第9話「ツッコミ芸人、困る」

 無事に最初の公演を終えた俺とエルヴィーラは、そのまま劇団ディートリンデに同行して芸人としてのキャリアを重ねていった。

 ネタのウケは概ね良く、ディアの演劇やヤコフとイーナの曲芸、アリマの占いなどを手伝っているうちにエルヴィーラも舞台慣れしてきたのだろう。最近はメキメキと実力を増していた。

 団としても、俺達の加入で演目に幅ができ労働力が増えてやれることの幅も広くなり、評判を聞いた様々な街からの依頼を受けるようになっていた。

 順風満帆のように見えた状況。だが、我々は大きな問題を抱えていた。それは……


「忙しすぎる!!」


 当劇団唯一の裏方担当。マイの負担増加であった。

 招かれた街での公演を終えた翌日。他の団員は日が高くなるまで寝たり街へ繰り出したりと思い思いの休日を過ごす中、マイだけは一人帳簿とにらめっこをしていた。


「だ、大丈夫。マイ? 手伝おっか?」

「ううん……ありがとうヤコフ。気持ちは嬉しいけど……今必要なのは帳簿とスケジュール管理と依頼管理だから……数字に強い人が……欲しい……」


 マイの叫び声を聞いてやってきた俺とヤコフだったが、ヤコフが協力を提案するとマイに力なく断られた。

 古来より芸事で身を立ててるような奴は金銭管理が大雑把と相場が決まっているが、どうやらこの世界でもその原則は変わらないらしい。

 ここは異世界からやってきた俺が現代知識で数学チートとかできればいいのだがあいにくと数字にはとんと弱いのである。

 なんか確定申告とか言うのもあるとは聞いたことがあるが、したことはないしろくに芸人として稼いでいなかったせいで怒られたこともない。ブレイクしかけたところで解散して転生したので結局一度もしないで逃げ切れてしまった。

 というわけで、数字に弱いボンクラ共はなんの役にも立てなかったわけである。


「……あ、いや。ちょっと待って。マサヤ、ヤコフ。どっちでもいいけどお姉を起こして連れてきてくれない?」


 疲れ切った顔のマイがそう言うと、ヤコフの顔が僅かに硬直した。


「そ、それは……」


 起こしてくるぐらい快諾してもいいと思うのだが、何やらヤコフは気が乗らないようだ。だったらまあ、それぐらい俺がやってもバチは当たらないだろう。


「じゃあ、俺が行ってくるよ」

「ん、お願い」


 そう言って、俺はディアのテントへと向かった。

 街から街への移動が多いこの団では、基本的に寝泊まりはテントである。

 俺とヤコフで一つ、イーナとアリマとエルヴィーラで一つ、マイとディアで一つのテントを使っている。


「ディア、起きろー。マイが呼んでるぞ」


 テントの外からディアに声をかけるが、返事がない。

 昨晩は打ち上げで盛大に酒盛りをしていた。今回の公演を依頼した街の偉い人というのが上機嫌で、報酬に加えて良い酒を樽でくれたのだ。

 特に酒好きのディアはずいぶんと飲んでいたから、まだ寝ているのだろう。

 起こさねばならないが、女性のテントに無断で入るのもどうだろうか、と悩んでいると、大あくびをしながらアリマが通りかかった。


「おはよう、アリマ」

「おはよ。団長を起こしに来たの?」

「ああ。だけど女性のテントに俺が入るのもどうかと思ってな。アリマ、代わりに起こしてきてくれないか?」


 俺が頼むと、アリマは気だるげに首を横に振った。


「やあよ。それに、おおかたマイに頼まれたんでしょ? だったら入っても問題ないと思うわ」

「うん……まあ、それもそうか」


 はーっと、俺がため息を付くと、アリマはクスクスと笑いながら小さな包を手渡した。


「これは?」

「酔い覚まし。私が調合したの。団長の口に突っ込んでおいて」


 飲ませて、ではないのだろうか。そう聞こうとしたが、アリマはすでに去っていた。

 これ以上悩んでいても仕方ない。俺はディアを起こしにテントの中へと入った。

 テントには2つの簡素な折りたたみベッドがおかれている。片方はきっちりと布団がたたまれて整理されている。こちらがマイのベッドだ。そしてもう片方、掛け布団がベッドの脇に落ち、その下から乱雑におかれた鎧がはみ出ているのがディアのベッドだろう。

 だが、ベッドの上にディアが居る様子がない。もう起きているのだろうか?

 確認のためにベッドに近づくと、寝息の音が聞こえてきた。

 俺はベッドの反対側を覗き込んだ。下着姿のディアが地面に落ちていた。鎧を着ていると分かりづらいのだが、ディアのスタイルはかなりいい。均整の取れたプロポーション、うっすらと筋肉がついた腹筋、胸もまあ、結構あると言っていいだろう。顔もクール系の美人だ。ちなみに普段つけてる眼帯は伊達眼帯である。いや、伊達っていうと本物みたいだが、この場合は慣用句的な伊達だ。眼帯の下には傷一つ無い目がある。

 が、そんな魅力的なディアもひどい格好で地面に寝ていては台無しである。


「ディア、起きろ。マイが呼んでるぞ」


 大きめに声をかけるが、ディアが起きる様子はない。よだれを垂らしながら幸せそうな顔で寝息を立てている。

 俺はディアを揺さぶろうと、肩に手を伸ばした。指先がディアの肌に触れたところで、ディアの身体がピクリと動いた。


「起きたか、ディ――」


 ア、と言おうとしたところで、俺の視界がぐるりと回転した。

 ディアの両手が俺の伸ばした右腕を掴み取り、巻き込むように地面へと引きずり倒したのだ。抵抗する間もなくディアの足が俺の胴を挟み込み、締め付ける。

 なんというかセクシーな体勢ではある。セクシーな体勢ではあるのだが、ディアが力いっぱい俺を締め付けてくるのでそういうことを感じている余裕がない。


「ちょ、骨! 骨ミシミシッ!」


 なんとかディアを起こそうとするが、身体は動かせないし胴体が締め付けられて声もうまく出せない。これがあるからヤコフもアリマもディアを起こすのを嫌がっていたのか、と今更ながら俺は悟る。

 そうだ。アリマに渡された酔い覚まし。口に突っ込めと言われたのはこれを見越してのことだったのだろう。俺はポケットを必死に探る。

 なんとか取り出すことはできた。だが、ディアの口元まで手を持っていくことができない。

 膠着した状況を打破したのは、テントに入ってくる一人の声だった。


「おーい、マサヤ。ディアは起きたかのう? マイが待ちくたびれておる……ぞ……」


 テントに入ってきたエルヴィーラは、俺とディアの姿を視認するとピタリと動きを止めた。


「な、ななな、何やっとるんじゃ貴様らー!!」


 耳をつんざくようなエルヴィーラの叫び。


「ふ、ふえっ?」


 流石にこれには耐えきれなかったか、ディアが薄ぼんやりと目を開きとぼけた声をあげた。拘束も緩む。俺はその隙きを見逃さずにディアの口にアリマ謹製酔い覚ましをつっこんだ。


「喰らえッ!」

「ぐ……グエーッ!!」


 潰れたカエルのような声をあげてのたうち回るディア。威力絶大である。


「というか酔い覚ましかこれ!?」

「そんなことより何をやっとるんじゃマサヤ! は、破廉恥! 説明せよ!!」

「み……水…………水…………」


 怒るエルヴィーラ、のたうち回るディア。まさにテントの中は収拾のつかない阿鼻叫喚の地獄絵図であった。

 それを止めたのは


「うっさい!!」


 目を血走らせてやってきたマイの一喝であった。


――――


「うう……余は悪くないのにマイに怒られたのじゃ……」

「助けてもらったのはありがたいけど、お前が話を聞いててくれればあそこまでマイに怒られることも無かったと思うんだがな……」

「全部マサヤが破廉恥なのが悪いんじゃ」

「濡れ衣!!」


 マイに連れて行かれたディアを見送り、俺とエルヴィーラは二人で一息ついていた。


「じゃってそんな……男女がくんずほぐれつとかもう……そういう男だとは思わなかったのじゃ……男は狼……恐ろしいのじゃ……」

「狼を怖がる破壊神どうかと思う」

「た、戦って勝てぬとは思わぬがその……迫られたら……って、何を言わせるんじゃ!!」

「言わせてねえよ!」


 バシバシと俺を叩くエルヴィーラ。恥ずかしいのかやや力が強めだが、それでもギャグ漫画補正が発動しない程度には加減ができているのでタックルで岩壁に穴を空けていた頃と比べるとずいぶんと慣れたものである。


「というか、よくわからないけどかなり長い期間生きてる破壊神なんだろ? なんでそんな生娘みたいな反応なんだ」

「い、いや、じゃって破壊神って……そういう……う、産めよ増やせよみたいなのとは対極の存在じゃから……」


 俺の知っている世界の神話だと神様が子供を作ってることもよくあるのだが、どうやらこっちでは、というかエルヴィーラに関してはあまりそういうことが無いようだ。


「じゃ、じゃがどうやって作るのか知らぬわけじゃないぞ! あれじゃぞ! 男と女がその……あの……長いあれで……」

「いやいや、別にそこは疑ってねえよ」

「う、海をかき混ぜたりするとできるんじゃろ! ひ、光あれとか言っちゃったりするんじゃろ!」

「スケール!! 創世神話か!!」


 しかもごっちゃである。なんでこいつ俺が居た世界の創世神話知ってるんだ。


「え、ち、違うのか!?」

「違う……いや、違わないのか……? とりあえずそれでできるのは日本とかで人間の繁殖方法ではない……」

「む、むむ、じゃあ人間はどうやるのじゃ?」


 俺の目をじっと見てくるエルヴィーラ。普段は意識しないようにしているが、こいつはこいつで結構な美少女である。

 俺は思わず目をそらした。


「それは……あ、あれだ。必要になったら教えてやろう」

「むう、良いではないか。教えよ! 教えるのじゃー!」


 なんとか俺がエルヴィーラの追求を回避していると、マイと話が終わったのかディアがやってきた。


「二人共、今日は暇か?」

「あ、ああ! 俺は暇だ!」

「む? 余も暇じゃが。何かあるのか?」


 エルヴィーラに問われて、ディアはニヤリと笑った。


「新人を勧誘しようと思ってな。付き合ってくれないか?」

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