第8話 賢治②
雄太が亡くなってから、この教室は凄く静かになった。
けど時間が経つにつれ、少しづつ前の教室の雰囲気に戻り始めた一月の末。
「出席とるぞー」
の、朝会。
先生は数日で普段の無気力先生に戻った。
クラスメイトも、感傷的なヤツと雄太と親しかったヤツ以外は普段通りに近い。
「祝田ー」
「はい」
返事をする。前はおちゃらけた返事でクラスを盛り上げていたが、当分それはしないだろう。
流れ作業で出席を取っていく先生、そして。
「牧田ー……は、欠席」
いつもの場所で流れを止める。おまけにいつもの様に、クラスの雰囲気が重くなった。
牧田江美、二学期から学校に来なくなった不登校。
具体的な原因は知らない、だけどなんとなくは分かる。いや、わかるっつーか、教えて貰ったんだ。
雄太は生前、牧田江美の事を気にしていた、異性として、とかじゃなくて、虐められてるんじゃないかって。
結局それは事実で、牧田は不登校になった。
雄太はこのことを凄く後悔していて、多分死んだ今でも、気にしていると思う。
牧田は雄太の葬式に来たんだろうか、あまり周りに気を配る余裕が無かったから、もしかすると来ていたかもしれない。
彼女が虐められていた理由はわからない。大人しくてあまり喋るヤツじゃなかったし、話したこともない。
彼女はいつ学校に復帰するんだろう、俺が雄太のことを吹っ切れるのとどっちが先になるか。
ただ牧田の方はともかく、俺はキッカケを持っている。
コウさんから教えて貰った、雄太の将来なりたかった『ムラサキ』。コウさんは聞き間違えたんだろうとか言ってたけど、多分違う。雄太は本当にムラサキになりたかったんだ。
そのムラサキの正体を、俺は明日雄太の兄ちゃんと、コウさんとで調べに行く。
これが立ち直る一番の近道とは思わない。だけど俺はそれでも、目の前のキッカケを掴まずにはいられなかった。
嬉しいことに、コウさん達も乗り気だ。俺と似た様な気持ちを、二人も持っているのかもしれない。
早く明日になれ。
俺は寝られそうな授業に目星をつけて、朝礼を続ける先生を他所にシャーペンを回し始めた。
「おはようございます……って、コウさんメッチャ機嫌悪そうっすね」
「九時に起きることなんて滅多に無いからな、あと単純に寝起きが悪い」
初めて会った時もコウさんはブッチョウ面だったけど、今は目のクマと肌の血の気の無さが、それを助長させていた。
というか、九時って早いのか?
「遅れてごめんね賢治君、家探すのに手間取っちゃって」
俺が疑問に思うとほぼ同時に、運転席に居る勝正さんが手で謝る仕草をしながら言う。
でもおかしいな、俺の家結構目立つ場所にあるんだけど。
「変な所でウソをつくなよ、俺が寝坊したんだよ。だから遅れた」
頭を掻きながら欠伸をするコウさん。葬式の受付をしていた時とは別人にしか見えない。
「大丈夫っすよ、俺も準備手間取ってたんで。えっと、スマホの充電とか」
言って、開けられたままの車の中に「おじゃます」と二人に言いながら後部座席に座る。
「んじゃ、行くか」
「運転するのは僕だけどね」
運転を始めて三十分あまり、都城の外れ近くまで勝正さんが運転し、目的の場所に着いた。
「ふわぁ、ここが雄太の育った幼稚園か」
目を覚ましたコウさんが言う。
続いて、背伸びをしながら勝正さんが言った。
「なんか前見た時より小さくなってる気がする」
勝正さんもこの幼稚園が出身らしい。小学校を卒業してから、こっちに引っ越して来たと言っていた。
確かに雄太からもそんな話を聞いた覚えがある。
「勝正が大きくなったんだろ。ここは大して変わって無いんじゃないか? 設備も殆ど、新しそうには見えないからな」
確かに、年季のあるイメージが強い幼稚園だ。でもそれは僕らには助かる。
「あまり変わって無さそうで助かるっすね、ムラサキの正体がわかんなくなるかもしれないですし」
「まぁ、そもそも正体なんてあるのかさえ不明だがな」
コウさんは言って、また頭を掻きながら幼稚園の中に入っていこうとする。
「コウさん、こういうの勝手に入っていいんすか?」
コウさんはちょっと誤解を招きやすい見た目をしている。だからもし不審者なんて思われでもしたら大変だ。
「大丈夫だ、訪問するとは職員の人に伝えてある」
振り返らずに言うコウさん、イマイチ掴み所の無い人だなぁ。
コウさんとは雄太のおじいちゃん達の家で会って以来、ラインでだけど定期的に連絡を取っていた。
ラインのプロフィール欄に『反応する時はします』なんて書いてあったけど、コウさんはその通り、既読スルーだったり、三分以内に返信する暗黙のルールを完璧に無視していた。
友達付き合い苦労しそうだなと思って、そのあたりを聞いたことがあるけど、コウさんが言うには「友達が居ないから大丈夫だ」と言っていた。大丈夫じゃない。
続いて園内へ入っていく勝正さん、それに俺も続く。
「コウさんって、昔からあんな感じでマイペースなんですか?」
勝正さんはうーんと少しだけ考えて、
「確かに昔からマイペースだったけど……そうだなぁ、特に顕著になったのは高校卒業してくらいだね。あの落ち着きぶりは二十前半じゃないよね、高校までは年齢なりにマイペースって所だったけど、今はもう、一種の悟りを開いてるよ、コウは」
確かに、マイペースだけでは済まされない落ち着きぶりだとは思う。家が火事になっても落ち着いて貴重品だけ持って避難する姿が簡単に目に浮かぶ。
「やっぱ社会人と学生じゃ全然違うんですね、確かコウさんって、高卒でしたよね?」
社会人になってから、より一層落ち着きに磨きをかけたって事だろう。
俺は何気なく言ったつもりだったが、聞いた勝正さんからの返事は返ってこなかった。
もしかして受験失敗とか、コウさんのトラウマ的な出来事があったんだろうか。
勝正さんは幼稚園の門をくぐり終わると、コウさんに聞こえない音量で俺にポツリと言う。
「コウにも色々あったからね、今は立ち直ってると思うけど……コウって何考えてるかわからないからなぁ」
なにやら随分深刻に勝正さんが言うのに対して、この時の俺は愛想笑いで誤魔化すことしかできなかった。
中に入り、コウさんは職員さんと話に職員室へ、僕と勝正さんは園内の広場を散策していた。
「勝正さんも、ここ出身なんすよね」
「そうそう、でも結構変わってるから、あんまり実感は無いね。見た事ある遊具も、こんな小さかったかなぁ、なんて感想ばかりだよ」
勝正さんは大型トラック用のタイヤで作られた跳び箱の様なモノを触って言う。
俺は周りを一周見て、
「ムラサキ……的なモンは無さそうっすね」
俺が見る限り、ムラサキに当て嵌まりそうなモノは無い。まぁ、そもそもすぐ見つかるとは思ってないけど。
「だね、当時の雄太が見てたアニメも一通り調べてみたけど、ムラサキって言葉が出てきそうなのは無かったよ」
俺は唸る。
来てみたは良いけど、ヒントになりそうなものすらパっと見無い。
あとはコウさん次第か。
コウさんはマイペースだけど行動力はある。ムラサキの正体を確かめたいって言ったのは俺だけど、実行に移したのはコウさんだ。事前に幼稚園に連絡も入れていたようだし、三人の都合を合わせたのもコウさん。
「コウさんって行動力ありますよね」
「ないよ」
即答だった。
「え、でもここに来たのってコウさんが色々予定を決めてくれたからで……」
年上の人に意見するのは運動部柄苦手だけど、反射的に言ってしまった。
「それがヘンなんだよね、ゼッタイこんなことするタイプじゃないのに。ムラサキについて調べようって言われた時も、最初は断ったんだ、僕は雄太が緊張して言った言葉と思ってたから。でもコウがあんまりしつこいモノで」
どうやら普段のコウさんと、俺の知っているコウさんはちょっと違うらしい。
「やるときはやる人間なんだけど、やる時ってホント、どうしてもやらないといけない時だけ。本人もそう言ってたしね。それがどうしてここまで積極的なんだろう」
俺に尋ねる風に言う勝正さんに、俺は首を捻って「どうっすかねぇ」と答えた。
ムラサキがどうしてもやらないといけない事って聞かれると、提案した俺ですら即答は出来ない。俺の知らなかった雄太を知りたいっていう、自己満足みたいなモンだ。
この行動を、本当にやらなければいけない事だと、コウさんは思っているんだろうか。
そもそも、コウさんがムラサキを調べてくれる理由って何なのだろうか。
「気が向いたから、とか」
独り言に近い音量で言う。
「気が向いた程度で動く人とは思えないのは、コウを内心馬鹿にしてるって事なのかなぁ」
勝正さんも、独り言っぽく返事をした。
俺が思っていたよりも少し遅く、コウさんは戻って来た。
「お疲れっす」
「ん」
コウさんの表情からは、良い情報が貰えた様には見えなかった。と、言うよりはコウさんの表情は高校生の俺じゃなかなか見分け難い、言ってしまうと不愛想だ。
「どうだった? 何かわかった?」
「微妙だ」
コウさんは自分の項を掻く。
「当時の先生が居ればと思ったんだが、皆辞めたらしくてな。そこらへんの愚痴が内容の九割、給料とか待遇とか。遅れた理由も先生の愚痴が長かったからだ」
折角ここまで来たけど、収穫はゼロらしい。新人戦が近いバスケ部の練習を休んでまで来て、成果は得られず、かぁ。これならコウさんにいつでも大丈夫なんて言うんじゃなかった。
「そう残念そうな顔しないでくれよ、まだ話は終わってないぞ」
「え、いや! 別にそんな事思ってないっすよ!」
顔に出ていたらしい。俺の言い訳を無視して、コウさんは話をつづけた。
「一応他の職員さんにもムラサキについて聞いてみたんだが、具体的な答えは貰えなかった。だが、これは確かにっていう話は聞けた」
五時のチャイムが鳴り始め、一瞬間が空いてコウさんが再び喋る。
「で、子供の頃ってさ、友達にしか伝わらない言葉とか無かったか?」
俺は少し考えて、
「あったような、無かったような?」
続いて勝正さんも、
「うーん、あった気もする」
俺達の反応を見て、コウさんは数回素早く頷く。
「そうそう、俺もそんな感じ。で、話が終わった後ここに来るまで考えて、やっと思い出した」
コウさんの喋るテンポが上がる。
「アメンボ公園って呼ばれてる公園があってな、本当の名前はもちろん違う名前。でも当時の俺達は漢字も読めないし公園に呼び名があるなんて事も知らなかったから、雨が降ると必ずアメンボが居る公園ってことで、アメンボ公園と呼んでいたんだ」
言い終わって、俺達を見るコウさん。
俺と勝正さんがハテナマークで返すと、コウさんはやれやれといった感じで溜め息を吐き、
「要するに、ムラサキってのは雄太が子供の頃、代替の名称として呼んで居たモノなんじゃないかってこと」
「なるほど!」
俺は手を叩いて言った。確かにそれならムラサキって意味不明なモンでも、将来なりたいものに成りうる。
「凄いっすコウさん」
「いやいや、先生方に言われただけだから。そもそもこの中の誰も経験が無かったり思い出せなかったら、お蔵入りになってたくらいの僅かな可能性だ。的外れかもしれんし」
俺はそうとは思えない。俺も思い出せはしないけど、確かに仲間内だけで付けてた名前のモノだったり場所だったりはあった。
「コウ、そんな謙遜しなくて良いんじゃないかな? 僕も思い出せはしないけど――」
勝正さんの言葉をコウさんが遮る。
「思い出せなくちゃダメなんだよ、だからお蔵入りにしようと思ってたんだ。俺達が知りたいのはムラサキの正体で、その正体を絶対知ってる奴はもうこの世には居ない。知ってるかもしれないヤツはいてもな。ソイツが覚えてなかったら、それまでだ。あと、さっきも言ったがこの考え自体が筋違いの可能性だって高い」
さっきからコウさんのテンションが高い、こういう調べもの、結構好きなのかもしれない。だったらムラサキを調べようとしている理由も、気が向いたからで通りそうな気もする。
コウさんは職員の人から借りて来たであろう水色の冊子を開いて、
「でだ賢治君、この中に知り合いはいるだろうか。ここに載っているのは雄太と同じクラスだった子供達」
言われるがままに、冊子に目を通していく。
うーん、ひらがなばっかりで読み難いな。
「誰も知らなかったら結構大変じゃない?」
「その時はその時で、どうにかするさ。時間はまぁ、あるにはあるからな。いつ終わるかはわからんが」
勝正さんとコウさんが話している間にも、俺は知っている名前を探していた。
「えっと、何人かはいますけど……」
言いながら俺は渋る。
確かに見たことある名前はあったけど、今どこの高校に居るのかは全然知らない。これじゃ意味が無いのは俺でもわかる。
「すいません、どこ高とかまでは、ちょっと……ん」
一名だけ、ほとんど見覚えのある名前があった。
『まきだ えみ』
最初は名字だけしか見てなかったので気付かなかったが、牧田江美と読める。
でも先生が朝礼の時は『マキタ』と呼んでたし、あいつが不登校になる前も皆『マキタ』と呼んでいた。
「どうした?」
「あ、いや、別人かもしんないっすけど、一人だけ知ってる奴がいました」
だけど俺は、できれば人違いであって欲しいと思った。
牧田江美が不登校になった直接の原因は俺じゃないと言い切れる。だけども不登校になるような雰囲気を作ったのはクラスだと思うし、雄太が心配の声を出した時に、話を流したのは事実だ。
今にして思うと、俺は牧田江美が虐められている事実に、目を背けていたのかもしれない。
自分の性格を理由にして、苛めなんていうクラスの黒い部分に気付かないフリをしていたんじゃないのか。
牧田江美の事を思い出して、考える。
――俺は、きっと。
「俺、コイツに連絡取ってみます。人違いじゃなかったら、またラインで」
俺はきっと、牧田江美が苛められていることに気付けた。
気付かないように学校生活を送っていた。
雄太の声も、流した。
雄太は気付いたけど、行動はしなかった。けど俺は雄太を責められない。俺も似た様なもんだ、気付かない様にしてたんだから。
きっと、雄太もあの世で後悔してる。
だったら生きてる俺が、雄太の分まで。
コウさんは「すまんな」と言って、
「人違いかもしれないんだろ? 一応俺も総当たりで名前が載ってるヤツを探してみる」
勝正さんが続く。
「じゃあ僕は雄太が保育園の頃の『ムラサキ』って名前が付きそうなモノをまた探してみるよ。ある程度は絞れるかもしれないし」
「うっす」と返事をして、最初に思ってしまった考えを自分の中で訂正する。
出来ればマキダエミが、牧田江美でありますように。
そうなれば「ムラサキ」の事もわかるし、雄太の心残り、いや、俺達の心残りも無くなるハズだから。
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