。んじゃ、さっそくだけど雄――」

「私が何て呼ばれてたか知ってるくせに!」



 昔より声は出なかったけど、それでも今の私にはマックスの声量だった。

「マスク女がマスクを外したんだよ、じゃあ何が出てくると思う? 痣オバケ、知ってるでしょ。祝田君だって私の事陰で言ってたに決まってる!」

 私は祝田君が困惑すると思っていた、なんで痣が無いんだって。でも祝田君は何も動かなかった、それどころか呑気にフライドポテトのことを考えていた。

 今だって、私の顔を見て気まずそうに目を伏せたり、狼狽するハズなのに。

――祝田君は、私を真っ直ぐ見ていた。



 そして、

「ごめん、牧田さんが苛められてたっていうの、気付いて無かった……いや、これじゃ言い訳だよな。気付けたハズなのに、気付かない様にしてたんだ。……とりあえず、座れよ」

 気付くと私は立ち上がっていた、殆どのお客さんの視線が私に集中している、しまった。

 すぐに座って、マスクをして顔を隠す。



「ホントはこの話、雄太の事聞いてからしようって思ってたんだけどな。まぁ順番が逆になっただけだ、覚悟はしてた」

 祝田君はパンと両手を下に置いて、

「もう一度言う。わるかった、ゴメン」

 言って深く頭を下げた。

「き、気付いてなかったなら……あ、謝らなくても」

「いいや、気付かない様にしてた俺が悪い。そういう、俺が嫌な気分になりそうな雰囲気から逃げてたんだよ。だから牧田が虐められていたことに気付けなかった」

 頭を下げながら言う祝田君。



「あ、上げてよ頭……もういいから」

 そんな事言われても、私は祝田君に対して許すとか、許さないとか思えない。

 確かに祝田君は私に直接虐めをしてこなかったし、今言った事も本当なんだろう。

 でもだからこそ、納得できなかった、謝る必要が無いからだ。

 祝田君はゆっくり顔を上げる。

「んじゃ、もう一回」

「え?」



 すると、祝田君は再び「ごめん」と言って頭を下げ始めた、額が机に着くまで。

「ちょっと、もういいって……!」

「いや駄目だ、代わりに俺が頭下げねぇと」

 私が困惑して手を右往左往させていた何秒間か、祝田君は頭を下げ続けた。そして、また顔を上げて、

「雄太の分だ、あいつの分も俺が謝らねぇと。あいつ、お前の事心配してたから」

「南篠君の……?」



「ああ」と頷く祝田君。それとほぼ同時に、フライドポテトがテーブル中央に置かれた。

 私は箸で一本、祝田君は手で三本掴んで口の中に入れ食べながら喋る。

「雄太はお前が虐められてた事に気付いてた。でも心配はしても、助けるまでは出来なかった。それをきっと、アイツは後悔してる。だから謝った」

 まただ、また祝田君は納得できないことを言う。

 謝るべきは私を虐めていた人で、助けてくれなかった人たちじゃない。だってしょうがない、虐めを庇えば、庇った人が次の標的になることは良くある、しょうがないんだ。



 でも私はこの時、祝田君へこのことに対して文句を言うまでには至らなかった。

「ポテト、ちょっと冷めてるな」

 だって、さっきまであった祝田君の硬い表情が――クラスの時に見せていた、皆を照らす様な明るい顔に戻っていたから。

「……ふふっ、多分店員さん、気まずくてポテト持って来れなかったんじゃないかな」

「ん、まぁ確かに牧田の声結構大きかったもんな」

「土下座する勢いで頭下げてた祝田君も大概だけどね」

 二人でちょっとだけ笑い、私はマスクを外して大きく息を吐く。

 今はイジメのことは忘れよう。このマスクも外そう、祝田君の前なら大丈夫だ。 



「ふぅ、で、私に聞きたい南篠君のことって何?」

 祝田君が私に会いに来た理由はこっちだ、力になれる自信は無いけど。

「おう、んじゃ先ずさ、牧田ってマキダって読むのか?」 

「そうだけど……それがどうかしたの?」

 私が言うと、祝田君は小さくガッツポーズをする。

「じゃあ牧田の保育園って、久利須保育園だよな?」

 前のめりになって聞いてくる祝田君に、私は少し仰け反って答える。

「う、うん……その後引っ越したから、小学校は他の子と違う所だったけど」

 それと南篠君とどう関係があるのか、私はわからない。

「じゃあ! ……いや、ちょっと待て。なんでマキタって呼ばれても訂正しないんだよ」



 確かにもっともだ、だけども。

「ど、どっちでもいいかなって」

「自分の名前なのにか?」

 私は頷く。だって一般的には牧田の読みってマキタだし、相手が呼びやすい方で言って貰えば私は全く構わない。

 名前をカタカナで書くときは、流石にマキダで書いてもらうけど。

「そういうもんかねぇ」

 祝田君は納得していないようで、腕を組んで唸っている。でも、

「ま、いいか! マキダが良いなら……って、今更言い難いな、ずっと頭の中マキタって呼んでたしなぁ」



「べ、別に無理して変えなくても……」

 私は本当に呼ばれ方への拘りが無い。先生がマキタと最初に私を呼んだときも、訂正せずにそのまま返事をした。

 だけどもやっぱり祝田君はそれじゃダメらしい。

「あ、じゃあ下の名前で呼ぶわ、そっちの方がすんなり言える……どうした?」

 私は目を丸くした、お互い思春期の高校生だ。下の名前で呼ぶのは仲が良い人って決まってる、ましてや男女ともなると尚更だ!



「それはちょっと……」

 全力の否定だ、大人しいながらも私はノーの姿勢を表す。

「んー、じゃああだ名とか?」

 あだ名と言われてパッと思いつくのは一つしかない。でもこの呼び名をリアルの知人に呼ばれるのも抵抗がある。

 私は頭の中で幾つか自問自答し、

「エミマキ、とか……」

「お、なんかしっくり来るわ」

 ネットのハンドルネームで呼ばれることを選んだ。下の名前は恥ずかしすぎるし、上の名前も祝田君が納得しそうにないから。



「じゃエミマキ、幼稚園で誕生日会みたいなのがあったの、覚えてるか?」

 私は紅茶を飲み、一考する。

「将来の夢とか、好きな食べ物を先生達に聞かれるヤツなら」

 私がその時何と答えたかすらも忘れたけど、そんなイベントがあった事は覚えている。

「なら雄太が年長組の誕生日だった時に『ムラサキ』って言ったの、覚えてるか?」

 言われて、すぐには思い出せそうもなかった。



「ちょっと思い出してみる」と言って席を立ち、紅茶を注ぎに行く。マスクをして。

 ムラサキかぁ……好きな色とか? でもそんなことインタビューされただろうか、他の子のインタビューも思い出そうとしてみるけど、南篠君はおろか誰一人の誕生日会も思い出せない。

 アールグレイのティーパックを棚から選び、マグにパックを入れお湯を注いでいく。



 何か印象的な出来事でもあれば、思い出せそうな気はするのだけれど、現状思い出すのは難がある。

 そもそも南篠君が当時好きだった色を知りたいなんて話自体おかしい気もする。もっと祝田君に話を聞いた方が良いだろう。

「ごめん祝田君、すぐには思い出せそうにないみたい。でも話を聞いたら、思い出せるかも」

 席にもどるなり、私は祝田君に言った。



 祝田君は少しだけ残念そうな顔をしたけど、ポテトを食べてすぐ表情を切り替える。

「おっけ、俺が知ってる限りを話すわ……つっても、知ってる事全然ないんだけどな」

 それから祝田君は、南篠君が将来の夢でムラサキと言った事、彼の性格を考えると冗談で言ったり、緊張して間違えたとは考え難いこと、ムラサキが何だったのかを知りたいのは自己満足で、自分の知らない南篠君を知りたいという事を話してくれた。

 その話の中で、コットンさんだと思われる人も出て来た。きっとコットンさんもムラサキについて私に聞いてみる気でいたのだろう、帰ったら伝えよう。



 コットンさんについて祝田君に聞きたい欲が少しだけ生まれたけど、それは胸にしまわないと。今は南篠君のことだ。

「ごめん、やっぱり思い出せそうにないかも……でもそれだけインパクトのあるタイミングなら、流石に覚えていると思う」

 いくら思い出しても南篠君の誕生日会は頭に描かれない。記憶力は良い方じゃないけど、自分で一切を思い出せない事に違和感があった。

 気付くとポテトが4本だけ、私は引き篭もりのおかげで胃が小さくなっていて、もう食べる気はなかったので祝田君に残りをあげる。



 祝田君は「そうかぁ」と何回か呟きながらポテトを食べ、ドリンクバーでまたコーラを持ってきて座る。

「んじゃよ、幼稚園の頃の雄太って、どんなヤツだった?」

 本題の答えは出せないと思って、別の話題に切り替えるらしい。

「高校の頃と同じで、凄く大人しかったよ、少なくとも私とは全然話さなかった。タイプが全然違ったし」

 紅茶を飲もうとしたけど、祝田君に言葉で遮られる。

「おいおい、雄太とエミマキって似た者どうしだろ、同じタイプに見えっけどな」

 高校の私しか知らない祝田君としてはもっともな意見だ。だけどちょっと説明するのは恥ずかしい。



「え、えっと、信じて貰えないかもしれないけど、小学校低学年くらいまでは、結構明るい方、だったから……」

 私自身も過去の自分をそっくりそのまま自分だと言い切れないけど、確かに当時の私はおてんば娘という言葉がピッタリな子供だった。

 当時私は団地に住んでいて、男の子と遊ぶのが当たり前、もちろん幼稚園でも。

 引っ越してからは、放課後にも遊ぶような友達が出来ずに、急速に大人しくなっていき今の性格に落ち着いたけれど、少なくとも幼稚園の頃は活発な女の子だった



――。



 あれ?

 一瞬、頭の中に妙な違和感が生まれた。巨大な黒い靄が、頭の中に。だけどそれスグに消え、私も深く考えない事にする。

「なるほどなぁ、まぁ確かに小さい頃の性格のままってのも、変な話かもな」

 祝田君は案外すんなり受け止めてくれた。でも思ったように成果が得られない事にイラだったのか、ツンツン頭をワシャワシャと掻き、

「じゃあその頃幼稚園で流行ってたモンの中に、ムラサキって言葉が出てきそうなヤツとか無かったか? あーでもこれコウさんが散々調べただろうしなぁ、あ、いやでも身内だけの遊びとかもあり得るのか」

 独り言を言いながら次の質問を考えているようだ。私も期待に応えられるよう考える。



 ムラサキ、むらさき、紫、パープル、ぶどう、クレヨン、アサガオ。

 幼稚園の頃を想像して浮かんだワードを脳内で口に出してみるけど、しっくりこない。

 でも、考えている内に、どこか頭の中に答えが眠っている様な感覚があることに気付いた。さっきの黒い靄とも、関係があるかもしれない。

 時間があれば、思い出せるかも。



「ごめんなさい祝田君、やっぱりまだ思い出せそうにない……でも、何か思いせるかもしれないから、時間をくれない、かな」

 皮肉だが今の私には考える時間は多量にあった、もしかしたら帰ってからコットンさんとのチャットで思い出せるかもしれないし、帰る途中にふと思い出せるかもしれない。



 祝田君は少し唸り、

「わかった、じゃあライン交換しとこうぜ。わかったら即、連絡で!」

 多分ポケットであろう場所に手を入れて、スマホを取り出す祝田君。

 順風満帆な高校生活を送っている高校生なら、異性とのライン交換も何気なくこなすんだろうけど、私の青春は止まっていた。

「えっ、えっと、ごめんなさい、私ラインのアカウント持ってなくて……」

 自分で言うのも悲しい現実だ。

 スマホは持っているのだけれど、高校入学祝いで買ってもらったので、中学の知人やもちろん高校での顔見知りともラインの交換はしていない。

 その時が来たらインストールしようと思っていたのだけれど、今の今まで私が思う『時』は訪れなかった。



 タイミング的には今がその時なのだろう。けども、だけども最初の交換相手が男子というのは少し緊張してしまう。

「まじか、スマホは?」

「持ってるけど、インストールはまだ……」

「んじゃ今しようぜ、あ、嫌だったら別の連絡手段使うけど」

 嫌じゃない、ただ初っ端から男子と交換って所が……ああ、もう。

「わ、わかった、今からダウンロード、するね……」

 覚悟を決めた、他人から見たらちっぽけな出来事で大袈裟だなと思うかもしれない。だけども半年の不登校生活が、他者と関わることを防ごうとするバリケードを完成させてしまっていたのだ。



 少し前の私なら間違いなく断っていた。思えばコットンさんへ会いに行ったことも、以前からは考えられなかっただろう。


 以前っていつ?

 

 キッカケは何?


 答えは明白だった。



 スマホを操作する手を止め、ポツリと言う。

「――私にも南篠君の事、色々教えてくれるかな」

 雄太君の死が、私の今を変えるキッカケになっているんだ。

 

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